2 宵宮祭をたのしもう(7)

 戯言少女の白い背中について公民館に到着すると、一日中探し求めていた姿があった。戯言少女は祭りの仕切りをやっている頤村長の元へ向かい、入れ替わるように美折が近づいてきた。

「まったくどこいってたわけ? ガクトくん」

 まったくもってこっちの台詞なわけだが、こちらの心配など素知らぬ顔。紙コップを片手に不貞腐れた表情の彼女の足取りは怪しい。待ちくたびれてしびれを切らした彼女は、ひと足先に祭りを楽しみ始めているようだった。

「あの女の子はなに? どこで、なにしてたか。私にきちんと説明できる?」

「美折さんが無事でよかった」

 ぼくはとにかくそれだけを伝えたかった。五体満足で、精神にも異常をきたしている様子はない。彼女は彼女のままで、村にも村人にもおかしくされていない。気苦労と共に、日中の緊張感が少しだけ和らいだ。本気で心配している様子から察したのか、彼女はぼくの胸を一発小突いただけで、それ以上の追求はしなかった。自分が好き勝手に動き回っていた自覚も多少はあるのかもしれない。

「なにそれ。だぁれも捕って食われる展開にはなっちゃいないわよ、まだね」

 見るからに不機嫌な彼女は、飲み残しのカップを押し付けると、反対に持っていた瓶を傾けなみなみとビールを注ぐ。飲め、ということらしい。いまの状況で酔ってしまいたくはない。美折の安全を守るためにも、祭りの雰囲気に呑まれてしまうわけにはいかないのだ。それに、少女の吐いた最後の言葉の意味を確かめなくてはいけない。

 金色の表面張力を前にためらっていると、来馬がぼくらの姿をみつけて寄ってくる。

「大人しく従った方がいいぞ。俺も相当絡まれたからな」

 あとで当たり散らされるのはごめんだと、彼は恨みがましく耳打ちする。ぼくがいない間、美折の我侭に付き合わされていた姿が容易に想像できた。腕組みをして睨んでいる美折の説得は難しそうだ。

「わかりましたよ」

 ビールを喉に流し込んで、自分が乾いていたことに気が付いた。そういえば朝から飲まず食わずで、山のなかを歩き回っていたんだった。すっかりビールを飲み干してしまうと、美折は相好を崩して頷いた。どうやらお許しがでたらしい。

「にしても酷い格好だな。来る前はなんだかんだ言っていたくせに、随分楽しんでいるじゃないか」

「これが楽しんでいるようにみえるのか?」

「ホラーテーマパークだからな。やつれている奴ほど、とびっきり怖い思いができているのさ。上郷先輩をみてみろよ。お前がいなかったせいもあるけど、持て余し気味だ」

 ホラーに耐性があれば、ぼくが経験したような異常な状況に置かれても平気なものだろうか。昨晩の海砂利の件について美折の意見を訊く機会もなかった。これまでのことを話して、彼女に判断してもらう方がいいかもしれない。来馬は友人だといっても仕掛け人側。信用することはできない。村にいる人間で唯一信じられるとすれば美折だけだ。

 来馬が村人に話しかけられた隙に、美折の傍で声を潜める。

「美折さん。ちょっと、いいですか」

「大きな声では言えないこと?」

 空のビール瓶を弄ぶ彼女に、自分の身に起こったことをできるだけ詳細に伝える。

 村境の警告、海砂利殺しトリックの仮説、美折を探して奥の院へ、そして地下の鍾乳洞での出来事。瑞上神社で戯言虚有子と話した内容以外は洗いざらい話して聞かせた。彼女は焚き火の色に目を細める。数十秒黙考した後、一言ずつ確かめるように口を開いた。

「まずひとつは、見事に誘い出されたものね、ということ。昨日、どこかでなくしたと思っていたけど、餌に使われるとは思わなかった」

 彼女はピアスの外れた耳を指で示した。

「ということは、美折さんは村境には行ってないんですね」

「シェリさん、だったかな。あの弐座とかいう人の愛人の。あの人と一緒に、祭りの会食作りに駆り出されていたの。わざわざ禊して清めて調理するとかで、朝っぱらからね」

 彼女は頤村長宅と公民館を往復して、祭りの準備をしていたようだ。準備それ自体におかしな所はなかったという。

「私とガクトが徹底して分断されているところをみると、弐座、天王寺は村側のキャストに間違いないわね。おそらくシェリさんや海砂利君もね……広場をみて。あのひと、会場の設営で話しているのをきいたんだけど、周りから海砂利って呼ばれていたわ。それに今シェリさんと腕を組んでいる男性。あのひとはたぶん弐座。海砂利君も、弐座も死ぬどころか、いなくなってすらないのよ」

 彼女は二人を指示したけれど、それらしい人物を探し当てるのに時間がかかった。何故ならば、海砂利も弐座も、顔はおろか背格好すら似ても似つかぬ他人だったからだ。

「同じ姓の別人ってことは?」

「ないでしょうね。シェリさんの態度もそうだけど、彼らはあくまでお客さんとして扱われていた。中身は別人でも肩書は来訪者のまま。つまり、彼らはそういう役割を背負った因習村の登場人物なのよ」

 劇の登場人物。ロールプレイングのゲーム。意志と感情のあるNPC。

 彼らは恐怖演出のために消費されるダブルキャストなのだと美折はいう。

「この村のルールが少しずつ見えてきたかもしれない」

「同じ役の人間が何人もいることに、なにか法則性でも?」

「私もただ仕事していただけじゃないよ。この村にまつわる伝承を聞いて回ってたわけ。瑞尾村には神隠しの言い伝えがあって、連れ去られることを回避する智慧として、本当の自分とは別の人物を演じる習わしがあるらしい。誘拐するにも真名を知り、支配する必要があるとか。幼い子供に魔除けのための仮の名を付ける風習のことを聞いたことがあるけど、それに似ている」

「個人情報保護のための偽名みたいなものですか」

 神隠しの伝承と行方不明の御神体。共通点のある話に眉を顰める。勘ぐり過ぎだろうか。

「あくまでも創作された場だってことを強調したいのかも。本物の肉や血を使ってリアル過ぎる演出をしたとしても、嘘の世界観っていう言い訳があれば安心、みたいな。そういう打算もありそうだよね」

「海砂利や弐座さんのトリックは、ぼくの考えで合っていそうですか?」

「確信はないけど、大方そんなところではあるだろうね。トリックには違いないよ」

 行政まで巻き込んで人殺しはやりすぎでしょ、と美折は空の瓶に口を付ける。それはもうホラーでもなんでもない。陰謀論の世界観だ。

「おーい、ふたりとも。こっち来てくれないか?」

 公民館の軒先で情報交換をしていると、戻ってきた来馬が玄関から顔を出して手招きする。その傍らには戯言少女の姿もみえる。

「岳人と上郷先輩は儀式を済ませてないだろ? このままだと明日の祭りには参加できないから、今のうちにやってしまおうぜ」

「儀式って、なんのだ」

 警戒して自然と声が低くなる。美折を肩の後ろに隠して、疑念を体で表す。

 来馬は態度の硬化に驚き、そして呆れた声をだした。

「儀式っていっても、そんな大袈裟じゃないって。来客全員にやってもらってる、入村の通過儀礼みたいなもんだよ。一々、人を捧げたりしないから安心しろ」

 みんなやってるから大丈夫。彼が説得に使ううたい文句は、今のぼくらには通用しない。来訪客のなかにも村側の仕掛け人が紛れ込んでいるのだ。もしかすると、なんの情報も与えられていない、純粋にテーマパークの客としてここにいるのはぼくと美折だけかもしれないのだ。そんな状況下で『儀式』に参加しろというのは、怪しすぎるにもほどがある。

「折角きたのに楽しまなきゃ損だぞ。ったく、上郷先輩からも何とか言ってくださいよ」

「そうね……ガクトくんばっかり美味しい思いしているのも癪だし。私はまだアトラクションほとんど体験できてないんだもの。虎穴に入らずんば、よ」

「帰る選択肢はないんですね」

「もう日が沈んでるじゃない。きっと山中で迷うか、崖に気付かず落ちるかの二択」

 ぼくからすれば陽が沈んでいようが、道がわからなかろうが、無理にでも帰りたい気分だった。こんな周りが不安要素だらけのなかで、もう一晩過ごすなんて気がどうにかなりそうだ。

「それに、もう飲んじゃったでしょ」

 美折が紙コップを指さす。既にアルコールは喉を通り過ぎてしまった。

「帰らせないために呑ませたんですか?」

 いたずらっ子の笑みをみせて、ぼくを置いて公民館のなかへと入って行く美折。彼女は恐れ知らずで、子供っぽい遊び気分のままでいる。まだ村のアトラクションを体験していないから、そんなお気楽でいられるんだ。

 もう諦めろ、と来馬がぼくの背なかを押す。嫌々ながら、儀式には参加せざるを得ない。本音を言うなら、祭りなんかどうでもよくて、四方を壁に囲まれた分厚くて頑丈なシェルターのなかで、朝まで眠って過ごしたい。本当はこんなところ来たくなかったのだ。それを彼女の前で口に出してしまうと、出先でクズる幼児のようでみっともない。なけなしのプライドがぼくを儀式の場へと向かわせていた。

 公民館のなかは昨晩の宴会の所帯じみた雰囲気とは打って変わって、祭儀場らしい重苦しさに包まれていた。畳の上には赤い敷物、四方を白い垂れ幕で覆われた広間。漆塗りの御膳に、丹塗りの盃、揃いの朱くて口の長い銚子が置かれた座敷。一見すると正月か結納の場面に思える装い。上座には、白衣に浅葱の袴姿の頤村長の姿が手を広げて待ちわびていた。

「さぁさぁ、巫女様もお客様もこちらへどうぞ」

 上座に並べて座らせられた四人。なぜか来馬がぼくの隣に腰を下ろす。ぼくと美折を中央にして、来馬と戯言少女が挟む形。新郎新婦と両家の親族とでもいうような、妙な形の四人横並び。そして、ぼくと来馬、美折と戯言少女の前に、ひと揃いずつ御膳が運ばれてくる。

「なんでお前まで座る必要があるんだよ」

「儀式はふたりじゃないとできないからな。男同士、女同士ペアになった方が不都合は少ない」

 頤が膝をついて準備を進める。ぼくと来馬の盃に、銚子から液体を注ぐ。香りは酒だったが、どろりとしていて粘度が高い。乳白色の濁りは、発酵途中のどぶろくを思わせる。酵母が糖をアルコールとガスに分解している最中といわんばかりに、注がれた盃の上で気泡が弾けた。そして、三つめの盃は空のまま置かれる。美折らの前にも同様の準備がなされた。

 これからどうするのか、なんの儀式なのか、色々と質問を口にする前に来馬が手で遮る。黙っていろ、ということらしい。

 儀式というから幣を振って御払いをしたり、訳の分からない祝詞を神前に唱えたりするものだと思って身構えたが、儀式の雰囲気を構成する『らしい』ことは行われない。目の前に白い飲み物が注がれ、四人とひとりが向かい合っている。

 頤がひとつ深呼吸をして、儀式の始まりを伝えた。

「これより換魂の儀を執り行います」

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