蠟人形

故水小辰

蠟人形

 白い肌、後ろに撫でつけた色の薄い銀髪、淡い琥珀色の瞳。見えている肌には傷痕がいくつも残っている。細く長い胴体にまとうのは細身のシャツとベストとパンツ、触れば折れそうな腿にはホルスターに入った銃が入っている。

 俺はこの銃を、あいつが持っていたそのままに人形の腿にも巻いた。弾も火薬もそのまま、撃鉄を起こして引き金を引けばすぐにでも壁に風穴を開けられる。ちょうど、こいつの胸に開いた小さな穴のように――あの日、俺はこいつの胸を撃った。ボタンの空いたシャツの胸元のをめくれば、この人形の胸にもその穴がある。あいつを模した蠟人形はあの日のあいつそのままに、憂いを帯びた目で今日も俺を睨んでいる。



 荒野に四方を囲まれたこの町では、銃を扱えることは呼吸の次に重要だ。いつ何が襲ってくるとも知れぬ中、俺とあいつは町一番の狩人だった。あいつの方が俺より上だったかもしれない。どんな銃でもあいつが持てば言うことを聞いたし、あいつは決して獲物を外さなかった。コヨーテも狼も、町を脅かす厄介者でさえ、皆あいつの一発で血を流す肉塊と化した。だが、あいつは仕留めた獲物を見るたびに懺悔の言葉を呟いた。俺がなぜと尋ねると、あいつは決まって答えた。

「神の創造物を破壊したからだ」

 だが、神は俺たちを地上を支配させるべく作ったのだろう。全ての獣は俺たち人間に従うようにとかなんとか、聖書には書いてあるじゃないか。俺がそう言い返すと、あいつは決まって首を横に振った。

「地上の命を支配するというのは、自分の勝手で命を殺すことではない」

 また別のときには、あいつはこうも言った。

「私が常に一撃で仕留めるのは余計な苦しみを与えないためだ」

「分からねえな。向こうもこっちも生きてるんだから外したってしょうがないだろうさ」

「それは嗜虐の言い訳だ」

 あいつはそう言うと、グラスの酒をあおったきり口を利こうとしなかった。


 あいつに言わせれば、俺には一抹の嗜虐趣味があるらしい。たしかに、俺は厄介者を殺すときはわざと急所を外したり、苦しんで死ぬ場所を撃ってやったりした――だがそれはあいつらが俺たちに危害を加えたことへの賠償、払うべき迷惑料なんじゃないのか。そうは言ってもあいつには分かってもらえなかった。今思えば、なぜいつも一緒に狩りに出て、町を巡回していたのかというほど俺たちは意見が合わなかった。必要最低限の言葉の応酬だけで銃を扱う、その沈黙が心地よかったのかもしれない。一撃で苦しまないようにしてやるとか、崇高なものを壊しているとか、そんなことは俺は一度も思ったことがなかった。何者も撃てば死ぬ。だから殺すために撃つ。こうしないと俺は町を守れない。だから撃つ。ときには見せしめとして苦しませることも必要だ。だから苦しむように撃つ。神は地上の獣を支配するために、人に銃という武器を作り出すだけの能を与えたのだからこうすることも神の思し召しどおりだろう。俺はそう思っていたが、そのことであいつと口論しようとはしなかった。意見が合わないことは分かっていたし、何より俺はあいつと口論したくなかった。俺たちはただ、無言のうちに互いの背中を守れたらいいのだから、口論やら要らない感情やらを挟む必要はないと思っていた。


 あるとき、俺が仕留め損ねたグリズリーがあいつを襲った。あいつは肌を食いちぎられながらもグリズリーの急所を撃ち抜いた――驚くべき手腕だった。だがそのときに、俺たちの中で何かが狂ったのだと思う。そうでなければ、なんでまた死んだ男の蠟人形なんて作って眺めなきゃいけないんだ。

 俺は夢中になってあいつの傷をハンカチで覆い、町の病院まで背負っていった。あいつは背ばかり高くて子供のように軽い。それなのに、俺が背負ってもつま先が地面をこするほどあいつは脚が長かった。町の医者は血まみれのあいつと、あいつの血でどろどろに汚れた俺を見て血相を変えた。あいつは生き残ったが、高熱を出して何日もうなされていた。俺はあいつにずっとついて、血と膿の滲む包帯を逐一替えてやった。額のタオルが乾けばすぐに濡らしてやった。あいつが目を覚ましたらすぐに謝った。俺のせいだと言って、頭を地面につけて謝った。だがあいつは何も言わなかった。一言、もう少し休ませてほしいとだけ答えた。

 俺はグリズリーの一件で、あいつの美学が俺なりに分かったような心地になっていた。俺が仕留め損ねることで余計なものまで死なせかけるというのはたしかに気持ちの良いものではなかった。獲物が苦しむだけならともかく、支配者たる俺たちの誰かまで苦しませるというのは良いことではないだろう。


 ところが、あいつはグリズリーの一件以来、頻繁に獲物を外すようになった。足元を撃ったり急所を外したり、一撃で仕留める回数はゼロに近くなった。あいつは顔をしかめて俺にも聞こえないほどの小声で悪態をつき、狩りから戻ると部屋に閉じこもってひたすら懺悔の祈りを呟くようになった。反面、俺はあいつに傷を負わせたくない一心で一撃で仕留める回数が増えた。あいつはそんな俺を見て、「それでいい」と呟いた。

 俺は間抜けになったような気分だった。一撃で獲物を仕留めるあいつの哲学は抜け殻となって消えてしまった。神の創造を破壊しているからと、崇高な理由を並べていたあいつはどこに行ってしまったんだ? まるで神の使者であるかのように、あいつなりの慈悲でもって銃を撃っていたあいつはどこに行ってしまったんだ。慈悲を失ったあいつは地に堕ちた天使も同然、俺の中であいつは急激に光を失っていった。こんなはずではなかった。俺はあいつの慈悲では補いきれない嗜虐を背負っていたんじゃなかったのか。それとも、俺があいつをこうしてしまったのか――あのとき、俺がグリズリーを一撃で仕留めていたら、あいつは今日も無慈悲の慈悲を指先に込めて引き金を引いていたのではないか。

 俺の問いにあいつが答えることはなかった。あいつはただ首を横に振って、柵の上に並べた空き瓶を驚くべき正確さで撃ち抜くばかりだった。命のないものに対しては、あいつの銃は以前のように言うことを聞いた。でも、こんなのはあいつじゃない。あいつが一撃で撃ち抜くべきは命あるもので、あいつは一抹の慈悲とともに死をもたらすために銃を持っているはずだ。

 俺はある日、酔った勢いでそのことをあいつに言った。あいつは首を振って「それは違う」と言いつのったが、俺が引き下がることはなかった。とうとうあいつは腿のホルスターに入った銃を抜いて俺に突き付けた。俺も反射的に銃を抜いた。

「ならここで決着をつけようじゃないか。俺とお前、正しい方が相手を殺せる」

 俺の言葉に、あいつは「いいだろう」とだけ答えた。こんなときでもあいつが多くを語ることはない――俺たちは一歩ずつ距離を取って、振り返ると同時に引き金を引いた。



 それから、俺は町にやってきた蠟人形師にあいつの人形を作るよう頼んだ。

 あいつを模した蠟人形はあの日のあいつそのままに、憂いを帯びた目で今日も俺を睨んでいる。

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蠟人形 故水小辰 @kotako

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