二十話 不死身な戦国武将の殺し方(3)

 馬場信春は、周囲を織田の兵たちに囲まれても、一切武器を取らなかった。

 堂々と、観念している。

 半刻(約一時間)に渡って織田の追撃部隊を阻んできた馬場隊の兵たちは、馬場信春を守って討ち取られた。

 あとは、誰がこの老将の首を斬って大金星を挙げるか。

 先着順で、河井三十郎という武士が、老将の前に出る。

「某は、織田家に仕えるばん直政の配下、河井三十郎です」

「おう、河井な」

 こういう状況でも、煙管で煙草を吸いながら、刀を抜こうとしない。

 馬場信春は、そのまま首を差し出している。

 既に武田勝頼は橋を渡り、長篠城方面から武田の領地に逃げ込む為のラストランを始めている。

 もう、馬場信春は、殿の役目を果たした。

 六十一歳の老将は、ここで幕を引こうとしていた。

「河井三十郎です」

「もう聞いたよ」

 早く斬ればいいのに、河井三十郎は刀を抜いても、構えもしない。

「河井三十郎です」

「…」

「ば、ば、馬場殿も、刀を抜いてください。せめて一太刀は斬り結んでから、討ち果たしとう、ございます」

「う〜ん、その一太刀がなあ」

 馬場信春は、煙管を刀のように振るって、足元の岩を斬って見せる。

「わし、もう疲れたから、この腕前で今更戦わせるなよ、長引くから」

 周囲の兵たちは、ドン引きで老将から数歩退がる。

 河井三十郎も、刀を構えたまま、バックステップで間合いから離れる。

「こっちは、日の出と共に戦い始めて、本当に疲れているからな。労われよ」

 この日。

 馬場隊七百人は、朝から織田方の佐久間信盛隊六千人が立て篭もる陣地を攻め、勝ち取っている。

 もう、朝から常識外の大戦果を挙げているのである。 

 その後は、織田の物量に押されて後退しつつも、本隊を支えて撤退に成功。

 そして最後に、この殿。

 本当に、馬場信春は疲れ切っていた。

 それなのに、周囲の兵たちは、怯えて遠巻きにしている。

「さあ、『不死身』と名高い老体に、最初で最後の戦傷を斬り込むといい」

 無防備に何度も首を差し出しても、怖がって刀を振るう距離にまで詰めようとしない。

 無理もない。

「斬っていいよ」と言われても、本多平八郎忠勝クラスの不死身伝説持ちには、怖くて斬りかかれない。

「なかなか死ねんなあ」

 老将が黄昏ていると、高みの見物をしていた設楽貞通が接近して来た。

 見守っていても話が進まないので、堪らずに介入を始める。

「皆さん、及び腰のようなので、自分がこの首を貰いますが、いいですか?」

 周囲の織田の兵たちを見廻し、刀を抜く。

 馬場信春を介錯し易いポジションで刀を振りかぶり、陽気に朗らかに、宣言する。

「千石か二千石の加増は、確実ですね。頂きます」

 河井三十郎が、ガクブルをやめて、欲望を梃子にして刀を振りかぶる。

「それは某の手柄です!」

 設楽貞通は退いて、河井三十郎に介錯ポジションを譲る。

「悪いね」

 馬場信春が礼らしい事を言った気がするが、設楽貞通は特に返事をしなかった。

 不死身の難敵に、早く死んで欲しかった。

 怖いから、周りを煽っただけである。

(悪いね、不死身の爺さん)

 設楽貞通は一身上の都合で、他人の斬撃に不死身の老将を任せた。

(信玄の死んだ頃から、変な功名には、及び腰でね)

 此の近辺に暮らす武士として、武田の怨嗟を必要以上に浴びない事を、設楽貞通は選択した。

(自分の代わりに、不死身殺しを頼む、織田の)


 河井三十郎が、刀を振り下ろす。


 戦場で一度も傷を負った事がない名将が、初めて首を刎ねられた。

 第二形態とか最終形態に変身する事もなく、おとなしく死去した。


 即日、織田信長が馬場信春の働きを「比類なし」と評価した。

 敵の信長でさえ、褒め称えるしかない程の、壮絶な暴れ方をした老将だった。

 なお、織田の兵を敗退させた数、討ち取った数で、馬場信春はダントツの首位記録保持者となった。



 馬場信春の死を見届けると、設楽貞通は残してきた部隊の元に戻ろうとする。

 陽もだいぶ傾いているので、樋田といだまで戻って寝泊まりの準備を始める気だった。

「おや」

 馬場信春の最期を見届けている間に、服部半蔵が僧兵の部隊を此のルートに誘導して戻って来ていた。

 僧兵三十人が、全員、鉄砲を装備している。

(根来衆だけの部隊で、勝頼を狙う気か)

 率いているのは、鋭敏な鋭い眼光をした、二十歳ぐらいの美青年。

 背中に差した旗印に記されているのは、三つ盛亀甲(三つの六角形)に唐花菱。

 常に織田信長の側に控える、秘書官のような武将だ。

(信長の側近が、ここまで出張る?)

 事情を聞きたげな設楽貞通に、美青年武将は察して答えつつ性急に要求する。

「堀久太郎きゅうたろう秀政です。根来衆を率いて、武田勝頼を討ちに行きます。我が軍が貸し出した鉄砲の弾薬を、半分でもいいので、お返しください」

 設楽隊が、今日はこれ以上戦う気がないのを、見越した物言いだ。

(実際、そうだ)

「いいですよ」

 部下に、残った弾薬を半分返却するように命じると、根来衆は有り難そうに頭を下げてきた。

 鉄砲に長じ、織田の潤沢な軍資金を使って弾薬を準備した鉄砲僧兵団・根来衆でも、今日の戦いでは弾薬が尽きそうな程に、撃ちまくっていた。

 長大なキルゾーンで一日中、武田の将兵を狙撃しまくったので、無理もない。

 織田の他の部隊から調達すればいいのにとは思いつつ、此のルートで設楽隊から徴収する方が早くて角が立たないのも理解する。

 理解はするが、損した気になる。

(惜しいなあ。信長なら、そのまま褒美代わりに弾薬もくれそうな展開だったのに。この吝なやり方、この若造の性分か)

「すみません、主君ほど、気前が良くなくて」

 人の顔色と思考を察する速度が疾い美青年武将は、設楽貞通の下心に謝りつつ、修正案を出す。

「後日、頂いた分の弾薬は、設楽殿に改めてお返しする手筈にしましょう」

 才走った青年だが、現在最も伸びている技能は、人を怒らせずに話をまとめる交渉スキルだった。

 信長のようなキレた戦国大名の至近距離で長年育ったせいで、そういう技能を自動的に発揮してしまうに至る。

「お願いします」

 そこまで気を遣われると、設楽貞通の方が吝な気もするが、高い弾薬を大量に入手する機会を逃したくない。

「では」

 話がまとると同時に、堀久太郎は出発する。

「黄金の龍を狩りに、行って参ります」

 黄金の龍。

 その一言で、武田勝頼への追撃が成功していない、本当の理由が知れた。

(一番ヤバいのが、未だ存命中か)

 性急に、死地の最前線に赴こうとする若者に、設楽貞通は声をかける。

「戦線では、酒井殿より前には、出なさるな!」

「そこまで自惚れては、おりません」

 気遣いに目礼で謝意を表しつつ、堀久太郎は、早駆けで服部半蔵に先導を任せる。

 その有り様を見て、設楽貞通は

「やはり自分の道案内は、必要なかったな」

 と、服部半蔵の真意を悟った。

 前年に本家の義弟が徳川を裏切っているので、こういう用心には、寛容に応じた。



 長篠・設楽原の戦いが終わると、戦前に予想したように、生まれ育った領地は奥平家に吸収された。

 代わりの領地は、駿河・遠江に跨る地方を与えられた。

 徳川には、設楽貞通に対しては戦功の割に褒美が少なめだという後ろめたさがあったのか、嫡男の代には武蔵国(現・埼玉県)で千五百石へ加増。孫の代には二千百五十石に加増している。

 次男は故郷付近の領地も併せて千四百石、

 三男は紀州藩で三百石、

 四男の一族は二本松藩の要職に就き、その子孫に大阪の通天閣(初代)を設計した建築家・設楽貞雄を輩出している。

 どの時代でも、目立つ功績を挙げる一族と見ていい。

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