3 本祭をもりあげよう(4)

 それは祭壇と呼ぶにはあまりに実用に特化していた。

 注連縄で囲まれた空間には焼き煉瓦つくりの土台と人間大の鉄板プレートが鎮座している。竈型に組まれた鉄板の下では、薪によって火が入れられていた。珍妙な光景の取り合わせだ。護摩焚きをする僧侶と、屋台で見事な調理を披露するライブクッキングの取り合わせ。唱えられる呪文は鉄板の上ではぜる油にとって代わり、神妙なお香の薫りは肉の香ばしさに塗り替えられた。

 初詣の境内を凝縮したような場とでもいうべきか。祭祀を執り行う拝殿と参拝客の人混み、参道で賑わう屋台の列を一か所に集めて掛け合わせた。そんな風変わりな祭壇が、公民館前の広場に設置されていた。祭壇の前には供食のための長机と椅子。祭壇を中心に、ひし形で取り囲む並び。白い絹のテーブルクロスが風にたなびいている。ぼくはその特等席、祭壇を中央正面に向かい合った位置で儀式を眺める。

 神輿から取り出され、三方に和紙を噛ませたうえに載せられた肉が、うやうやしく掲げられて祭壇に運ばれる。部位ごとに切り分けられた肉、骨、皮、内臓、そして切り落とされただけの頭部。列の最後尾には甕に入れられた血液。余すところなく仕分けられた身体が、祭壇である鉄板の前にしつらえられた檜造りの調理台に陳列される。

 檜舞台で横一列に並んだパーツたち。生首を中央にして、臓器ごとに分けた内臓、肩、腕、胸、脇腹、腹直、広背、腿、尻、ふくらはぎ、手首、足首、骨の順で並んでいる。砕いた氷の保冷材を下に敷いて、和紙を折った覆いを被せられる。半眼に開いた美折の生首だけがこちらを見つめている。生気のない、濁った眼球と目が合い続けている。

 恨み言でもいいたいのか。死の苦痛を漏らしているのか。少しだけ隙間のあいた唇から呪詛がだだ漏れになっている気がしてならない。なにか言うことがあるとして、きっとぼくへの憎しみに違いないから。

 不思議と生々しさやグロテスクさは感じない。ぼくらがスーパーでみているいつもの光景と似ているからかもしれない。頭だって店先に並んだ調理前のチラガーみたいなものだ。高校の修学旅行で訪れた沖縄の精肉店の様子が記憶からこぼれて連想させる。どこかコミカルで、生命や殺害、死体という生々しい概念から遠く、現実離れした感覚を与えた。

 まさか、今から人間を食べます、だなんて陰惨な雰囲気は微塵もないのだ。

「幸いにも好天に恵まれ、雲一つない青空の下で饗餐きょうさんにあずかれること、この上ない喜びでございます」

 頤村長の開式の挨拶の最中にも、役割分担された調理人たちが洗練された無駄のない動線で作業を進めていく。

 まずは肉の下処理。ブロックごとに分割されただけの肉に対して、余分な筋や脂肪を取り除き掃除をする。美折はやせ形でそれほど皮下脂肪が多い方ではないけれど、やはり女性らしいなだらかな曲線をもっていた。特に胸肉は乳房と筋肉を切り分ける作業があり、手慣れた調理人の包丁さばきに見入ってしまうほどだった。刃を入れられた筋肉の断面は、空気に触れて鮮やかな紅赤に発色する。今しがた殺されたばかりの肉は、耳に残った叫び声が聞こえてきそうなほど新鮮だ。

 同時並行で進む調理。一番早く出来上がりそうなのは皮を使った品だ。

 剥ぎ取られた皮は一度水に晒されたあと、角質を取り除いて切り分けられる。一部はさっと湯引きする。二度三度湯をくぐらせたあと、折り畳まれて細切りに。もみじおろしをのせ、垂らした酢醤油と和える。最後に柑橘の汁を絞って小鉢に盛られる。

 一方では切れ込みを入れた皮をガスバーナーであぶりにする。火に撫でられた先から、皮下脂肪が泡をたて皮が縮み上がる。熱が冷めないうちに一口大にカットされ、握りのネタとして舎利にのる。刷毛でたれをぬられたら、美折人皮のあぶり握りの完成。

 突き出しとしてサーブされる皮の細切りと前菜の人皮あぶりの握り。

 細切りの爽やかな酸味は、清涼とした深山の渓流を思わせる。山歩きの疲労感を洗い流す味で、茹で過ぎない絶妙な火加減の皮の、シャキシャキとした歯ごたえがよい。噛み応えがあると、ここは尻皮だな、すねか腕の皮だな、とか。柔らかいと内腿か、腹か、脇下だな、とか。考えながら噛み締めるのも悪くない。

 あぶりの握りはさらに良い。一口噛むと、舎利と焼けた表皮に挟まれた皮下脂肪が溶け出して、舌の上で唾液と絡まる。薄めのタレが脂のほのかな甘みを引き出して邪魔しない。人の味を計算して考えられた配合に、素直に感嘆の息を漏らした。一口食べると、もう一口と欲しくなる。さっぱりとした逸品だからいくらでも入りそうになる。しかし、参列者も多く、ひとり二貫しかない貴重な珍味。もっと食べたい、と思う間に次の料理がはじまる。

 胸骨や腸骨、大腿骨を割って取り出した骨髄を出汁として寸胴で煮込む。そこへ塩もみ、水路で洗浄を終え、汚れを吐き出させた胃と食道を輪切りにして投入。村仕込みの白濁したどぶろくと濾してペーストにした肝臓を加え、加熱し過ぎないように火から上げて優しく対流させる。クリーミィな桃色のポタージュが出来上がりだ。

 椀によそい、仕上げに三つ葉を浮かべたお洒落なスープ。脇に添えられた小皿には、蒸してほぐした胸肉がふたきれ添えられ、ディップして食べられるようになっていた。

 一口すくい口へと運ぶ。淡い色合に対して、濃厚な味わい。凝縮した肉の出汁が強いインパクトとなって胃を刺激する。新鮮で血抜きの処理がしっかりなされていたためか、生臭さは感じない。白濁酒との愛称もいいのか、日本酒の出汁割を煮詰めてとろみを出した味がする。そこにあっさりとした蒸し胸肉のあわせ。ほろりとした食感に絡まるポタージュ。満足感のある組み合わせに、気付けばあっという間に食べ終えていた。

 食卓を囲む村人たちも、次はまだかと待ちきれない様子。ナイフとフォークがない代わりに、箸を握り締めて料理を見守る。料理人たちの鮮やかな手並みに唾を呑み、漂う薫りと想像で消化を促す。

 ここらでひとつ、とお約束を外してごはんものを準備する料理人。とうとう主戦場である鉄板が活躍する場面になり、ぼくも待ちきれずに腰を浮かして祭壇を凝視する。

 切り分けられていた乳房の脂肪が鉄板に落とされる。細かく泡立つ繊細な脂が爆ぜ、料理人はコテを使って脂肪を砕いて鉄板に馴染ませる。十分にあったまったところで数種類の茸を豪快に落とし、余計なかき混ぜ動作をせずにじっくりと炒めていく。幸運なことに今日は無風。風で香りが飛ばされる心配はない。おかげであたり一面に、森のむせ返る香気が漂い始める。茸の薫りが出たところで、茸を一度脇によけ、刻みニンニクと玉ねぎのみじん切り、ミンチにした臀部の肉を躍らせる。

 軽快なコテに合わせて食材たちが鉄板の舞台で弾ける。

 ずいぶんと景気のいい神楽舞だ。

 塩コショウの調味とコクを出すための血液のシャワー。かき混ぜる腕の振るいで水蒸気が回る。そして、ついに白米の投入。味と香りの染みついた脂が米に絡む。最後に茸と合わさり、器に盛られる。お終いに白髪ねぎがのったら完成だ。

 目の前で湯気をあげる焼き飯。調理する過程を目の当たりにしたからこそ、より強く食欲がそそられる。塩コショウに、ニンニクと血液のみというそっけない味つけに、むしろ食材への自信のほどを感じる。これはメインディッシュへ進むための助走でしかないのだと実感させられる。しかしながら、決して味が劣るものではない。

 一口含み、ぼくは自分の勘違いを正した。

 この焼き飯は味以前に、香りを食べるためのものだった。口蓋の奥から、湯気とともに香りが鼻を突き抜けていった。人脂で揚げられたニンニクの香ばしい刺激と生木の幹を剥がしたような素朴で上品な茸の風味。そして血の醸す獣臭さ。濃い味付けでないからこそ、白米にのり繊細に絡んだ香りのすべてを読み解くことができた。調和とはまた違う共存の形。異なる性格のジャム・セッション。計算づくじゃない、香りの殴り合い。あえて喧嘩させることで生まれる高め合いの一皿。確かに旨いと唸らせる。

「美折、おいしい……美折、おいしいよ」

 ぼくは思わずつぶやいた。

 そして、最後にとうとうやってきた。

 皆、確信していた。メインディッシュはステーキをおいて他にないということを。

 ひとつ残念なことがあるとすれば、人数の関係上、自分の元へどの部位の肉が配膳されるのか選べないということだ。料理人の手際と技術は間違いない。部位の肉質ごとに焼き加減を変えるだろうから、味に落ち度はない。そこは信頼してもよさそうだ。ぼく自身が、美折の体すべてを、余すことなく最高の形で味わいきれないことが悔しいのだ。

 切り出された親指程度の厚みがある肉切れ。焼き飯と同じく、乳房の脂肪を鉄板に落として溶かすことで、調理の幕切れとなる。薪と息で火力を吹き上げる竈の火番。調節の難しい焚き火調理を額に汗して支えている。溶けた脂が細かく泡立ちはじめ、鉄板の準備が完了したことを伝える。ついに肉が投下されるときがきた。

 じゅわぁッ、と歓声が沸き上がる。

 人間の肉は牛肉のように細かなサシが入っていないので、焼き過ぎには注意しないといけない。さっと数十秒間、強火になっている鉄板の中心で両の表面を焦がすと、肉を温度の低い脇へとずらして中への火入れをじっくりと行う。ステーキ肉が次々と並べられ、機械的にひっくり返される。その間に別の料理人がソースづくりに着手する。

 手を付けられたのは梟首状態になっていた美折の生首。薪割斧で一刀のもとかち割られ、断面が空気にさらされる。料理人は脳をしゃもじで手際よく掬いだすと、手早く裏漉ししてペースト状にする。そこへ血と肉汁を加え、ムースになるまで細かく泡立てる。見た目にも鮮やかな薄紅のソースが出来上がる。

 焼き上がりを判断されたステーキは塩コショウを振りかけられ、斜めにカット、プレートに盛られる。肉が仕上がると、流れ作業でソースをかけられる。波打つように薄紅のソースをまとい、最後に添えられた新緑のカタバミの葉。小さな黄色い花がアクセントとなり、美しい見栄えが肉を引き立てる。

 ステーキを載せたプレートがぼくの席に運ばれてくる。

 この饗餐のなかで、もっとも特別な一皿。現人神、上郷美折のステーキ。

 芳ばしく色づいた表面と、血のにじむような赤身のコントラスト。脳のムースを絡めた一切れを、緊張で震える箸先で摘み上げる。

 ふと、疑問が湧きあがる。

 ぼくはなにを食べようとしているのだろうか。お腹は確かに空いているかもしれないけれど。彼女が捌かれるところをみた。美折の顔が叩き割られて、脳を掬いだされて調理される場面もしっかりと目に焼き付けた。でも、どこか、目の前のステーキ肉と、彼女の笑顔が結びつかないのだ。傷だらけだったあの人の肢体が、こんなにも美味しそうなことが不思議でならないのだ。そもそも人間が人間を食べる行為は、おかしなものではないか?

 ここはテーマパークだから。創り物の世界観だから。おかしなことも起こるさ。

 そういう設定なんだ。そういう文化の土地なんだ。

 だから、なにもおかしいことはない。

 あぁ、そうだよね。何度も言い聞かせたじゃないか。

「いただきます」

 噛み締めた彼女からはじわりと肉汁が溢れ出して、思ったよりも脂の旨味がのっているな、やっぱり女の子だから柔らかいのかな、なんてことを考えながら。

「おいしい……おいしいねぇ」

 なぜか、涙なんか流して。

 村人たちも感涙にむせぶ。

 ぼくは? ぼくはなぜ泣いているのだろう。

 美味しい食べ物に感謝して?

 神様と同化できる喜びから?

 美折が死んでしまって悲しいから?

 どれも違う気がする。うまく言い表せないのは、彼女の肉が美味しすぎたせい。まろやかな脳のムースが舌に絡むせい。

 ありがとゥ。ありがとぉ!

 村人たちが口々に感謝を叫ぶ。

 こんなことで豊かさの恵みに対する感謝など抱けるのだろうか。どちらかというと、欲望を満たしきった達成感と虚脱からくる、後味のような感謝の言葉だった。

「美折、ありがとう。おいしかったよ」

 でも、何故だろう。

 彼女の顔が、もう上手く思い出せないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る