第7話 すき焼きフラッシュバック

 俺の大噴出の後、ペヤングの取り巻きらは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


 俺は尻を突き上げた体勢から立ち上がり振り返ると、そこには茶褐色に染まった西松が茫然自失として立っていた。


「俺は“違う”と言っただろう。

それは調子に乗り過ぎたお前の愚かさが招いた結果だ」


 西松は何も言わない。


「糞に塗れたお前を放置して逃げるとは、奴らは薄情なものだな」


 西松は泣き崩れた。

 その泣き声さえも不快だ。

 西松のことは一旦置いておくとして、白ブリーフを穿くにも多分、尻は糞まみれだろうな。

 振り返って尻を見るにも脂肪で見えないのだが、明らかに尻に糞が付いている感があり、自分のものだとは言え、耐え難い悪臭が周囲に漂っている。

 尻を洗い流したい。

 辺りを見回すと近くに水道の蛇口があった。

 そこで尻を洗い流すことにしよう。


 蛇口のハンドルを捻り、勢いよく流れ出た水に向かって尻を突き出す。

 外にある水道のせいか水が冷たい、尻が割れそうなほど冷たい。

 だからといって、尻を洗わずに白ブリーフを穿くわけにはいかないからな。

 ここは我慢だ。

 尻を移動させ、満遍なく尻を水で流す。

 流水に向かって尻を突き出している、その姿を思い浮かべるだけで涙が出てきそうだ。

 滑稽な光景だろうよ。

 しかしここは我慢するしかないのだ。


 しばらく尻を洗い流した後は水を止め、乾燥させる。

 濡れた尻を拭くにもタオルやハンカチ等無い、となれば自然乾燥させるしかない。

 俺は高速で尻を振る。

 犬が濡れた時に身体を振って水を飛ばすだろう、あれのイメージだ。


 尻を振っている時に、ふと西松を見る。

 西松は未だに泣き崩れている。

 奴の頭に白く細長い何かが2〜3本付いている。

 よく見るとそれはえのき茸だった。

 そうだ、昨晩の夕飯はすき焼きだったのだ。


 昨晩の記憶がフラッシュバックする。



 夕飯が出来たと母に呼ばれて居間へ向かうと、食卓にはすき焼きが置かれていた。

 今夜は弟の達也が都内の下宿先から帰って来ていたのだ。

 だからすき焼きなのだろう。

 既に父と母、達也は着席していて、俺も自分の席に着く。


「今日は達也が帰ってきたからな、A5ランクの黒毛和牛だ」


 父、烈堂の言葉もどこか明るい雰囲気だ。

 達也が来たという事で機嫌が良いのだろう。

 A 5ランクの黒毛和牛など食べたことないからな。

 どんなものかと期待に胸を弾ませ、箸を黒毛和牛へ伸ばしたその刹那、


「誰がお前のようなボンクラに黒毛和牛を食べていいと言った?」


 父、烈堂の刺してくるような眼差しが俺に降り注ぐ。


「お前は豚だ。そこにある豚肉を食え」


 すき焼き鍋の黒毛和牛の横にほんの少し、申し訳程度のスペースに牛肉とは明らかに違う色の肉があった。

 豚肉だ。

 これが今日のすき焼きの俺の肉らしい。

 見えているのに目の前が真っ暗になった。


「兄さん、兄さん」


 隣に座る達也が小声で俺を呼ぶ。

 達也は細面の無難を絵に描いたような男だ。

 父はもちろん、母や俺にも似ていない。


「僕の分、食べていいからね」


 達也は優しい。


「駄目だ」


 烈堂が制止する。


「お前は豚だ。豚を喰うのだ。

共喰いをしろ」


 烈堂はそう言うと鼻で笑った。


 視界の全てが歪んでくる。

 涙で何も見えない。

 甘いすき焼きがしょっぱい涙の味へと変わっていった。



 それが昨夜の出来事だ。

 フラッシュバックで息が詰まりそうになる。

 気を落ち着かせる為、深呼吸を繰り返し、昨夜のことは終わったことだと自分に言い聞かせる。


 やがて気分も落ち着き、尻もなんとか乾いてきたので、白ブリーフを穿く。

 白ブリーフの股上は深く、ヘソまで隠れる。

 これだ…、これなのだよ。

 生地の肌触りといい、腹まで包み込まれるような安心感は俺の気持ちを落ち着かせる、極上のフィット感だ。


「やっぱり…、これに限る」


 そうだ、俺はペヤングの取り巻き共の魔の手から白ブリーフを守ったのだ。

 俺のシロタンたる所以である白ブリーフに白靴下。

 シロタンのシロは白ブリーフの白。

 俺のアイデンティティ、俺の象徴…


 西松は未だに泣いている。

 西松に背を向けこの場を立ち去ろうとした時、向かうから誰か二人が走ってくるのが見えた。

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