0 演技と創作

 無機質な部屋に若い男を一人残して、女は室外へと出る。外も部屋と負けず劣らずの無機質さが続いている空間だった。

「あら、上郷さんじゃありませんか。いらしていたんですね」

 彼女は白いリノリウムの廊下で様子を伺っていた壮年の男性に会釈を返す。

「ええ、はい。一応、私が監督役ということになっておりますので、経過ぐらいは確認しておかなければと思いまして」

 上郷と呼ばれた壮年の男は、腰を低くして何度も頭をさげる。水色の作業着にワイシャツとスラックスといった、公務員然とした格好にその態度はよく似合っていた。胸には白井と刻印されたネームプレートをピンでとめている。市役所の職員という設定は彼にとって、いわばはまり役だった。

「熱心なことで、頭が下がりますわ。中の彼を確認なさいますか?」

 彼女は扉を半分ほど開いて中をのぞかせた。

 机と椅子がひと揃いあるだけの部屋に、腰掛けた若い男。彼は体を椅子に縛り付けられた状態で、項垂れ、意識をもうろうとさせている。半分睡眠半分覚醒の、明晰夢をみている状態に近い。彼の頭にはヘルメット状の機器――ヘッドマウントディスプレイとヘッドホンを一体化したもの――が装着されている。三次元の立体的な映像を、臨場感満点で体験することができる、という代物だ。視覚と聴覚に限られるが、いわゆる疑似体験装置の一種。若い男はその疑似的な悪夢のなかでうなされていた。

「首尾は上々です。換魂の儀式は全行程が完了しました。彼には指定された通りの設定と記憶が刷り込まれた状態で、あとは意識の覚醒を待つだけです。今彼は夢の中で、押し込まれたちぐはぐな情報を、ひとりでに都合よく解釈している最中でしょうね。夢の作用とでもいいますか、記憶の整理中といったところで。無理のある所も納得できる形で咀嚼して呑み込む。人間とはまったくいい加減な生き物だと痛感しますよ」

「ああ、それはよかった。なら、デバイスは今のうちに取り外しておきましょうかね」

 上郷は男を起こさないように、おぼつかない手つきでベルトを調整してヘルメットを取り外す。

「しかし、面白いものですね。ほんのすこし前後不覚にしてあげるだけで、こうも上手く行くとは。最新デバイスのリアリティのなせる業とでもいうのでしょうか。夢と回想に上手く接続して、架空の記憶を疑似体験させるとは。私は洗脳や催眠術の専門家ではありませんから、今回のことで人間の記憶の脆さというものを実感させられました」

「いやいや、そんなご謙遜を。あなたの演技のすばらしさは折り紙付きですよ。現実と架空の記憶を繋ぐ接着剤として、どうしても記憶の水先案内人が必要だったのです。ねつ造した映像をみせたとしても、あまりに現実や彼の元々ある記憶と乖離していると、現実感がない、となってうまく刷り込みができないのです。摩擦係数を減らす、とでもいいましょうか」

 上郷は現実と空想を滑らかに繋ぐ、没入感の難しさを語って聞かせる。

「要は違和感をいかに呑み込ませるかなのですよ。そのためには架空の記憶に現実との接点を多く設ける必要があります。その点彼は、一度瑞尾村を訪れた経験がありますから、馴染ませることは難しくありません。少々村での出来事を過剰に演出してみたり、現実のほうでもアプローチはかけておりましたから」

 ヘルメットを取り外された若い男は、開いた目の焦点が定まっていない。盛られた薬が彼を昏睡と酩酊の狭間に閉じ込めているのだ。

「新しい取り組みですわ。テーマパークの来場客を次の出演者としてキャスティングする。そして出演者自身が客足を確保する。客足が途切れずに連鎖し続け、その上、コントロールもできる。規模が拡大していかないことは通常の商売においてネックですが、村と祭祀の存続においては、なんら問題ないですものね」

「いやいや、本職の方にそう言ってもらえるのは恐縮致しますなぁ。私共はただ、因習村を心行くまで楽しんだ人間こそが、次なるお客様により因習村の魅力を伝えることができると考えたまで。実はそこまで深くは考えていなかったのです。当初、因習村のキャストはちゃんとしたプロの役者に依頼する案もあったのですが、さすがに堅気の方を安易に引き入れることはできない、ということになりまして。限られた中での、苦肉の策でもあったのですよ」

 女は得心いったという風に、何度も頷く。

「それもそうですね。換魂の儀式を私のようなものに依頼されるぐらいですから。ですが、いい経験をさせてもらいました。色々と勉強にもなりましたし。今回の様子はすべて記録してありますので、今後の儀式にお役立てください。マニュアル作りの参考にもなるはずです」

「いやぁ、何から何までありがとうございます。さすがは噂に名高い言霊使い、戯言虚有子さんです。刷り込みがお得意だというのは本当でしたねぇ。依頼して大正解ですよ」

「大袈裟です。私は単なる詐欺師ですから」

 ふたりは小さく肩を揺らして笑みをこぼす。部屋陰に溶けて、暗がりを濃くするような微笑。

 戯言虚有子は仕事を終えた。それでは、とあいさつを交わして出て行こうとする。ふと、扉で足を止めて上郷を振り返る。

「最後にひとつだけ、質問しても?」

「はい、なんでしょうか」

「この記憶……因習村の出来事はどこまでが現実に起こったことで、どこからが創り物だったのですか?」

 その質問を前に、上郷はいやらしく口の端を歪めた。

「嫌だなぁ、テーマパークはネタバレ厳禁ですよ」

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