第8話「カテゴリーと細分化」

第8章



『ピピピピ…』

「ん、ん?」

 目覚まし時計が鳴っていた。

「…あれ、なんで目覚ましセットしたんだっけ?」  

 寝ぼけまなこで時刻を確認すると、朝の8時だった。

「………、あっそうか、ゴミ出し。」

 ここ数年は自治体によってゴミの出し方が細分化されていて、聞くところによると都市部では殆どを燃えるゴミとして出せる自治体もあると聞く。

 それに比べたらここは…。

 まあ財政の規模というか、そこから違うからどうしようもないが。 

 はじめのうちは面倒くさいと思っていたけど、それも数週間もすればすっかり慣れたものだ。

「とりあえず持っていくか。」

 寝起きで少し重たい気分を勢いよく起き上がらせて、簡単に身支度を整えて自宅を出る。

 週に2回ある燃えるゴミの日は、特にこの夏の季節では忘れることができないから、起きることができてとりあえずホッとした。

「よいしょっと。」

 ゴミ袋を持って自宅を出ると、相も変わらず夏の暑さが体の芯を突き抜けていく。

 早く持って行って自宅の戻ろうと思い、足早にゴミ捨て場に向かうと、見覚えのある姿が目に入った。

「あ、おはようございますっ。」

「ああ、坂本さん。おはよ…。」

 同じ建物に住んでいる人でも、ゴミ捨て場で鉢合わせることは稀なことのような気がする。

「昨日の料理、食べていただけましたか?」

「う、うん…。美味しかったよ。」

「よかったー。頑張って作った甲斐がありました。」

「…ん、頑張って作った?」

「い、いえ!なんでもないです。」

「う、うん…。」

「今日もご飯作りすぎちゃったので、また食べてもらえませんか?」

「へ?いや、ちょっと今回は…。」

 問答無用という感じの坂本さんは、僕の手を取って自分の家へと同行させた。

「ちょっと待っててくださいね。」

「うん…。」

(玄関で待っていてくれと言われても…。)

 間取り上部屋の奥の方も玄関から見ることができるが、そんなことをするわけにはいかないので、なんとなく玄関脇の棚を見てみた。

 当たり前だが、自分の家とは空気感から何かまで全く違う。

 それでも少し意外だったのが、そこまで女の子っぽいものが置かれていないことだ。

(まあ、勝手な思い込みというか何というか…。)

「お待たせしました!」

 そう言って手渡してきたのは、またもやタッパーに入った惣菜たち。

「あ、あのさ…。」

「はい?」

「ご飯を作りすぎたというのは、家族の分の残りっていう認識でいいんだよね。」

「はいっ。」

「そ、そっか…。」

 タッパーに入っている量からして、作る量を減らした方がいいような気がしてならない。

 味は美味しいから頂く分には何も嫌な気持ちはしないが、何かほかに理由があるのではないかと疑ってしまう自分がいる。

「ちょっと待ってて、昨日のタッパー持ってくるよ。」

「私も一緒に行ってもいいですか?」

「え、いやいやここで待っててくれればいいよ。」

「むー、分かりました。」

 坂本さんのこのテンションは、昔のみなみに似ている気がして決して嫌ではないのだが、なんか調子が狂う。

「それじゃあ持ってくるから、ここで待ってて。」

「はーい。」

 ぱたんと扉を閉めたら、自然と心からため息が漏れ出てきた。

 もう少ししたら未来が来るから、その時に一緒に感想を言おうと思っていたのだが…、もうこうなったらどうにもならない。

 台所に置いてあるエコバッグを手に玄関に向かうと、何やら話し声が聞こえてきた。

「え、嘘だろ…、もう来たのか?」

 声の主は未来で、坂本さんと会話をしているのだが、次第に未来の声色が険しくなっているので、内心ではとても怖いが、今扉を開けないと取り返しのつかないことになる。

「み、未来?」

「祥太郎さん!」

「は、はいっ。」

「料理なら私が作ります!」

「ちょっと落ち着いて。」

「私の料理じゃ満足できないんですか?」

「いや、そんなことはないって。」

「それじゃあどうして…っ!」

 その様子を見ていた坂本さんが、申し訳なさそうに口を開いた。

「あの…、彼女さん?彼氏さんでしょうか?」

「彼女です。」

 間髪入れずに反論ともとれる口調でしゃべる未来は、焦りと怒りが入り混じっていて、僕が見たことない感情表現で対峙していた。

「すみません、私知ってたんです。浦瀬さんがお付き合いしてるの。」

「へ、そうなの?」

 だとしたら確信犯…、というのはいくら何でも印象の悪い言い方だが、それならばどうしてという疑問を拭えない。

 「おすそ分けくらいならいいかなって思っていました…。」

 とても申し訳なさそうにしてる坂本さんを見ていると、少し申し訳ない気持ちになるが、一つだけどうしても聞いておきたいことがあった。

「これって、本当におすそ分けでいいんだよね?」

「祥太郎さん、どういうことですか?」

「いや…、今日の料理はまだちゃんと見ていないんだけど、タッパーの大きさと量からして、おすそ分けというレベルじゃない気がするんだよ…。これは気のせいかな?」

「………。」

「あ、勘違いだったら本当にごめんね。」

 黙ってしまった坂本さんを見て、勘違いだったかと心配になったが、僕の問いに関する答えは意外なものだった。

「おすそ分け、も含めて作っていたんです。」

「え?」

「私、浦瀬さんとずっとお話ししたいなって思っていたんです。」

「そうなの?」

 おすそ分けの分も作っていて、僕とずっと話してみたかった…。

 この場でやっと坂本さんのことが分かると思ったら、余計分からなくなった。

(何者だ、この子…。)

「この場を借りてお二人に見てほしいものがあるんです。少し時間がかかってしまうので、お待たせさせてしまうのですが…。」

 僕と未来は顔を合わせて数秒間考えたが、

「いいよ。それで坂本さんのことが分かるんだよね。」

「ありがとうございます、なるべく急ぎますので。」

 そう言うと部屋の中へと戻っていった。


「………。」

「………。」

 沈黙が流れる。

 今までにも同じようなことはあったが、ここまで居心地の悪い沈黙は初めてかもしれない。

「祥太郎さん。」

「は、はいっ。」

 思わず声が裏返ってしまう。

「優しすぎますよ。」

「気を付けます。」

「でも…、そんなところも好きになっちゃうから困りますね。あはは。」

 苦笑いをしている未来だったが、緊張や焦りとも取れた感情が和らいでいるように感じた。

 言い訳ととらえられるので口には出さなかったが、先ほど坂本さん自身から言っていた「おすそ分けの分も作っている。」という理由。

 それが知りたかったから受け取ることを拒まなかったのだ。

「ご近所さんですし、私が介入していることが間違えているんです。」

「ごめんな。」

 自然と頭に手を置いている自分がいた。

 理由があったとはいっても、恋人を心配にさせてしまっては彼氏失格だ。

「もう気にしてませんよっ。ありがとうございます。」

「…サンキュ。」

 そんなやり取りをしていると、坂本さんが自宅から出てきた。

「あのー、すみません。」

「ん、何かあった?」

「やっぱり家の中を直接見せる方がいい気がしたので、よろしければ彼女さんもご一緒に…。」

「わ、わかった。」

「はい…。」


 坂本さんの自宅は、なんというか生活感が溢れていた。

 それでも物が多いがきちんと整頓されていて、ゴチャゴチャしている感じがしない。

(あれは…、子供用のおもちゃがある。妹か弟がいるのかな。しかし今は朝の9時を過ぎたころで、一緒に暮らしている家族がいるならこの時間に一人でいることは珍しいのでは、と思ってしまうが、それも後ほど分かるのだろうか?)

「こっちに来てください。」

 そう言って案内された部屋には、コスプレ衣装がずらりとハンガーにかけられていた。

 それに加えてアニメや漫画のキャラクターのグッズが、勉強机などに所狭しと並べられている。

「凄いな…。」

「これでもだいぶ減らしたんです。お母さんに怒られちゃって。」

「なるほど…。」

 たくさんあるグッズだが、そのほとんどが同じようなキャラクターの商品…、というのは聞こえが悪いかもしれないが、短髪で高身長なキャラクターばかりが目に入ってくる。

(まあ、推しとかそんな感じなんだろうな。)

「コスプレとかするんだ。」

「はいっ。」

「男装ってやつ?」

「そうです。男性に憧れがあって…。」

「ああー。なるほど。」

 バラバラだったパズルピースが、少しずつ組み合わさってきた気がする。

「祥太郎さん?」

 よく分からないといった表情で、未来が僕のことを見てくる。

「8割方推測だけど、男装しているけどなかなか理解を示してくれる人がいなかった。そんな時に僕と未来が一緒にいるところを見かけたと。」

「そうですそうです!」

「それで僕だったら理解をしてくれるかもって思って、親交を深めようとしたわけか。」

「はいっ。私の周りってコスプレをすることに対しても理解をしてくれる人がいなくて、肩身が狭かったんです。」

(なるほど…。}

 しかしジェンダーにかかわることだとすると、その方向性は本当に多岐にわたることは、1学期のゴタゴタで痛いほどに理解している。

「このキャラクターって結構ガタイがいいけど、こういう体つきにも憧れるの?」

「はい。変ですよね…。あはは」

「いや、そんなことはないよ。」

 坂本さんの場合は未来と同じトランスジェンダーだとしても、その先の分岐点で相違がある。

 未来の場合は、心は女性だけどあくまでも身体的には男性のままで居たいというパターンで、坂本さんの場合は、恐らくではあるが心も体も男性でありたいというパターンだと、とりあえず解釈した。

(これはまた…、難しいぞ。)

 性に関することは調べても調べてもきりがない。

 カテゴリーが非常に細分化されていて、しかもその多くがまだ議論の段階で、確定した事項も世間での認知や理解が追いついていないのが現状だ。

「…あの、えっと…坂本さん。」

 僕たちのやり取りを見ていた未来が、慎重に口を開いた。

「は、はい。」

「さっきはきつく当たってしまって、すみませんでした。」

 そう言って深々と頭を下げた。

(こういうところはさすがに律儀というか…。)

 そう一人で勝手に関心をしていると、坂本さんがカチコチになりながらも、

「い、いえ!謝らないといけないのは私の方です!申し訳ございませんでした。」

 とりあえずお互い和解ができたようでよかった。

(まあ、一番謝らないといけないのは僕なんだけど…。)

「あの…、折り入ってご相談をしてもいいですか?」

「うん、いいけど…。」

 少し考えるそぶりを見せられると、どうしても身構えてしまう。

「明後日って空いてますか?」

「え、明後日?」

「はい。…彼女さんも。」

 かなり近々だが、僕も未来も予定は入っていなかった。

(明後日って何かあったっけ?)

 夏休み期間中だけど、特に何か記念日というわけではない。

「一緒に同人誌即売会に行ってくれませんか?」

「即売会…、ああー!毎年大きな会場で開催されていうやつだよね。」

「はい。朝早かったり人混みすごかったりするんですけど、もしよろしければ…。」

「僕は大丈夫だよ。」

「私もです。」


 こうして明後日に3人で出かけることになった。

「それじゃあ明後日はよろしくね、坂本さん。」

「はいっ。あ、そういえば…私の名前、のどかっていいます。自己紹介が遅くなってすみません。」

「ううん、気にしないで。それじゃあそろそろ帰るよ。」

「はい、お話しを聞いていただいてありがとうございました。」


(ふう…。)

 なんだか、また難しい事態が起こる予感がしてならないのだが、とりあえず今は深く考えてもしょうがない。

「今日のお昼ごはんはどうしましょうか。」

「一昨日買い物に行ってきたから、何か未来の手料理が食べたいかも。」

「分かりましたっ!」

 意気揚々と台所へと走っていった未来を見届けて、ポケットからスマホを取り出した。


 坂本さんはおそらく性別違和の枠組みに入っている。

 そう直感で分かるくらいには、僕自身の知識が豊富になっていると捉えていいのだろうか。

 中学生というのは、人生においても群を抜いて多感な時期で、恐らくそれに起因して異端を排除しようとする時期でもあると思っている。

 これは裏を取ったわけでもないただの主観に過ぎないが、人によっては孤独を感じやすい時期だと思う。

 でも、今日までの関係性でこれ以上考察をすることはよくないし、判断をするなんて論外だ。

 調べる手を止めた僕は、台所で楽しそうに料理をする未来の姿を見ている。

「未来ー。」

「はい、どうしました?」

「呼んでみただけー。」

「ふふっ。なんですかもう。」

 好きな人と一緒にいて安心できるというのは、何よりも代えがたいことなんだと思う。

(若干十数歳が考えることじゃないか。)

「祥太郎さん。」

「ん、なに?」

「また難しいこと、考えていませんか?」

「…お見通しですか。」

「はいっ。」

(感服だ。)

 こういうところは本当に女性らしいと思う。

「好きなんだよなあ。」

「も、もう。何言ってるんですかっ。」

「好きすぎるんだわ。ずっと一緒がいい。」

「…それは私も、そう思います。」

「頑張ろうね。」

「はいっ。」


 夕食の献立は、鶏肉の照り焼きとなめこと大根おろしの味噌汁、それにほうれん草の胡麻和えといったラインナップだ。

「やっぱり凄いな。」

「祥太郎さんの胃袋は私のものですからっ。」

「ガッツリ掴まれました。」

「えへへっ。」

 誰かと食べる夕食は、やっぱり楽しい。

 それが未来とだから尚更だ。


「明後日どうする?」

「始発で行くんでしたっけ?」

「みたいだね。凄い混むとかなんとかで…。そうだ、今日と明日泊まっていけば?」

「え、連泊ですけどいいんですか?」

「うん。プチ同棲みたいな感じでいいんじゃない?」

「………っ!」

 顔を真っ赤にして俯く未来を見ると、笑顔を隠すことができなくなる。

「そういえば…。」

「はい?」

「ベッド買い直そうかな。」

「どうしてですか?」

「シングルだと狭いでしょ。」

「んー、私は今のままでもいいですよ。その分ムギュってする機会が増えるので。」

「なんだそれ。」

「ふふっ。祥太郎さんのお胸の音聞きながら眠るの好きなんです。」

「僕も、未来の暖かさを感じながら眠るの好きだよ。」

「変態さんですね。」

「いや、完全にお互い様でしょ。」

「あははっ、本当ですね。」

 といったバカップル会話劇を交わしながら、楽しい食事のひと時を過ごした。


 そして時刻は過ぎ、午前0時ごろになった。

「ねえ、未来。」

「はい?」

「暑くない?」

「大丈夫です。」

「そっか。」

 いつものように僕の胸に顔を埋めてくる未来を、優しく抱きしめる。

 夏とはいえ夜は冷房を弱めにしているので、少しだけ汗をかいてしまい、それが変なリアリティを生み出してしまう。

「…祥太郎さん、ドキドキしてます。」

「そ、そうかな。」

「…いいですよ。」

「へ?」

「祥太郎さんが、したいのでしたら…。心の準備はで、できてます…。」

(………。)

 返答に詰まってしまう。

 そういう気持ちが無いと言えば、それは嘘になる。

 好きな人とこんなに近くで寝ているんだから、当たり前だ。

 それでも………。

「緊張しすぎ。ごめんな。」

「いえ…。お伝え出来るきっかけをずっと探していたので、よかったです。」

「今の感じじゃ、物足りない?」

 そう聞くと、そんなことはないといった様子で、胸にうずめた顔を横に振った。

「ちょっと不安になっちゃったかな。」

「………はい。」

「彼氏失格だな。」

「そんなことないです。大好きだから…、ちょっとだけ心配になっちゃったんです。」

「ごめんね。」

「祥太郎さん…。」

 

 僕を見るかすかに揺れる瞳に、吸い込まれずにはいられなかった。


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