第13話 焼き肉に君と

 その後、日付けは変わり深夜2時に自宅へと戻った。

 母から、父は眠ったから玄関の鍵を開けておくので、そっと物音立てず家の中に入りなさいとスマートフォンへ連絡があったのだ。

 疲れ果てていた俺は帰宅して直ぐに布団へ入る。


 正午過ぎに目が覚めたのだがな、布団に入ってからの記憶が一切無いことからして、俺は泥のように眠っていたようだ。

 それはいいのだが、強烈な眩暈がし、激しく悪寒がして倦怠感があり、上手く起き上がれない。

 俺は風邪でもひいたのだろうか。

 なんとか起き上がり、部屋の机の引き出しの中にある体温計を取り出し、脇に挟み体温を計る。


 38.8度もある。

 その結果に納得の眩暈と悪寒っぷりだ。

 昨日は寒い中をずっと白靴下と白ブリーフで過ごしていたからな、そのせいで風邪をひいたのだろう。


 部屋から出て父に見られると何を言われるかわからないからな。

 俺は母にスマートフォンで状況を説明し、水と風邪薬を持ってきてもらい、それを飲んだ後、再び寝ることにした。



 気がつくと真っ暗だった。

 どうやら俺は夜まで眠っていたようだ。

 薬の効果があったようで、眩暈と悪寒、倦怠感は若干ましにはなったのだが、まだまだ体感的には高熱がある雰囲気だ。

 それにしても俺は真っ暗になるまで眠っていたとはな…

 こんな遅くまで夕飯で起こされなかったのか?

 食欲は無いのだが夕飯はまだか?

 そもそも今は何時だ?

 枕元にスマートフォンを置いたはずだ、と手を伸ばす。


 しかし、手が動かない。

 手だけじゃない、腕もだ。

 いや違う、全身が動かないのだ。

 力を入れるにも身体のどこにも力が入らず、全身の神経全てが俺の意志を無視しているかのよう。

 これはどうしたことなんだ!


[助けてくれ!]


 声さえも出ない。

 何なんだよ、これはっ!


[助けてー!助けてー!お母さーーん!]


 全く声にならない。

 そんな中、視界に僅かな光が差し込んできた。

 闇に目が慣れてきたのだろうか?

 しかし目の前に広がる光景は朧げに歪んでいる。

 ここは俺の部屋ではないように見える。

 まだ目が慣れていないせいなのか?

 俺は目を凝らす。

 しかし次は耳鳴りがしてきた。

 それはラジオのノイズを増幅器に掛け歪ませたような騒音だ。

 その耳鳴りは急激に音量が増していく。

 耳が壊れそうな騒音だ、やめろっ!やめてくれ!

 頭が割れそうだ!

 助けを呼ぶにも身体は動かず、声も出ない。

 どうしたらっ?どうしたらいいのだっ⁉︎



 気がつくと俺は自室の布団で寝ていた。

 今、冷静になってよく考えてみると、意識はあるのに身体が動かないだの声が出ないってのは典型的な金縛りってやつだ。

 初めての経験だからな、思い切りびびってしまった…


 今、金縛りにあっていた事よりも重大かつ深刻な事態に自分が立たされていることに気づいた。


 脱糞だ…


 俺は脱糞していたのだ。

 金縛りの恐怖のあまりか、それとも長時間寝ていて無意識に脱糞していたのかはわからない。

 白ブリーフの中から糞が漏れ出たようで、白ブリーフはもちろんのこと、布団も糞だらけになっていた。

 そんな中、さらに事態は悪化した。

 今になって居間から夕飯が出来たとお声が掛かったのだ。

 どうしたらいい?俺はこのまま、自室の窓から脱出し失踪するべきなのか…



 肉の焼ける匂いとホットプレートが肉を焼く音の素敵なハーモニー。

 焼肉なら外食の方がいいのは間違いないのだが、家でホットプレートの焼肉というのも良いものだ。

 子供の頃、これ以上無いぐらいに心を躍らせたイベントであろう。


 しかし、今の俺は…


「あつっ」


 ホットプレート上の油が跳ね、俺の腹肉に直撃した。


「声を出すな」


 冷徹な父の一言に俺は縮み上がる。


 俺は今、白ブリーフに白靴下のみの姿で、食卓の前で菜箸片手に肉をホットプレートの上に乗せている。

 先日から実家に来ていた弟が、明日下宿先の東京へ帰るので家焼肉をしているのだ。


「あちぃっ」


 跳ねた油が腕に直撃した。


「お前は肉を焼くことさえも満足に出来ないのか?

 何故こんな簡単な事さえ出来ない?

そんなだから糞を漏らすのだ」


 あぁ、そうだ。

 結局、母に部屋へ踏み込まれ、異臭騒ぎとなり俺の脱糞が発覚したのだ。

 それによって今日の俺の夕飯は無し、白ブリーフに白靴下のみの姿で肉焼き係に任命されたのであった。


「あちぃっ!

 ぬなーーっ!」


 俺は真後ろに倒れ、家具で頭を打つ。

 しかし頭よりも目が!目が…、目が焼けるように熱い!

 事もあろうに焼肉の跳ねた油が俺の左眼に入ったのだ。


「一々大袈裟だ。そんなだからお前は糞を漏らす。

 続けろ。お前はそれでも肉を焼き続けるのだ」


 俺の額から噴いた血によって、残された右眼のみの視界が真紅に染まっていく。

 その真紅の視界越しに見える父、烈堂の姿は、まるで地獄の業火をまとう閻魔のように見えた。

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