第一章《1》
これは去年、二年生の春の話だ。
「よ。」
自分の席に座ってぼーっとしていた俺にそう言って声をかけてきたのは、幼稚園くらいから付き合いが続いてる幼馴染の
通称ヤス。
性格は顔に出るくらいのめんどくさがり屋。
友達が俺以外いないから、俺が居ない休み時間は大体一人で寝てる。
本人いわく、群れるのは面倒だからだそうだ。
髪は茶髪で、身長は大体俺と同じくらい。
基本しっかりしてていつも世話になってる。
「って!」
そのままぼーっとしていると唐突に頭を殴られた。
「何すんだよ。」
「お前がこの世の終わりみてぇな顔をして俺の挨拶を無視するからだよ。」
恨めしく睨み付けると、呆れ顔でそう返された。
「え、俺そんな顔してた?」
「してた。
お前は本当に分かりやすいからな。」
正直、言われても全く実感が無かった。
自分の中では別に落ち込んでるつもりなんて無かったし、ただなんとなくぼーっとしてただけだったのだが。
「あだっ!」
そう思っていたらまた殴られた。
「いい加減返ってこい。」
「幼馴染を二度もぶつかね…。」
「同じ事を二度も言わせんなよ。」
「いや、別に何も無いって…。」
「もし本当に何も無いんならお前は酷い奴だな。
何も無いのにぼーっとして幼馴染を無視するのかよ。」
「うっ…別に無視してなんか。」
「いいから話せよ。
俺の目はごまかせねぇぞ。
何年お前と幼馴染やってると思ってんだよ。」
「ヤスー!」
抱きつく俺を鬱陶しそうに殴りながら引き離すヤス。
「で?何があったんだよ。」
「一週間前にさ、彼女と喧嘩したんだ。」
「なるほど。
言われてみればここのところ苛立ってたしな。
その彼女とも会ってなかったみてぇだし、そんなこったろうとは思った。」
「なんだ、分かってたのか…。」
「逆に分からねぇと思ってたのかよ…?」
「うっ…。」
「で?どうしてそうなったんだ?」
「屋上に呼び出されてさ。
ウチら付き合うとるんよね?って聞かれたから…そんなの当たり前だろって返したんだよ。
で、そしたらもう別れようって言われてさ。
ウチの事はもうほっといてって。
俺、ついそれでカッとなって…。
勝手にしろ、せいせいするって言っちゃって。」
「それはお前が悪い。」
ヤス、真顔で即答。
「は…はっきり言うかね!
ちょっとは優しくしろ!馬鹿!鬼!」
「話を聞いてやってるだけ優しいと思え。」
「うっ、まぁ確かに…。」
「それにそんな奴だと分かってて幼馴染やってると思ってたんだが?」
「分かってるよ!
でもこう言う時ぐらいよー…。」
「で、それからどうなったんだよ?
その様子じゃ何もしてねぇんだろうが。」
「うっ…。」
「図星じゃねぇか…。」
呆れ顔でため息を吐かれる。
「だって一年も付き合ってたんだぜ!?
喧嘩して、そんなあっさり終わる訳なくね!?
だから寂しくなってその内謝りに来るだろうなぁって、思ってたら。」
「…思ってたら?」
「一週間が経ってたって言う。」
そう言うとヤスはそれをさも最初から分かってたかのようにまたさっきよりも深いため息を吐いた。
「…その間お前から会いに行ったりとかは?」
「いや、なんて言うかさ…。
二年になってクラスも違うし…?
頻繁に顔を合わせる事も無くなったし?
喧嘩した後だから気まずくて行き辛いと言いますか…。」
「あほか、今すぐ行け。
そんで謝ってこい。」
「…え?いやいやいやいや!
そんな別に大それた事じゃないだろ、あんな喧嘩なんて!」
「そんなの分かんねぇだろ。
お前がそう思ってても相手にとっては違うかもしれねぇだろうが。」
「うっ……。
いや…そりゃあるかもしれないけどさ。
でも今まで一度も喧嘩なんてした事無かったんだぜ…?
あれぐらいなら別に…。」
「別に…?」
「……………大丈夫かなー…。」
聞き返されて不安になる。
「ほら見ろ。」
「いや、でも…。」
「言い訳ばっかしてねぇで、いい加減認めろ。
お前はまだ現実を見れてねぇし、見ようともしてない。
言い訳して、それで良い理由を探してるだけだ。」
「うっ…。」
「さっさと行け。
自分の目でちゃんと今の状況を見てこい。」
「わ…分かったよ。」
と、返事をして教室を出て来たものの。
「何て言えば良いんだよ…。」
ぼやきながら彼女の居る三組の教室を廊下側のドアガラスから覗く。
友達と楽しそうに談笑する人、
首ぐらいまでのショートカットに茶髪。
方言混じりの特徴的な喋り方。
身長は俺の肩くらいか。
基本明るくて穏やか。
新しいクラスにももう馴染めているようで、一年の時には関わってなかった友達の姿も何人か見受けられた。
こうして見る限りでは、ついこないだまでの彼女と大差ないようにも見えるが…。
恐る恐る、ドアを開ける。
その時にドアの方を向いた彼女と自然に目が合うが、その目はすぐに反らされてしまう。
え、無視された…?
「沢辺、どうかしたー?」
「あ、ごめん。
ウチ、ちょっとお手洗いに行ってくる。」
さっきまで話していたクラスメート達が心配そうに声をかけると、足早にその場を抜けていった。
その後、俺が居る側と逆側のドアから廊下に出た彼女は、追いかける隙も与えないほど全力疾走で廊下の角の方に走り去って行ってしまった。
「あ、あれー…?」
「あれー、じゃねぇよ…。」
声に振り向くと背後にヤスが居た。
呆れ顔でため息を吐かれる。
「無視…されたよな。」
「だな。」
ついこないだまで親しくしていた相手に無視されて、思いの外強いショックを受けている自分がいる事にまず驚く。
これまでの人生で、そりゃ親しい相手と喧嘩する事ぐらい無かった訳じゃない。
でもあんな風に明確に無視された事はなかった。
「だよな…。
親しい人に無視されんのってこんなに辛いのか…。」
「今頃気付いたのかよ。」
「ごめんなさい、さっきは本当にごめんなさい。」。
「あほか、必死に頭を下げる相手が違うだろうが。」
「ごめん…。
ってか俺もしかして本当にまずい事しちゃった…?」
そしてそのショックで、段々自分のした事の重大さに実感が沸き始める。
「それも今頃気付いたのかよ。」
「だよなー…。」
確かに俺は、今この状況を軽く見ていた。
実際、ただの喧嘩だしどうせその内仲直り出来るだろうぐらいに思ってた。
「ちょっとは自分が置かれている現状が分かったか?」
「とても…。」
「どうしたいか決まったか?」
分かったからこそ、どうすべきかを思い付くのはすぐだった
「仲直り…したいです…。」
「ならまた行けよ。」
「いや、でもそれは…。」
それが分かったからこそ余計に気まずい。
もう一度行って何を言えば良いのかも分からない。
そんな風に迷っていると、ヤスに蹴り飛ばされた。
「って!」
恨めしさを顔に出して睨むと、そのまま何も言わず、廊下の角の方に目線だけを向けてくる。
「分かったよ…。」
仕方なくその角を曲がると、その影に美波が隠れていた。
俺の姿を見るなり、早速冷ややかな視線を向けてくる。
「何で来たん。」
それは質問ではない。
正確に言うと吐き捨てたと言う表現の方が正しいような言い方だ。
そしてそれがすぐに確信出来るほど、表情には隠しきれない不快感が全面に出ていた。
歓迎されてないのは歴然だろう。
「何でって、その…。」
そのあからさまな態度に怯み、思わず言葉に詰まる。
そのまま頭が真っ白になる。
「せいせいするって言うとった癖に。」
そんな俺の反応になどお構いなしで、美波は淡々と言葉を続けていく。
「いや、それは…。」
それになんとか言い返そうと言葉を探すも、何も浮かんではこない。
「もうえぇよ…。
別れたんじゃし。」
そんな俺を見て、ため息を吐きながらそう言ってくる。
「いや、だからごめんって、謝りたくて…。」
ここでようやく当初の目的を思い出した。
そうだ、仲直りしに来たんじゃないか。
だから謝ろうと思ったんだった。
「謝ってなんなん?」
でもそうしようと思っていた所で返ってきた返事は俺にとっては予想外の物だった。
「謝って、その…。」
「謝って友達に戻りたいん?
それとも、ヨリを戻してまた付き合いたいん?」
実際謝れば済む問題だと思っていたのだ。
だから当然、そう質問されてどう返すかなんて考えてなかった。
「ただ、気まずくなりたくないだけなんじゃったら心配いらんじゃん。
今はクラスも違うんじゃし。」
「そう…だけど。」
「”あなた”はさ、別にウチじゃなくてもえぇんじゃろ?
好きにすればえぇじゃん。
もうほっといてよ。」
「っ!」
驚いた。
ついこないだまで、俺の事を名前で呼んでいたのに、今美波は俺の事を”あなた”と他人行儀な呼び方で呼んだのだ。
それは言ってしまえばたったそれだけの変化だ。
でもそんな呼び方も、喧嘩するまで見た事のなかった表情も。
目の前に居る彼女は確かに少し前まで付き合ってた人と同一人物の筈なのに、今は全くの別人のように思えた。
呆気にとられていると、それだけ言って立ち去ろうとする美波。
「…そっ、そんな事!」
それを見て、何とか引き留めようと声を絞り出すと、彼女は一応足を止めてくれる。
でも俺はその先の言葉を最後まで言えなかった。
言おうとして気付いたのだ。
自分はそんな事ないとはっきり言えるのか。
美波の事、そんなに好きだったのか?
こんな事になったのに?
大事に出来ずに傷付けたのに?
そもそも、好きってなんなんだろう?
それさえも分からなくなり、言葉は続かなかった。
「さようなら!」
そんな俺を見てか見ずか。
吐き捨てるようにそれだけ言うと、美波はトイレの方に走り去ってしまった。
追い掛けてその近くを通ると、押し殺した小さな泣き声が聞こえてきて胸が傷む。
俺、何してんだろう 。
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