神の贋作は答えを聞く -5
「おや、どうかされましたでしょうか?」
「あ、いえ、その……」
侯爵に指摘をされ、エヴァ自身が無意識に立ち上がっている事に気づいた。隣にいるリベリオも心配そうにエヴァの顔を見ている状態で、ふと我に返る。
「すみません、窓の外に影が見えたもので……私の気のせいでした」
あくまでも、エヴァの行動を悟られないように。
小さく頭を下げてその場に座り直したが、リベリオは若干怪しむような目をエヴァの方へ向けている。
『シスター、なにを聞いた』
心の声には、小さく頭を横に振るだけでやめる。
今ここで言葉にしたところで、テーブルを挟んだ前にいる侯爵へ聞こえるのはわかりきった事だったから。
そんなエヴァとリベリオのやり取りを横目に、ハウスキーパーが急ぎ足で侯爵へ近づく。二人に聞こえないように耳打ちをしているがすでにエヴァは知っている内容で、この話もここでお開きになる事を想定した、はずだった。
「……失礼、少々野良猫が入ったようで。話を続けましょう」
「っ……!?」
ハウスキーパーが出て行くのを見送りながら発せられた言葉は、エヴァにとって想像できなかった。なぜ、それだけ平然としていられるのか。なぜ、ミシェルを探しに行かないのか。なぜ――この日がくると知っていたような顔をするのか。すべてがエヴァには、理解できない。
「おや、シスター様……顔色が悪いようですが」
そんなエヴァの様子を見た侯爵が、不審そうに目を細めていた。
『まさか、聞かれたとかではないだろうな』
(さすがに、行動があからさますぎた……?)
心臓が跳ねあがるような、そんな感覚だった。しかしまさか心の声を聞かれていると知らない侯爵は、そのまま垂れ流しに思考を続けていく。
『あの孤児院から引き取った娘を神に差し出す日だ、失敗は許されない……それなのにあいつは、よりによって祭司を呼ぶなど』
(それは、ミシェルの事……!)
さっきまで聞こえた心の声より、何倍も低いものだった。
「……いかがされました?」
「――いえ、ここ最近疲れがたまっており……ご心配をおかけして申し訳ありません」
悟られないように、乱れた呼吸を隠すように言葉を選ぶ。身体の底から熱くなった感覚の名前はわからず、それでもエヴァには理解できない怒りのようななにかが湧いてくるのがわかった。
(なんでしょう、今すぐ私はこの男に殴りかかってしまいそうです)
今まで、こんな感情を持つ事は少なかった。だからこそ、エヴァはどのような態度を取ればいいのかわからなくなってしまう。
自分の中のなにかを抑えるように目線を下へ落とすと、視界の端でなにかが動く。なにかと思えばリベリオで、祭司の仮面をつけたままエヴァをエスコートするよう手を取り立ち上がらせた。
「……申し訳ない侯爵、うちのシスターの体調が優れないようなので今日はこの辺で。また日を改めさせていただきます」
「や、そんな、リベリオ様私は」
「神に仕えるものとして、自分の身体も大切にするのが資本ですシスターエヴァ」
『ひとまず、俺に従ってほしい』
「っ……」
有無を言わせない、そんな声だった。
心の声と、そして真っ直ぐな視線。それを見るとエヴァはなにも言えず、静かに首を縦に動かす。
「……そうですね、リベリオ様のおっしゃる通り本日のところはおいとまさせていただきます」
「そうですか、それではまた」
『あぁ、やっと帰る』
「っ……」
最後の溜息のような声までエヴァの耳には聞こえ、あまり気分のいいものではなかった。
しかしそんな事を深く考えるよりも先に、リベリオはエヴァの腕を掴んだままスタスタと歩き出してしまう。
顔は祭司の仮面のまま、小さく頭を下げて。
ドン、と分厚い扉が閉まると同時に、リベリオは目をすうと細める。エヴァの手を離す気配は、今のところない。
「行きましょう、シスターエヴァ」
すたすたと、長い廊下を歩き始めた。少し大きな歩幅にエヴァも必死に合わせたが、それも足がもつれないようにするので精一杯だった。回廊で肩を並べて歩いていたが、あれはすべてエヴァに合わせてくれていたのだと気づかされる。
「リベリオ様っ」
「私にはシスターのように人の心中を察する事は得意でありませんが、シスターの様子は見ればわかります」
まだ屋敷内だからと仮面をつけたままのリベリオは、言葉こそ柔らかいものを選んでいたが表情はかなり険しいものだった。
「……あまりにもシスターエヴァの体調が優れなさそうでしたので、外の人が少ないところで空気でも吸いに行きましょう」
『話は、そこで聞く』
言葉で聞こえるものと、心の声。どちらもまっすぐに聞こえて、エヴァはどう返事をすればいいのかわからなかった。
だからこそ黙って、リベリオについて行く。
何個開けたかわからない扉の先にようやく見えたのは庭園で、それに安心をしたのかリベリオは肩を落としている。
「……いきなり手を取って悪かった」
人がいないのを確認し、そっとエヴァから手を離した。その顔は、祭司のものではなくエヴァに見せる教皇の息子としてのものだ。
掴まれたと言っても、跡が残るほどでもない。力加減がされていたそれを見ていると、リベリオはそんなエヴァに言葉を選んでいる。
「すまない、シスター」
「……なぜ、リベリオ様が謝るのでしょうか?」
突拍子もなく、首を傾げる。
「俺はあいにく、シスターみたいに心の声を聞く事はできないからな……シスターがなにを聞いて、どれだけ嫌な思いをしたかまでは共有する事ができない」
歯痒そうに、リベリオは顔をしかめていた。
「そう思っていただけるだけで、じゅうぶんです」
乏しい表情筋で、できる限り笑う。
今まで前院長であっても、そのような言葉をかけてくれる人物がいなかったから。
「……で、なにを聞いた」
「それ、は……」
すべてを言うべきである事は、わかっている。わかっているはずが、喉元で言葉が詰まるような不快感に顔をしかめた。言いたくないわけではない。これはきっと、ミシェルがいなくなったという事実をエヴァが受け入れたくないからだ。
「あのですね、リベリオ様」
「あら、もう帰られるのですか」
そんな時だった。
知らない声に、顔を上げた。
それはリベリオも同じで、また祭司の顔を貼りつけながら声のした方へ目を向ける。そこにいたのは少しだけ着飾った女性で、その人物が侯爵夫人である事は深く考えなくともわかった。
「あ、えぇ……少々体調が優れなかったので、申し訳ありません」
「お気になさらず……ところでお二人とも、うちの娘を見かけませんでしたか?」
「それ、は」
どう答えれば、いいのだろうか。
侯爵から聞こえた、心の声。それを思い出しながら目線を落としていると、それだけで夫人は悲しそうに首を横に振る。まるでエヴァの反応だけで、すべてを察したように。
『そう、あの人はやはり、決行したのですね』
(あの人、というのは……侯爵?)
予想外の、心の声だった。てっきり侯爵と夫人は共犯かなにかだと思っていたからこそ、悲しげな夫人の声はやけに耳に残ってしまう。
『私はきっと、あの子に情が生まれてしまった……シスター様に言われて夜明の鷹に渡すと約束して育てたはずのあの子を、本当の娘のように思っていた』
「っ……」
弱い心は、よく聞こえる。
しかし聞こえたそれは想像以上に悲痛なもので、エヴァは肩を揺らす。
(ミシェルは引き取られる事が決まった日、とても喜んでいた……あれは最初から、ミシェルを夜明の鷹の思惑に利用しようとしていたから)
胸の奥が、苦しくなった。
「……それではお二人とも、またいつか」
夫人はそう言うと、足早にエヴァのリベリオから離れていく。おそらくだが、ミシェルを探しに行ったのだろう。
「……ミシェル」
幼馴染みの名前を呟き、そっと目を伏せる。
天真爛漫で、少し勝気な彼女を思うとまた名前のわからない寂しさが、静かにせり上がってくるようだった。
「……あれ?」
そこでふと、ある事を思い出した。
リベリオの心配するような声が聞こえた気もしたが、エヴァの耳には届かない。エヴァの思考は、深いどこかにある。
(そう言えば、ミシェルの昨日の言葉)
思い出し、噛み砕く。
(それから、先程の夫人の言葉)
思い出し、心の中で復唱する。
「二人が言っていた言葉……」
――シスター様は逆にエヴァには近づくなとか言ったらしいし、なんなのよ
――シスター様に言われて夜明の鷹に渡すと約束して育てたはずのあの子を……
「もしかして……」
(この一件の犯人は、マーレット教会にいる?)
信じたくない、考えたくもなかったような事。
しかし目の前にある材料を持って出した言葉に、思考を止める事はできなかった。
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