0 記憶
「なるほど、道理で現地を探してもみつからないわけだ」
若い女は得心いったという風に、深く何度も頷いた。
「あなたが食べてしまったんだね。食べて、その痕跡を消し去ってしまったんだね? 来馬正巳。瑞上神社の御神体である、はじまりの上郷美折を」
「俺が……俺一人が悪いわけじゃない。俺一人が、美折を殺そうとしたわけじゃない。殺すことは決まっていたんだ。あいつはこの世に存在してはいけなかったから。仕方ない。仕方ないんだ。でも、ほんのちょっと口にする権利くらいはあったんだ。俺だって彼女を信じていたから。神様を口にする権利があっても悪くないはずだ」
無機質な取調室には、簡素な事務机を挟み、女がひとりと男がひとり座っている。ほかには誰もおらず、なにも置かれていない。女は手入れされた人差し指の爪でアルミ板の机を叩いた。硬質な音が秒針のように、一定の間隔で、正確なリズムを刻んでいる。
「ようやく核心まで辿り着くことができた。あなたたちの記憶は絡み合って、ひとつの物語として再構成されていた。おかげで読み解くのに苦労したよ。事前に持っていた情報と照らし合わせないと、どちらの記憶の断片なのか区別がつかないからね。精神分析のために聞き出している私の方が、心理迷宮のなかで迷子になるところだった」
男は蠅を払うようにして、女の指を止めようとする。しかし、いくら手を伸ばしても座ったままの姿勢では届かない。
「その耳障りな音を止めろ」
「しかし、成人の体ひとつを食べきってしまうのは、なかなか難儀だったのでは? 骨はどう処理したの? 念入りに山狩りまでして骨ひとつみつからない、村の皆さんは熱心な信者だったろうし、掘り返してでも探そうとしたはず。事実、御神体は神隠しにあったわけですから」
女は男の要求を無視して続ける。さも、話せば止めてやるとでもいうように、男に口を開かせる。
「神隠しはばれていない。村人は知りもしない。知るはずがない。俺は美折が解体されるのを眺めていた。御神木の、大楠に縛り付けられて吊るし切りにされるところもみていたんだ、この目で。俺は隙を伺って、精肉にされたあとの肉を入れ替えただけだ。誰も気付いちゃいない。自分たちが神様の肉だとありがたがって食べていたものが、どこの誰ともしれない男の肉だってことに。おっかしいよなぁ」
男は思い出し笑いをこらえきれずに、歯の隙間からシュウシュウと漏らす。不安定な情緒を振りかざし、怒り、怖がり、すぐ笑う。
「そうか……そこも記憶が混線していたのか。逃げ出して山狩りにあったのは、もうひとりのあなただったというわけだ。ようやく疑問が解けたよ。同時に私へのひとつ目の依頼も達成されたと考えていいだろうね」
「依頼?」
「御神体、上郷美折の捜索。夢の中で一度言ったはずよ」
「一体何を言っているんだ、お前は」
男は苛立って、膝の貧乏ゆすりを激しくする。
「いいよ、探偵は喋りたがりなんだ。依頼主への義理も果たさなきゃならないし、調査の経過を説明しようじゃあないか」
女は机を叩く指を止める。人差し指を一本立て、最初に、と前置きする。
「因習村テーマパーク計画が立ちあがったのは今から十年ほど前のこと。発足当初はただの地方再生計画でしかなくて、因習やテーマパークのアイデアはなかった。少子高齢化、過疎化に歯止めを。伝統の保全、地方創生の旗印のもと、官民一体となった大規模な施策。いつも通り真新しいぐらいで使い道のない箱物が増えるだけだと思われていたこの計画。その路線が変ったのは、計画の主導者が恩恵を受ける側の村自身に変って後のこと。
紆余曲折の末に、計画の主導が地方の村落に丸投げされ、国や自治体は補助金を出すだけになっていった。そのなかのひとつに瑞尾村があった。彼らが着手したのは伝統の創成。瑞尾村はなんの変哲もない寂れた寒村で、人を呼べるような観光資源も伝統文化もない。村人たちは老人ばかりで、農業を細々とやっているだけの集落の寄せ集まり。
『なにもないなら、新しくつくればいい』
そう言いだしたのは、計画のために転勤してきた村役場の職員。上郷美折の父親、上郷陽一だった。そうだな……彼についてわかりやすい説明を加えるならば、因習村テーマパークにおいての配役を明かしておこう。彼は白井という名で市の文化財行政担当、という肩書の役を演じていた。彼は因習村テーマパークの発案者であり、キャストのひとりでもあった」
大のホラーファンだった彼は、小説や映画の世界を現実に落とし込もうと考えた。とはいえ、村人たちは演技などできるはずもない素人。しかし、彼には作戦があった。潤沢な補助金を使って積極的でなかった村長を抱き込み、本物の習俗を作り、村に根付かせることにした。
「上郷にはひとつの勝算があった。それは演劇における舞台と観客席を隔てる壁、第三の壁を破壊すること。現実と創りものの世界を重ね合わせて区別をなくす。リアリティではなく、リアルにしてしまう。因習村は儀式によって現実に呼び出されたんだ」
廃屋同然だった社を立て直し瑞上神社と名付け、新たに祭神を祀る。調査の名目で資金を使い古文書を偽造する。この村にはかつて、こういう歴史があったのだという偽の記憶を村人たちに植え付けていった。
住んでいる老人たちは疑うことに疎く、また故郷のアイデンティティを盛り立てられたことで気を良くして協力的になった。そこからは順調に進み、失われた伝統を再興すべく偽の古文書が解読されていった。改修された神社の天井絵に残る祭礼を読み解き、襖の裏紙として使われていた古文書が新しく発見されれば正史として取り扱い、彼らは見事に偽の歴史、偽の伝統を身につけていった。
この村には古い歴史があって――、古の昔より続く伝統の祭礼が――、ほかではみない神聖な儀式が――。
特別なアイデンティティは心地がいい。まるで自分だけの抜きんでた才能を手に入れた子供のように、村人たちは寒村を盛り立てることに夢中になった。そして上郷は補助金を使って地方紙などに、この復興劇を取り上げさせ、偽の伝統を公に認めさせることに成功した。
国や自治体は、自ら地方創生計画を発足した手前、成果を上げている瑞尾村を否定することができなかった。たとえ疑わしくとも、それを自分たちの成果として献上されれば、役人や政治家連中は乗っかることこそあれ止めることはない。そうして瑞尾村の『新規創作』伝統は国と自治体公認となり、お墨付きを得た。
「上郷氏にひとつ誤算があったとすれば、嘘のなかに本物が混じってしまったこと。現人神として祀りあげた自分の娘、上郷美折が本物であったこと。上郷美折は真実、超能力者だった」
祭りの主役、神の依代として舞台に立つ現人神の人選を誤った。人選において上郷は我欲を出してしまった。復興の立役者としての立場を利用し、自分の娘を主役に推あてがおうとした。村にはほとんど子供がいなかったこともあり、彼の推薦はあっさりと通される。それがすべての間違いだった。
「いいや、ホラーテーマパークの方向性としては正解だったのだけどね。上郷美折の存在で、すべての偽物が本物に、創り物と演技の嘘が、見事に裏返ってしまったのだから」
嘘のなかに一滴の本物。
美折の超能力は触れずに人間を吹き飛ばし、気に入らない人間の皮を剥がした。いわゆる一種の念動力。彼女は張りぼての舞台装置の上で、本物の神様になった。伝統は宗教へと変わり、やがて狂信へと成長した。神は血を求め、儀式は贄を呼び込んだ。そして流れた血の量だけ、伝統は重みを増していった。
現人神上郷美折を頂点とする村の信仰は、外の人間を次々と呼び込み、いち山間の寒村だった瑞尾村はカルト宗教の根城になっていった。
「制御不能になった伝統を恐れたのは上郷氏を含む、これまで因習村化を進めてきた村の面々だった。信仰は伝統の域をはずれ、カルト教は村の外にも広がっていった。このまま因習村テーマパークが軌道に乗ってしまえば、何も知らない観光客が贄として儀式に捧げられてしまう。ことが大きくなれば自分たちの悪行も公にされてしまうのではないかという恐怖。人死にが増えれば、つまびらかにされてしまう。そこで彼らは一計を案じることにした。当事者であるあなたには言うまでもありませんけどね。カルト教幹部の来馬正巳」
上郷美折の殺害計画。
信仰の暴走を止めるために、神様を殺すことにした。
男にはその記憶があった。女の言葉が呼び水となり、男から言葉を引き出させた。
「美折は力に溺れていた。今迄秘めていた能力を堂々と使えるようになったことで、加虐性に歯止めが効かなくなった。タガが外れたんだ。人を壊すことを自ら望むようになってしまった。村にやってきた頃は陰気だけど、やさしい。普通の女の子だったのに。
力のことを実の両親にすらいえず、他人を避けて引きこもりがちな暗い子。村にやって来た、年の近い女の子。がんばって話しかけて、仲良くなって、俺だけに超能力のことを打ち明けてくれたのに。彼女を変えたのは村だ、わけのわからない伝統だ。でも、もうなくてはならないものになってしまったんだ」
「上郷美折がいなくなれば、因習村テーマパークはおろか、村を盛り上げることもできなくなる。熱が引いてしまえば、今度こそ村はなくなる。信者にとっては言うまでもなく、甘い蜜を吸ってきた上郷氏や村長にとっても、それは避けなければならないことだった。そういうことでしょう」
そこで付け加えられた新たな虚飾。
美折が本物の神として認められるための通過儀礼でもある、死と再生の儀式。それは奇しくも、豊穣の女神を祀ったこと、飢饉の伝承を創ったことと噛み合っていた。
「死して復活する。そのための換魂の儀式。オリジナルの上郷美折さえ殺せば、本物の神を担保する超能力は消し去れる。神様の神格は、別の人間に移し替えて続けていくことができる。伝統を続けつつ、狂気をなだめることができる。美折ひとりが犠牲になれば、すべてが丸く収まるはずだったのに」
こつん、と女は再び天板を叩いた。
「続きはもうひとりの記憶で伺いましょう。まだあなたたちの物語は終わっていない。この場での私の役割は、あなたたちを記憶の最後まで導くこと。依頼は完遂する主義ですから」
指は規則的に天板を叩く。硬質な響きが、空間を刻んでいく。
「あんたは誰だ……なぜ俺の、俺たちことを知っている?」
男は脂汗を滲ませる。逃げようと身をよじるも、足首が椅子に縛られていた。
「あなたはまだ冷静ではない。思い出してはいない。ふたつの記憶が混濁している。私の正体が誰なのか、知らぬはずはないのに。今はただ役割上の名を名乗りましょう。こう名乗るのは二度目になる」
女は男を記憶の夢へと誘う。
「戯言虚有子、探偵です」
男は再び夢へと落ちる。
過去の悪夢へと回帰する。
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