回収とそれに至る道筋の試行錯誤
草村 悠真
回収とそれに至る道筋の試行錯誤
男は女を少しでも楽しませたい一心なのか、あれこれたわいもない話を繰り広げているが、女は 「へえ」とか 「ふうん」とたまに適当な相槌を挟むだけで、退屈しているのは明らかだった。
二人は森の中を歩いている。歩きながらできることなど会話以外にないのだからと、男は趣味のマラソンの話を続ける。いくら女の反応が悪いからといって、ここで口を止めては負けを認めたことになるとでも思っているのか。女にしてみれば、別に勝負をしているつもりなど微塵もないのだろうが。
「去年は初出場だったしペース配分を失敗して六時間近くかかったからね。今年はコースもわかってるし、シミュレーションは完璧なんだ。序盤は平坦だから——」
といった具合で、男はマラソンに関する自分の経験と知識をひけらかすのみだったし、女はマラソンに興味があるわけではないようだ。要するに、男にとってそれが話しやすいから話しているだけなのだろう。
「どこで気持ちが折れるかって、やっぱり折り返し地点を越えてからの後半戦だ。一度乗り越えたアップダウンをもう一度繰り返すのかって、もう嫌になる」
ここで女が 「嫌ならやめればいいのに」と皮肉でも言えば、まだ良かったのかも知れない。女はもう辟易している様子だ。
早く解放されたい、という女の思いが通じでもしたのか、少し歩くと、ペットボトルロケットが先の道に落ちていた。それは数時間前に男が飛ばしたものに違いなかった。男は近づいて拾い上げると、ロケットがまるで原型をとどめていなかったからか、寂しそうな顔をする。発射成功、着地失敗。否、こうして着地点を捜し歩かなければならなかった時点で発射から失敗だろう。そして、この有様なら着地ではなく落下だ。
行きはどこに落ちたとも知れぬロケットを探し歩いていたので時間がかかったが、帰り道は早かった。
ショックだったのか、帰りは男も大人しかった。「またやり直そう」と呟いたのを女は聞き逃さなかったはずだが、どういうつもりか反応は返さなかった。ただただ、二人とも早足だった。
翌月。
二人は森の中を歩いている。
「で、目標タイムを四時間半に決めた僕は、四時間半ほどしかバッテリが持たないイヤホンでラジオを聴きながら走ることにしたんだ」
男は相変わらずマラソンの話をしていた。先月と違うのは、今回はマラソンを終えての体験談であるという点だ。男は途中の給水所でもらえるバナナやチョコレートがどれほど美味しく感じるかなど、あれこれと話すものの、女の反応は薄かった。
「残り10キロくらいかな。突然ピーって音がして、イヤホンの電源が落ちたんだよ。腕時計をみると、スタートから四時間五十分くらいなんだよね。僕は立ち止まって空を見上げた。そっとイヤホンを外して、心の中で懺悔したんだ。ああ、イヤホンさんごめんなさい四時間半のところを二十分も余分に頑張ってくれたのに、僕は何て不甲斐ないんだ。四時間半で走ると誓ったじゃないか、と」
ここで男は小さく笑った。女は笑わない。
「僕はバッテリの切れたイヤホンをポケットに仕舞って、反対のポケットから取り出した。予備のイヤホンを」
男は首の角度を変えて、横を歩く女の表情を伺うようにした。
女の口角が僅かだが上がっているのを認めた。
気を良くしたのか男は話を続けた。
「残り3キロってところかな。部活動の帰りか、高校生の集団が向かいの歩道を歩いてくるんだ。で、その中の一人がおどけた調子で、へいへい、とか言いながらハイタッチを求めてるわけだ。明らかに応援じゃなくておふざけでやってる感じで、一生懸命走ってる人達は気に障ったと思う。僕もそうだからね。だからこそ、誰もそのハイタッチには応えなかったんだけど、僕は自分の右手を広げて見る。するとどうだろう。素手でバナナやらチョコレートを食べてきたから、妙にネチャネチャしてるんだよ僕の右手は。僕は男子高校生に向かってその右手を差し出して——」
男は男子高校生とちょっとした口論になったエピソードを話しながら歩き続けた。女の反応に先月と違いがあるとすれば、少し相槌が多くなったくらいだ。
少し歩くと、ペットボトルロケットが先の道に落ちていた。それは小一時間前に男が飛ばしたものに違いなかった。男は近づいて拾い上げると、満足そうな顔をする。機体は発射前の原型を保っている。この場所も男の計算通りだったようで、歩き回ることなく真直ぐ辿り着いた。
「気がついたら、スタートから七時間近く経ってたんだ」
「ふふっ」と、女の口から声とも息とも取れる音が漏れた。
男は大事そうにペットボトルロケットを抱えて、来た道を戻る。着地成功だ。
「私は——」
次は女が飛ばす番らしい。上手く着地するだろうか。
二人の歩みは遅い。
回収とそれに至る道筋の試行錯誤 草村 悠真 @yuma_kusamura
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