その男、盲目につき
草村 悠真
その男、盲目につき
早く食べ終わったので、何をするでもなく席に着いたままぼんやりしていると、トレイを持ったマキさんが視界に割り込んできた。
「やあ。ここ、いい?」
僕が返事するより先に、マキさんは椅子を引いて向かいの席に座った。トレイの皿には野菜と果物しかない。
「ダイエットですか?」
「人聞きが悪いな。私がダイエットを必要とする体をしているように見えるかね」マキさんは顎を引いて、顔を斜めにし、僕に伺うような視線を向ける。「健康志向と言いたまえ。君こそ、ダイエットか何かしてるのかい?」
きっと、僕のトレイの上に空の小皿が一枚しか載っていないのを見て、マキさんはそう尋ねたのだろう。
「いえ、ちょっと節約中で」
「ほほう。節約ね……」片手を顎に当てて目を細めるマキさん。数秒すると、顎から手を離し、テーブルに肘をついて身を乗り出した。「さては君、彼女ができたな。それも、相当惚れ込んでいる。昨日か一昨日にデートをしたんだろう。見栄を張って金を使ったか。私が来る前も思い出して浸っていたのだろう」
「まあ、そうですよ」見透かされたのは良い気分ではないが、図星なので渋々認める。「昨日、初デートだったんです」
「それは浮かれるのも仕方ないな」言いながら、マキさんは自分の皿に載っているリンゴを一切れ、僕の空いた小皿に箸で移した。「私からの餞別だ」
「ありがとうございます」
「で、そのデートの出来はどうだった?」
「悪くなかったと思いますよ。色々尽くしてあげましたし」
「うんうん。相手に尽くすのは純愛ぽくていいな。君らしい」
「そうなんですよ。本当にいい人で。彼女が欲しがるものを色々買ってあげました」
「色々? そんなに沢山買ってやったのか。誕生日か何かだったのかい」
「いえ、何の記念日でもないですけど。強いて言うなら初デート記念でしょうか」
「君が相当に浮かれていることは判った。しかし、側から聞いていると、君がいいように貢がされているような気が——」
「違いますよ!」
「判った。怒らないでくれ」マキさんは両手を挙げて待ったをかける。「しかし、君が言う相手に尽くすというのは、金を使い尽くすという意味なのか?」
「それは結果ですよ。愛情表現の」
「ふうん。そうか」それだけ言うと、マキさんはサラダを口の中に入れ始めた。葉物を噛むシャキシャキした音が続く。
「無償の愛っていうやつですよ。別に僕は何の見返りも求めてません」
「その方が問題だろう。そんな、食費を削らなければいけないほどお金を使わされて、何の見返りもないなんて、君の気持ちが持たないぞ」
「いいえ、僕は彼女がいてくれるだけで満たされるんです。彼女がありがとうって言ってくれるだけで、十分なんです」
「一度、君の彼女に会いたいな」
「会ってどうするんですか」
「さあ。それは会ってみないと判らないな」
「もしかしてマキさん、嫉妬してるんですか?」
「嫉妬? 私が? 君に?」
「僕じゃないです。僕の彼女にです」
「どうして。会ったこともなければ今の今まで存在も知らなかった女に、私が嫉妬しなければいけないんだ」
「彼女が僕に愛されてるからです」
「別に私は、君に愛されたいとは思っていないよ」
「僕じゃなくて、誰かに愛されたいって、思ってるんじゃないですか」
「まあ、他人に愛されたいという欲求は、多かれ少なかれ誰でも持っているだろう」
「一般論に逃げないでください」
「はあ……」マキさんは箸を置くと、呆れたとでも言いたげに目を閉じて首を左右に振るのだった。「なら私個人の見解を言わせてもらおう。私なら、相手が何かしてくれたなら、同じだけのものを返したいと思う。そこに相手が見返りを求めているかどうかは無関係だ。君の言う無償の愛こそ、自己満足じゃないのかと思うけどね」
「彼女も満足してくれてます」
「その考え方が自己満足だと言ってるんだ」
「彼女が喜んでいると僕も嬉しい。彼女が満足してるなら僕も満足。それのどこが悪いんですか」
「付き合い始めたばかりの君には酷な言い方になってしまうが、それは長くは続かない。いつか彼女の満足は君の不満を書き立てるようになるはずだ」
「マキさんはそうなんでしょう。でも僕は違います」
マキさんは何か言い返そうとしていたのであろう開きかけた口を、しかし閉じて、見定めるような視線を向けてきた。僕もそれを受けて睨み返す。
「まあ、君が幸せなら私がとやかく言うべきではないのかもしれないな」マキさんはトレイを持って立ち上がった。「今、君自身が言った台詞と今のその気持ちを、せいぜい忘れないようにするといい」
そう言い捨てるようにして、マキさんは僕の視界から去って行った。
視線を落とすと、マキさんがくれたリンゴが一切れ、僕の小皿に残っている。
僕はそれを食べなかった。
その男、盲目につき 草村 悠真 @yuma_kusamura
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