第5話「笑顔の未来と直下の危機」
第五章
「なんか、するな。」
「そうですね…。」
先の一件から半月ほどが経った、とある夏休みの一日。
僕たちは今、都市部にある水族館に入場するための、待機列に並んでいる。
お互い海に近い場所で育ったため、どこかデートしようという話になった時に、水族館に行こうということですぐに話が決まった。
整理券方式だったためスムーズに入れると思っていたのだが、家族連れやカップルなどで想像以上に混雑していた。
「人混み、大丈夫?」
「はい、それは大丈夫です。こういう場所は、嫌いじゃないので。」
「そっか。」
学校絡みのことでいろいろなことがごちゃ混ぜになっていたから、初めてデートらしいデートをすることができたと思うと、少し感動さえ覚えてくる。
「もう少し分かりやすい場所にあるとよかったですね。」
「ほんとそれ。ターミナル駅とまではいかないけど、そんな感じがする建物だよ
ね。」
最寄駅から建物までは、徒歩で10分と少しだったが、それからが分かりづらかった。
「最初に地下に降ろされたあたりから、もうパニックだったわ。」
「あはは…。」
デートである以上格好悪い姿は見せられなかったから、事前購入した整理券の時間に間に合って、本当にホッとしている。
ちらっと横目で未来を見ると、楽しみだと言わんばかりにマップを見ていた。
(この場所を選んで正解だったな。)
本来ならオフシーズンに来たほうが、ゆっくりと見て回ることができると思ったのだが、思い立ったが吉日で、先の件もまだ解決したわけではないため、来れるときに来たほうがいいというのが、今日来た理由だった。
「祥太郎さん、もう少しです。」
「だね。」
15分刻みの整理券のおかげで、思っていたほど長く待つことはなかった。
(次の整理券を持っている人が来ちゃうから、当たり前か。)
係りのお姉さんにチケット渡し、スタンプを押してもらって、道なりに進んでいく。
「小さな水槽がたくさんありますね。」
「そうだね。でも、珍しい魚ばかりだ。」
港町で暮らしていると知られると、なぜだか魚に関する質問をよくされる。
別にその場所で生活をしていただけで、精通しているとは限らないんだが…。
「あ。あそこに大きな水槽がありますっ!」
子どものように楽しんでいる未来の後について見えたものは、様々な魚が生活している大きな水槽。
ある程度の規模の水族館だと必ず目にするから、目玉スポットのひとつなんだろう。
「凄いな…。」
様々な魚が一緒の水槽で暮らしていることを、僕らは見習わないといけない。
隣りにいる未来は、食い入るように魚たちを見ている。
(実家が水族館からそう遠くない場所だと聞いてたけど…、まあ、何度見てもこういう場所は飽きないよな。)
今そのことについて触れるほど、自分は未熟で馬鹿な人間ではない。
「祥太郎さーんっ。こっちの水槽、真っ赤なライトに照らされてます。」
周囲の人達が何事かと思って僕達のことを見ている。
「み、未来。ちょっと落ち着いて。」
「すみません、つい…。やっとデートできたのが嬉しくて。」
「それは同感なんだけどな。」
それからは二人でゆっくりと館内を見てまわって、屋上の庭園?のような場所に出てきた。
「あ、喫茶店あるじゃん。ちょっと休憩しない?」
「そうですね、そうしましょう。」
有名チェーン店の喫茶店は、当然というか混み合っている。
「席ありますかね?」
「先に確認すべきだったな。ちょっと見てくる。」
「お願いします。」
そこまで広くないからすぐに店内を見渡すことができたが、店内の席は埋まっていた。
しかし夏場で気温が高いため、外の席は少しだけ空いていた。
「祥太郎さん、何にします?」
「カプチーノにしようかな。」
「え、普通のコーヒーじゃないんですか?」
びっくりした未来に、さすがに苦笑いを隠すことができなかった。
「いつもブラックコーヒーを飲んでいるわけじゃないから。せっかくだし、気分変え
てみようかなって思うときだってあるよ。」
「す、すみません。」
後ろに並んでいる人がいるからと言って急いで決めたメニューを持って、屋外のテラス席へと向かう。
「それではこれより、アシカショーを開催します!」
「え?」
前方の広場に、やけに人だかりができてるなと思っていたら、タイミングが良かったようだ。
しかも僕達が座っている席から、ちょうどショーの様子が見えた。
元気な飼育員さんとアシカが、息ぴったりといった様子で観客を魅了していく。
他の有名な水族館に比べると、敷地面積の関係で小規模なショーだが、子供たちの歓喜の声が響いていた。
「…凄いです。」
「そうだね。」
先ほどまでとは違って、少ししみじみとした声色になった未来を見て、いろいろと考えさせられた。
(多分どこに行っても、こういうことって感じるんだろうな。}
共存という考え方は、人間の理性が一番邪魔をしているのかもしれない。
しばらくの間会話もなくショーを見ていたが、一つ思うことがあった。
「静かな時間も、結構いいかも。」
自然とそう口に出てしまった自分に少し驚いたが、
「ふふっ。私も同じこと思っていました。」
未来も同じ気持ちだったようだ。
「いいですね、こういうのって。」
「ああ。」
こう思えるのも、心に余裕ができたからこそなんだろう。
ショーがクライマックスを迎えようとしていた。
元気にはしゃいでいる子どもたちの目ほど、輝いているものはない。
「子供って、いいですよね…。」
「だな…。」
少しセンチメンタルな雰囲気になったところで話を切り替えた。
「多分ここで終わりだと思うけど、これからどうしようか。」
「そうですね…。」
「とりあえずお昼食べようか。」
「はいっ。」
20分ほどのアシカショーを観覧してから、建物内を見てまわって、適当なパンケーキショップに入った。
「この類の店はー…、あんまり詳しくないんだけど、大丈夫?」
「大丈夫ですっ。」
「そ、そう?」
「私もよくわからないのでっ。」
今日の未来は…、何というかとってもテンションが高い。
楽しんでくれていることが分かるので、僕としても嬉しい限りなのだが、ここまで目を輝かせている未来は初めて見るので、少し不思議な感覚だ。
「一人だったら絶対入らなかったな、こういう店。」
「あははっ。敷居高いですよね。」
(それにしても…。}
「女性客ばかりだな。」
そんなことを呟いていると、店員さんがオーダーを取りに来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「あ、えっとー…、未来決まった?」
困っている顔を見る限り、決まっていないのは明らかだった。
そんな僕達の様子を見た店員さんがお勧めしてくれたのが、甘さ控えめのベリーソースとホイップクリームがたっぷりかかったパンケーキ。
素材の甘さが際立っていて、甘いものが苦手な男の人でも食べやすいと評判になって、それからはカップルで来店したお客さんによく勧めているのだそうだ。
未来は「それにしますっ。」といっていたので、自分はどうしようかと改めてメニュー表を見たものの、やはりよく分からなかったので、バターとメープルシロップがかかった、一番オーソドックスなものを選んだ。
オーダーを取り終えて席を離れていく店員さんを見て、思うところがあった。
「前に行ったショッピングモールの店員さん覚えてる?」
「はい。」
「さっきの店員さんもだけどさ、みんな僕達のことを恋人同士だと思って接してくれ
るよね。」
「それ、私も思ってました。学校とは違うんだなーって。きっと色んな人がきている
んでしょうね。」
(大都市ならではの感覚なのだろうか?)
ついつい地元と比べてしまう癖が、また発動してしまった。
「あれ、祥太郎さん。スマホに通知来てますけど…。」
「ん、ああー。放っておいていいよ。」
「そうなんですか?」
「どうせ母さんからだろうし、後で確認すればいいでしょ。」
「えっと…、電話ではないでしょうか?」
「え?」
慌ててロックを解除してみると…、とある人物からの着信だった。
とりあえず母親からの着信ではないことに安堵して、勢いよく赤い電話マークを押して、静かにズボンのポケットにしまった。
「よかったんですか?」
「うん。家に帰ってから折り返しかけなおすよ。」
「…どなたからだったんですか?」
「んー、遠い親戚からだよ。」
それなら尚更出ないといけないのでは?と言わんばかりの表情をしている未来の気を何とか逸らしたくて、まったく違う話をしようかと思っていた時、ズボンの中のスマホがまた振動した。
(………。)
今までにも幾度となく連絡が来ていたが、そのすべてを無視し続けてきた。
それはこの人に限らず、家族を含め地元の人すべての連絡を無視し続けている状況だ。
「私もそろそろお母さんとお父さんに連絡しないと…。」
「遠くで一人暮らし始めると、意外と連絡ってしなくなるものだよね。」
「そうですね。私も連絡しないとって思いつつ、まだ一度もしていないんです。」
二年生の時に一人で上京してきたってことは何か理由があるのだろうし、別に深く聞こうとは思わないが、共通の話題が増えて少し嬉しくなった。
それから数分で運ばれてきたパンケーキは、それはもう…、映えという言葉がピッタリなほどに、豪華で美味しそうだった。
「SNSをやりこんでいる人だと、また違う目線になるのかな?」
「そうですね…。私はすべての人が違う目線になるのかなって思います。」
「そうなの?」
「少なくとも、私はそれが料理するうえでの楽しみの一つなのかもって思います。」
なるほど、と腑に落ちた気がした。
僕も実家にいたころはよく料理を作っていたが、食べてくれる人が限られていたのでこういう考えは持ったことがなかった。
以前、未来の実家は料理屋さんを営んでいると聞いた。
その生い立ちも、少なからず影響しているに違いないと思っていいだろう。
「祥太郎さんっ。」
「ああごめん。どうした?」
「早く食べたいですっ。」
僕の癖…、というよりは多くの人が同じような状態になると思うが、考え事をしていると下を向きがちになる。
水族館の時と同様、今日の未来は、人格が変わっているとカミングアウトされても驚かないくらい、ハイテンションになっているのが、気になるといえば気になる。
それでも今日のデートを楽しんでもらえているなら、それほど嬉しいことは無い。
「食べよっか。」
「はい!」
隣に座っている女性客二人が、とてもほほえましい表情で未来のことを見ていた。
美味しそうに食べている未来を見ている僕も、きっと同じような目をしているのだろう。
「祥太郎さん、私のパンケーキ食べますか?」
「へ?」
「はい、どーぞっ。」
「う、うん。ありがとう…。」
少し照れくさかったが、お言葉に甘えていただくことに。
「…美味しいね。」
「祥太郎さん、パンケーキって好きだったんですか?」
「いや、正直に言うとホットケーキとの違いが分からないままこの店に入っちゃったんだけど、全然別ものなんだね。結構好きかも。」
「それじゃあ、今日私の家に来てください!私もパンケーキ作れますのでっ。」
「え、今日?」
急なお誘いでしかも夕食もパンケーキ。
(………。)
少し悩んだが、せっかくの機会だしお邪魔させてもらうことにした。
パンケーキといっても、このお店のメニューを見た限りでは、食事系のバリエーションも豊富だったため、夕食もパンケーキだったとしても悪くないと思ったのも一つの理由だ。
しかし一番の理由は、未来の方からお誘いを受けたからという至極単純で明快なものだった。
「それにしても…。」
テレビで見ていたから存在こそ知っていたものの、食べてみてこの凄さを思い知らされた。
「なんでこんなふわふわ…、というのはメレンゲだよな。」
「そうですね、それが肝だと思います。」
「…そうだ。夜ご飯、一緒に作らない?」
「え…?」
途端に不安な表情になった未来。
(そうだ、忘れてた…。)
「好きな人と一緒に台所に立つのが憧れでさ。だめかな?」
そっと手を握って話してみたところ、ボッと顔を赤ながら静かにうなづいてくれた。
完全に口説くような感じになってしまったが、OKをもらうことができてよかった。
今日の未来は本当に生き生きしている。
これが本来の未来の姿なのかはまだ分からないが、とっても可愛いことには変わりなかったので、深く考えることはやめた。
帰り道。
入学と同時に上京してきたから、既に東京で一年以上暮らしていることになる。
電車一本で来れるこの場所は何回か来たことがあるが、それでも知らないことがまだまだあることに驚いた。
(東京って凄いな…。)
「東京って凄いですね。」
偶然か必然かわからないが、同じことを未来も感じていたようだった。
「人の密度は凄いのに、さっぱりとしてます。」
「…同感だ。」
きっとそれは、色々な人が暮らしているからなんだと思う。
悪く言うと、ドライな関係であるとも捉えられるが、今の僕たちにはこの空気感が合っていると強く感じている。
「都会って眠らないって聞いたことありますけど、本当なのでしょうか?」
「どうだろう…。もう少し大人になったら、夜通しデートしてみる?」
「いいですね。私たち、ずーっと一緒です。」
絡めていた腕をさらに絡めてくるものだから、密着度が増しに増してドキドキしてしまう。
「そうだ。僕の好みに合わせてくれてるのは嬉しいけど、自分の好きな服装で全然い
いからね?」
テンションの高さでかき消されるところだったが、今日の未来の服装は薄手の生地のショートパンツに可愛いキャラクターの描かれたTシャツという、ラフな格好だ。
あまり女性らしさが前面に出ている服装の女性が好みでないと、少し前にさらっと僕が言ってしまったことがあって、どうもそれを気にしてしまっているようでならなかった。
「私自身、そこまでお洋服に頓着があるほうではないんですよ。ですので、ある程度
服装を指定していただいたほうが、私としては嬉しいんです。」
意外だったが、勝手に自分が思っていただけだったので、ただの勘違いだったと言ってしまえばそれまでだ。
「それならよかったよ。」
「えへへっ。」
帰りの電車は街の喧騒を無かったことにするくらいの静けさで、隣で眠っている未来の寝息が鮮明に聞こえてくる。
各駅に停まる電車は、急行などの優等列車との待ち合わせのたびに、主要駅で数分間の停車時間がある。
そしてその時に限って、床下の冷却ファンのようなものが勢いよく回転するのだ。
鉄道のことはあまり詳しくないのだが、停車をしているときに冷却をするのが効率がいいのだろうか。
「ん、んん…。」
その度に未来が目を覚ましそうになるので、安心させようと頭を撫でる。
(なんか、妹をあやしているときに似てる…。)
その時に、一つの仮説が心の中に現れた。
未来のご両親は、事業で忙しいと言っていた。
おばあちゃんが面倒を見てくれたと未来が言っていたが、恐らく…、いや、きっとご両親に甘えたいという感情を強く抱いていたのかもしれない。
(時間がある時に調べてみるか。)
さすがに今、スマホで調べようとは思わない。
今はこの雰囲気に浸っていたいと、心の底から思えるくらいに、今の僕の心の充実度が半端なかった。
とはいえずっと未来の頭を撫でているのは、傍から見るとさすがに気持ちが悪いと思うので、パンケーキの作り方を検索してみた。
(結構難しそう…。)
調べて数分でそう感じたが、そのほうが未来とのコミュニケーションがとれるから、良いのかもしれない。
(格好悪いことだけしないようにすればいいか。)
考え事をしていると時間が早く進むもので、最寄り駅に着いた僕たちは未来の家に行こうとしていた。
時刻は午後六時を過ぎるころで、夏場のこの時刻は何とも言えない黄昏空が漂っている。
「せっかくですし、お泊りしていってください。」
「お、いいね。それだったら一度家に戻ってもいい?着替えとか持ってくるよ。」
「もちろんです。私も一緒に行ってもいいですか?」
「いいよ。どうせなら何着か持って行ってもいい?これから何泊かできるように
さ。」
「………はいっ!」
頬を摺り寄せて嬉しさを表現してくる未来は、たとえ何回見たとしても飽きないだろう。
ゆっくりとした後取で歩いてアパートの前まで来たときに、異変に気が付いた。
「あれ、電気がついてる…。」
「消し忘れた、とかでしょうか?」
「いやー、そんなこと無いはず…。」
少し怖いが恐る恐る玄関の取っ手に手をかけた。
(開いてる…。)
一体誰だ?と思いながら、未来を玄関の外に残して部屋に入ってみると、
「あ、やっと帰ってきたー。遅いよ祥ちゃん。」
(………。)
「あれ、祥ちゃーん?何でフリーズしてるの?」
「何ではこっちのセリフだ。なんでお前がいるんだどうやって部屋に入った!」
今一番会いたくないやつが、なぜか僕の家に侵入していた。
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