五話 だって戦国なんだもん(5)
「やあ、僕は名探偵
そのジッちゃん・武田信虎は、永久追放中(信玄に追放された)でも構わずに武田に戻ろうとし、甲斐本国には入れなくても子孫を他家に積極的に亡命させて、武田の滅亡前に血筋の保護をやり遂げてから大往生するが、それはまた別の話。
「証拠?」
言われて奥平定能は、困った。
真正面から有罪の証拠を出せと言ってくる馬鹿の相手をしていたら、ストレスで死んでしまう。
苦手なので、馬鹿は相手にしないように生きて来たのだ。
定能は、有罪だとは知らずにいる貞昌に、対応を任せる。
知らずにいれば、無罪の人間として反応可能だ。
「証拠というのは、どのような形をしているのでしょうか?」
貞昌にそう返されて、(自称)名探偵・
悩んだ末に、通りすがりの雑用係に、意見を求める。
家臣たちはその時点で笑って腹を抱えているので、無関係そうな雑用係に、意見を求める。
「手紙です。敵と交わしている書状を発見すれば、証拠になります」
雑用係に変装していた服部半蔵は、とても親切に教えてあげた。
「ありがとう」
親切な教えを、
家臣たちに命じて、奥平父子の所持品を総点検し、書状を全て改める。
危ない書状は、持って来た服部半蔵にその場で返却しているとは、知る訳もない。
「この手紙を大切にしているようだが?」
貞昌が重箱に入れて持ち運んでいる書状の束を発見し、
「人質に差し出した、妻おふうからの、手紙です」
「…改めて、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
読み始めて五分で、名探偵・
肩身の狭い人質生活の最中に、愛しい夫に向けて書いた、切ない近況報告である。
普通は泣く。
「ずびばせん(すみません)、夫婦だけのお手紙を読んで、ずびばせん(すみません)」
「いえ、お勤めでしょうから、お構いなく」
「では、これで十分ですので」
その書状の検分を中止しようとする典厩に対し、定能がマジ説教する。
「内通者への調査なのに、半端な真似をするんじゃねえ、若造! 全部読め! 読まないと、君も共犯者扱いされるぞ?!
その場合、君と君の一族郎党が、奥平と同じ処分を科される。
そんな危険を冒すな!
さあ、全部読め!」
「ひ〜〜ん」
典厩の家臣たちも、主人を手伝って書状を読み、泣いちゃう。
長年、人質を取る側の人間ばかりなので、良心の呵責で、めっちゃ泣く。
「泣くぐらいなら、取るな」
と言いたいけど、言わない奥平父子だった。
結局、物的証拠は全く出てこなかったので、奥平父子は釈放された。
更なる人質を差し出す条件で。
定能は、雑用係(服部半蔵)に、追加の人質を武田に差し出すよう書状に書いて、本拠地の亀山城に送らせる。
「いるのですか? まだ人質に出せるような親族が?」
定能には、あと三男と長女・次女を差し出す余裕があるが、貞昌にはいない。
「いない場合は、家来の家族を差し出す」
そう言われても、貞昌は気が引ける。
「心配するな。こういう場合には、備えてある」
父が嫌な自信に満ちているので、息子は別種の不安を抱え込む。
本人は幸運値が高いので無事だが、周囲には酷い被害を与えている。
(父上の幸運の、半分だけでも欲しい!)
とか思う貞昌も、後に幸運値が高いと判明する。
人質が届くのを待つ間に、夏なのに年号が元亀から天正に変わってしまった。
元亀に決めた足利将軍を、織田信長が京から追放すると同時に、年号が天正に変わった。
信玄が死んだと聞いているので。もう足利幕府には一切遠慮をしなくなったのだ。
これに対して武田がノーリアクションだったので、生存説より死亡説が有力になる。
こうなると貞昌も、
「父上、実は武田を裏切っていないかなあ」
とか都合の良い展開を思い描くと同時に、それだと妻と弟と従兄弟が処刑されるので、自己嫌悪に陥る。
新しい人質が届くと、貞昌には見覚えがない三人だった。
「顔は覚えていないだろうが、奥平に縁のある事だけは、確かな者たちだ」
使者に送った雑用係(服部半蔵)が、定義に目線で頷く。
貞昌も、いい加減にこの雑用係(服部半蔵)の正体に、察しが付いた。
ひょっとして新しい人質と見せかけて、救出部隊を送ったのではとも、淡い期待をする。
父に訊ねたい事が出来たが、無闇に口を出さない。
武田が新しい人質を受け取り、奥平父子は本拠地・亀山城に戻る。
戻った段階で、定能は亀山城周辺に武田の兵が接近していない事を確認してから、貞昌に徳川に再帰順する事を伝えた。
「徳川からの見返りは、三つ。
亀姫(家康の長女)と貞昌の婚約。
領地の加増。
本多
貞昌は、じっと、父の顔面を睨み付けている。
頭に血が上って、言葉が出ない。
「という訳で、一族郎党、荷造りを済ませて、亀山城を出る。本多|広孝(ひろたか)殿の所領に保護してもらい、武田が奥平の領地に攻めて来た場合、本多の軍勢と共に、武田を駆逐する」
貞昌は、今まで見た事がない目付きで、父親を睨み付ける。
戦場でさえ、そんな目で人を見た事はない。
「亀姫との婚約が決まったので、おふうとは離縁しろ」
貞昌は、殴るのが先だったか、怒号を吠えるのが先だったか、覚えていない。
一発、思い切りクソバカ親父をぶん殴った後、おふうに詫びの言葉を口に出来ずに、泣き叫んでしまった事だけは、覚えている。
こうなる事を、理解しているつもりでいた。
父や祖父が乗り越えているので、耐えられる苦痛だと見誤っていた。
人質制度は嫌だなんていう感想は、生温い。
(家族を賭け金にして、いま、取り上げられた)
人質を差し出すとは、武家社会の賭博に過ぎない。
だから、貞昌は定能を責めずに、この賭博に乗った己自身を責めた。
(おふうが確実に助かる道は、初めから他国に逃げているか、死ぬまで裏切らないか。そのどちらも、自分は選ばなかった)
父の選択肢に乗って、武家の賭博をした。
乗ってそのまま、勝ち組にいると安堵していた。
自分以外の誰かを、責める気にはなれなかった。
謝る資格も許してもらう資格も無いので、無様に泣き叫んで、おふうの囚われている武田領に向けて、土下座した。
亀山城を退去した五日後に、古い方の三人の人質は、処刑された。
おふうは串刺しの刑
仙千代は鋸引きの刑
従兄弟の虎之助は磔の刑
三人の首は見せしめに晒されたが、おふうの祖母が奪還し、故郷の日近城・広祥院(愛知県岡崎市桜形町)に埋葬された。
墓は現在も残されている。
以後、奥平貞昌は離縁した妻について、誰にも何も語らなかった。
服部半蔵でさえ、全く何も聞かなかった。
新しい婚約者にも、何も言わなかった。
ひょっとしたら処刑の前に、人質を入れ替えて保護してくれたのではとか、温い希望も言わなかった。
たとえ生きていても、武家の賭博で使い捨てにした上に離縁した以上、この世で合わせる顔はない。
(自分に、おふうの夫でいる資格はない)
亀姫とその父親は、貞昌が前妻との経緯を一切語らず、恨み言も言わずに爽やかに接してくれるので、一目置いた。
奥平貞昌も、自分が幸運値の高い人間だとは、全く思っていない。
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