第43話 照り返しに陰が浮かぶ

 窓の外からの炎が照り返し、パリスの顔を浮かび上がらせる。

 その照り返しによって、はっきりとした陰影が生み出され、パリスの野郎がいつもの薄笑いではなく、満面の笑みを浮かべている様に見えた。

 その眼元は影に隠れ、口元の笑みと相まって意味深長さを感じる。


 陰だ…

 隠れていて光が当たらない部分を陰と言う。

 パリスが陰そのもののように錯覚する。


 さらにパリスは手押し台車を手にしている。

 何故だろう、この手押し台車に言いようの無い感情が湧いてくる。

 俺の全身に電流のようなものが走ると同時に、鳥肌が立ち背中から冷たい嫌な汗が滲み出てくる。

 これはどうした事なのか。

 ただパリスが満面の笑みを浮かべているように見え、手押し台車を持っているだけなのに…


「シロタン」


「おい、風間」


 パリスと西松からの呼び掛けが俺を現実世界へ引き戻す。

 どのくらい気が遠くなっていたのか….


「あっ、あぁ、なんだパリス。もう一度言ってくれ」


「この台車の上に“仮面”を乗せていくのはどうだろう」


 いつもニヤけているだけのパリスにしては良いアイデアだ。


「よし、そうしよう。“仮面”、動けるか?」


「思うようには動けないけどやってみるよ」


 パリスが“仮面”の背後に周り、手押し台車を“仮面”の足元に置く。

 “仮面”はかなりゆっくりとした動作で、台車に向かって腰を下ろそうとする。

 その動きは緩慢なんてものじゃない、高速度カメラで撮影して、それを超低速で再生してるのか、と言っても過言ではないぐらいの遅さだ。


 不意に放送室の窓ガラスが割れ、炎が入ってきた。


「ひぃっ」


 驚きの余り、西松が声を上げ、その場を飛び退く。


「“仮面”!早くしてよ!火が燃え移ってくるだろっ!」


 西松が“仮面”を急かす。西松は割と臆病でせっかちなのだな。だから一々失禁するのか…


「ごめん、西松君っ」


 鈍く光っていた“仮面”の眼が輝きを増し、低音の回転するような音を漏らす。

 “仮面”が唸り声を上げ、力を振り絞っているかのようだ。

 それによって“仮面”の動きが少しばかり早くなる。


 やっとの思いで“仮面”が台車の上に腰を下ろす。


「よし、お前ら手伝え」


 俺と西松とパリスは“仮面”の左の脛や太ももを掴み、膝の曲げを補助しながら足を台車の上に乗せる。

 続いて右足も同じようにして台車に乗せる。

 “仮面”にしてみたら少々、窮屈なように見えるのだが、台車の上に体育座りさせることに成功した。

 このまま行くか、と思ったのだが、“仮面”の胸元にある補助脳とされる所から、ケーブルで放送室の壁に立て掛けられた機器類と接続されていることに気づいた。


「これは…、外せるのか?」


「コネクタ部分を引っ張れば外せるよ」


 俺からの問いに“仮面”は答えた。

 俺はケーブルを手で辿り、壁に立て掛けられた機器類に接続された部分を探し当てる。

 確かにコネクタがある。


「よし、外すぞ」


「ちょっと待って、省電力モードに切り替えるから」


 と“仮面”が言うと、鉄の仮面の眼から放たれる光が鈍くなった。


「どうぞ」


「いくぞ」


 緊張の瞬間だ。

 俺は息を吐いた後、一気にコネクタ部分を機器から抜く。


 ケーブルを抜いたが、何か変わるわけではなかった。無駄な緊張だ…


 と、何の気もなしに抜いたケーブルのコネクタの先端部分を見る。


「え?」


 思わず声を漏らす。

 それに釣られた西松もコネクタの先端部分を見ていた。


「USB端子⁉︎」


 西松も驚きの余り声を上げた。


「しかもAだ。なんかもっと、こう…、見たことない端子だと思っていたんだがな…」


「ちょっと待って、これ使えるかな?」


 西松が自分のズボンのポケットの中を探り、白い掌サイズの箱を取り出した。


「モバイルバッテリーか!」


「そう!ケーブル貸して」


 西松は俺が渡したケーブルの端子をモバイルバッテリーに接続する。


「刺さった!」


「“仮面”はとてつもなくハイテクなものかと思っていたのだが、USB充電でいいのか…、まぁそんなもんか」


 “仮面”の眼が鈍く光る。


「ありがとう、西松君」


 “仮面”に礼を言われた西松は誇らし気だ。


「それは一旦置いておくとして、

 脱出するぞ!パリスが台車を押せ!」


「わかった」


 パリスはいつもの薄ら笑いを浮かべ、“仮面”を乗せた手押し台車を押して行く。

 俺たちは駆け足で放送室から廊下へ出ると、その光景に驚いた。


「何だとっ」


 校舎内で炎が思っていた以上に燃え広がっていたのだ。

 放送室とは逆方向にある職員室方面は完全に炎に飲み込まれ、その炎の勢いは放送室の近くにまで迫っていた。


「いつの間にこんなに燃えてたんだよ!」


 西松が泣き出しそうな表情を浮かべ叫んだ。

 その直後、放送室からかなり大きな

破裂音がした。


「ひぃぃ」


 西松は驚きの余り、足を滑らせその場で転ぶ。

 炎によって放送室の機器が破裂でもしたのだろう。


「落ち着け。こっちならまだ燃え広がっていない」


 幸いなことに炎は職員室と逆方向へは燃え広がっていない。

 逆方向のその先にはエレベーターがある。


「エレベーターで地下へ行くぞ」


 西松へ手を差し出し立ち上がらせると、俺たちはエレベーターへ向かって一目散に走り出す。


 その時だ。

 “仮面”が体育座りで手押し台車に乗せられ、それをパリスが押して走る光景が眼に見えた。

 その光景が霞みかかった幻影の様に見えたのだ。


 何だ、これは…


 しかし、今は自分の世界の中に入る暇は無い。

 エレベーター前に着くと下りボタンを押すのだが、ボタンが点灯しない⁉︎

 ならばとボタンを連打するのだが、一向に点灯しない⁉︎


「エレベーターは駄目か⁉︎」


 階段を使うしかないのか⁉︎

 だとしても“仮面”を連れて階段下りるには時間が掛かりそうだ。

 そうしているうちに炎の勢いは増していて、放送室は既に炎に飲み込まれていた。

 “仮面”を連れて階段から下りている間に俺たちは丸焼きになりそうだ…


「エレベーター来ないの⁉︎ねえっ⁉︎ねえってば!」


「急かすんじゃねぇ!このハゲかけがっ!」


 西松の急かしに俺の怒りが沸点に達し、思わず一喝する。

 と、思ったら一拍置いてボタンが鈍く点灯した。まぁ…古いからだろうな。


「大丈夫だ!エレベーターは来るぞ!」


「よかった〜」


 西松はその一言と共に安堵の溜息を漏らす。

 エレベーターが到着すると俺たちは早速乗り込む。

 振り返ると炎はもうすぐそこまで来ていた。

 間一髪、焼かれずに済んだ…


 数秒と経たぬうちに地下一階へと着きエレベーターの扉が開くと、そこには二号の姿があった。

 二号は両手を挙げ、大袈裟なぐらいの驚きの表情を浮かべた。


「遅かったな。これから探そうとしていたところだ」


 二号はそう言うとこれまた大袈裟なぐらいの笑顔を浮かべる。

 なんて能天気な野郎だ!


「遅かったな、だとっ!お前のやり過ぎのせいで俺たちは危うく焼け死ぬところだったんだぞ!」


 二号は俺の怒りなど、どこ吹く風といった態度で受け流す。


「いいじゃねえか。陽動はこれぐらい派手にやるのがいいんだよ」

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