第9話「同人誌即売会その1」

第9話



「なんだ、これ…。」

「すごい人ですね。」

 東京湾に面している、国内最大規模を誇る大型イベント会場。

 僕達3人は予定どおり始発列車に乗ってここまで来たのだが…、見渡す限りの人の多さに圧倒されていた。

 坂本さんは関係者専用の待機列に行ったので、僕と未来は一般参加者の待機列の最後尾を目指して歩いている。

 しかし、いくら歩いても最後尾が見えてこない。

「あ、移動基地局がある…。はじめて見たかも。」

「それだけ人が多いっていうことですよね。」

「だなー。」


 海沿いの大きな遊歩道を歩いていく。

(………。)

 ふと左を見ると、とても静かな海が漂っていた。

「東京湾って初めて見ました。」

「僕も。理由がないとなかなか来ないよね。」

 そんな話をしていてもまだまだ列は続いていく。

 郊外地域と入っても僕達が住んでいるのは東京都内。

 そこから始発で来たのにここまで混んでいるということは…、

「近くのホテルとかネカフェとかで一泊したんだろうな。」

「そういうことになりますよね…。」

「凄いなー。」


 それから20分ほど歩いて最後尾を見つけた僕達は、少しだけ安堵の表情を浮かべた。

「開場まであと3時間くらいありますね。」

「結構時間あるよね。何してようか?」

「私、ちょっと疲れちゃったかもです。」

 思い返せば、こっちに引っ越してきてから初めての始発列車でのお出かけだった。

 少し驚いたのが、意外と座席が埋まっていたことだ。

 よくよく観察すると、持ち物などが朝のラッシュ時に乗っている人とは少し違っていたのが、印象に深く残っている。

「とりあえず座っちゃおうか。」

「はい。」

 列は横10人で整頓されているので、比較的スペースは取りやすい。

 こういうことを想定して昨日に新聞紙を買っておいた。

 本来の使い方ではないけれど、未来の洋服が汚れるよりはいいだろう。

「…いいんですか?」

「もちろん。せっかくの可愛い服なんだから大切にしないと。」

「あ、ありがとうございます…。」

 顔を真っ赤にしながら座った未来の今日の服装は、ジーンズのショートパンツに可愛いキャラクターが描かれたTシャツというラフな格好だ。

「こういう格好も可愛いんだから反則だよな…。」

「ふえ!?」

「ずっといてよ、僕の隣に。」

「ひ、人が大勢いるんですから、そういうこと言わないでください。嬉しい、ですけど…。」

「ごめんごめん。」

 そういうと未来は、周りに気が付かれないようにそっと肩をくっつけてきた。

「これくらいの仕返しは許してください。」

「もちろん。」

 左肩にもたれかかる未来の邪魔をしないように、右手でスマホをポケットから取り出してニュースサイトを見てみると、この会場の様子が速報とも取れる形で報じられていた。

 実は最寄り駅についたときに、大きなカメラを持ったカメラマンとリポーターの姿を見ていたので、すぐに取り上げられるんだろうなとは思っていたから、別に驚くことではなかった。

「ねえ、未来。」

「どうかされました?」

「ちょっと難しい話ししてもいい?」

「いつものことじゃないですかっ。いいですよ。」

「ありがとう…。」

 坂本さんと関わりを持つようになってから、改めてトランスジェンダーのカテゴリーをもう一度考えるようになった。

 カテゴリーは、大きく4つに分類することができる。


 箇条書きで表すと、


1,体は男性で心は女性でありたい

2,体も心も女性でありたい

3,体は女性で心は男性でありたい

4,体も心も男性でありたい

 

 こういった感じだろうか。


 トランスジェンダーの人と関わるときは、この部分をしっかりと理解することが重要だと思っている。

 僭越ながらもっと強い言葉で言うと、ここが理解できないとその先に進めないと思っている。

 未来は1に該当していて、外科的治療を必要としていない。

 まだ若干数ヶ月しか関わっていないのだが、担任の先生よりも誰よりも傍にいた人間として、断言できる。


 しかし、だ。

 ここからが肝で少々難解な部分だ。

 坂本さんの場合、男性に憧れていると言っていた。

 『憧れ』というものは曖昧な表現で、その先に『欲求』であったり『要求』『要望』といった表現がある。

 もしも坂本さんの言った言葉の真意が、憧れであるならば…、それは恐らくすべてに該当しないのかもしれない。

 しかし要求や要望となると…、4に当てはまっているのかもと、考察することができる。

「…祥太郎さん。疲れちゃいますからほどほどに留めておいてくださいね。」

「うん。」

 確かにこれ以上のことを考えるのは、無駄…、とまではいかないまでも、少々無理がある。

「一つ、疑問なんだけどさ。」

「はい。」

「仮に坂本さんが未来と同じような特性を持つ人だとして、僕ってどこまで関わることになるんだろう?」

「そうですね…。」

 少し考えるそぶりを見せた未来だったが、

「これからの関わり方によるのではないでしょうか。祥太郎さんが今よりも仲良くなりたいと思うのでしたら、私の時と同様にもう少し深くかかわることになると思います。ただのご近所さんとして接するのであれば、そこまで多くの知識を仕入れる必要はないかと。」

「なるほどなー。」

「私はどちらでもいいと思いますよ。坂本さんに好意を持たないのであれば、ですが。」

「それはないから安心して。」

 クシャっと髪をなでるのは、なんだかもう癖のようになっている。

「ふふっ。今のなで方、優しくて気持ちよかったです。」

「…言葉だけだと不安かなって思ったから。」

「優しい方ですね、本当に…。」

「そりゃどうも。」

 照れくさくなって目を泳がせていると、一組の親子が目に留まった。

(親子連れもいるんだ…。単なるサブカルのイベントじゃなくて、別の意味でも大切なイベントなのかも…。)


 さて、それからしばらくの間は、尽きることのない話題に花を咲かせていたが、ここで問題が生じた。

「トイレ行きたくなってきたな…。」

「私も、同じことを思っていました。」

 そうなると近くで利用できるのは、前方に設置されている仮設トイレ。

 しかし、僕は何ら問題が無いのだが、未来にとっては少し…いや、かなりの重大なインシデントとなる。

「…どうしよう。」

 あと1時間ほどで開場するとはいっても、その間我慢をしてもらうには長すぎる。

 スマホでバリアフリートイレの場所を検索してみるが、なかなかヒットしない。

(………そうだ。)

『坂本さん、聞きたいことがあって…。』


『はい、何かありましたか?』


『今、西棟?の近くの待機列にいるんだけど、ここから近場でバリアフリートイレのある場所って知らない。』


『室内であれば比較的あるんですけど、屋外ですか…。』


『無さそうかな?』


『それでしたら…、ここに来る途中、バスターミナルがあったの覚えてますか?そこにあるトイレが、比較的利用する方が少なくていいかもしれません。それこそ女性用のトイレを使用しても大丈夫だと思います。』


『サンキュ!助かった。』



 未来にこのことを伝えて、本当なら自分も一緒に行きたいところだったど、二人とも席を外すわけには行けないので、未来一人で行くことになった。


「そうか、これをもっと考えておくべきだった。そもそも建物を設計する段階では、このように屋外で長時間待つことを想定していなかったのかもしれないな。」

 これだけの規模の会場だから、後々増築するのは難しいだろうが、その点新しく出来た南棟は、設備が一番整っていそうだ。

(なんか…、この話題っていろんなところでついてくる気がする。)

 そもそも学校だけの問題なわけがないのだ。

 もちろんこれは一例にすぎず、その他にも様々な場所で壁が存在する。

 障害ではないけれど、障害と同じような壁が存在しているって、なんかすごい変な感じがする。

 まあ、なんというか…。認知されて日が浅いから、現時点でやれることには限界がある。

 この考えが、自意識過剰だとか、思いあがるなと言われたら…、それまでなのだが。


 ほどなくして戻ってきた未来に聞いてみると、坂本さんの言っていた通り誰も利用者がいなかったらしい。

「とりあえずよかったね。」

「はい。少し遠かったですけど。」

「仮設トイレも、男女兼用とかあればいいのに。」

「それは…、どこまで求めるかによるのではないでしょうか。私たちは普通とは違うと思いますので。」

(………。)

 なんて返したらいいのか、それが見つからなくて悔しかったが、僕もトイレへ行きたかったので、足早にトイレへと向かった。

 

 来たのはバスターミナル。

 同じトイレを使用してみようと思って来たのだが、待機列からは15分ほどの時間を要してしまい、これでは余りにも不十分だと感じた。

 しかし先ほど未来から指摘された通り、「理解をしてほしい。」「誤解をしないでほしい。」という、こちらからの願望や要望が前面に出てしまうのは、考えてみれば決して褒められたことではなかったのかもしれない。

 それでも未来が…、いや、世の中の人全員が等しく感情を共有して、分かり合えるといいなって、そう思っている。

「…理想論だけどな。」

 

 トイレから戻ると、未来がなにやら真剣な表情でスマホの画面を見ていた。

「何かあった?」

「あ、お帰りなさい。ちょっと気になることがあって調べていただけです。」

 「そっか。」

 少し疑問に思ったが、調べ物だったら僕もよくすることなので、さらに聞くことは止めた。

 

 開場まであと少し。

 

期待と不安の両方の感情を交錯させながら、待つことにした。

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