第30話 3つ目の紋章

「あ~……」


 気の抜けたような信士の声は、壁や天井に遮られて室内に反響していた。白い湯気が漂い、無数の水滴が壁や天井に張り付いた部屋――


「まさかこんな場所で風呂に入れるとはなぁ……」


 そう、信士はいま、異世界での初めての風呂を堪能しているのだ。

 それもただの風呂ではない。100人以上は入れるサイズの大浴場。しかも妙にリアルな裸婦像なんかが設置されている、いかにも王族専用といった豪華な大浴場だった。


 もちろん、入っているのは信士1人なのだが……


 メルが探査機を使って人里を探す間、信士たちはこの城に滞在することになった。

 ……というか他に選択肢はなかった。


 幸いなことに王城の設備はメルによって新品同然に保たれており、入浴設備などの機能も保全されていた。お陰で信士はほぼ2日以上ぶりに風呂に入ることが出来たわけだ。

 当然であるが男湯と女湯は別であり、陽菜とセラはそちらに入っている。ついでにクロも一緒だ。


 放浪中は魔法を使って身体の汚れなどを浄化していたのだが、やはり風呂に入るのと入らないのとでは気分が全く違う。


「はぁ~、地獄に仏だな……」


 首の辺りまで湯に浸かりながら、誰もいない大浴場で独り言ちた。


 こんなに落ち着いた気持ちでゆっくりできるのは、この世界に来て初めてだった。その点はメルに感謝しなければならない。それだけじゃない。


「食事もうまかったなー……」


 あろうことか食べ物まで提供してくれたのだ。しかもちゃんと調理された、温かい料理が!


 なんでも、材料がない為、食材の生産機能はストップしているものの、亜空間庫なるものに大量に食材が備蓄されており、それを使ってわざわざ料理を作ってくれたとのこと。どうやって作っているのかは謎だが、案内された食堂のテーブルの上に、突然、フッと料理が現れた時は心底驚いた。

 見たことのない野菜で作られたサラダに、肉をふんだんに使ったステーキっぽい食べ物。爽やかな甘みを含んだジュースなど。


 気づいたら信士と陽菜は無言で料理を貪っていた。

 なにしろ2日以上、魔物と戦いながら最低限の保存食だけでどうにか食いつないできたのだ。その果てに食べた、きちんと調理された温かい料理の味は想像を絶する。腹だけでなく心の隅々まで満たされ、気付けば2人とも涙を流していた。


「けど、判らないことも増えたな……」


 メルが話していた、<エクス>とはなんなのか――

 その使命とは――

 何故、セラはこの城に封印されていたのか――

 《概念結晶ヴァナリクス》とはなんなのか――

 これほどの技術と文明を誇った国がどうして滅びてしまったのか――


(メルは一種の人工知能のような存在なんだろう。2万年に渡って機能し続けるAI。都市1つを丸ごと風化させずに維持できるほどの超高度な技術。それほどのものを作り出す技術を持った国家がどうして滅んだのか……どうしてその理由を隠さなければならなかったのか……)


 判らないことだらけだが、答えを知るメルが黙秘している以上、聞き出すのは不可能だろう。


(セラの記憶が戻れば判るかもしれないし、それまでこの問題は棚上げだな)


 パシャっとお湯で顔を洗う。


(考えてみれば、メルは2万年もの間、ずっとこの城と街を守り続けてきた訳か……)


 いったいどんな気持ちだったのだろう? 

 仕えるべき主を失い、守るべき民を失い、誰もいなくなった廃都を2万年も守り続けたメルの気持ちなど、信士には想像することも出来ない。AIっぽかったし感情など無いのかもしれないが。


(そういえば、なんでこの街だけなんだ?)


 セラの話では、かつてはここ以外にも多くの街が存在し、栄えていたという。しかし、現在はこのリア・アンディール以外の街は無くなってしまっている上、国土のほとんどは魔物の生息する魔境になり果てている。


 果たしてそんなことが起こるものだろうか? 


 地球に置いても滅びてしまった文明や都市などはいくつも存在するが、人間そのものがいなくなり、国土の大半が荒廃してしまうなんてことは無かったはず。文明が滅びればその後間もなく新たな文明が起こり、栄え、なんらかの理由で滅びる。歴史とはその繰り返しだったと記憶している。中学生レベルの世界史の知識だが。

 2万年と言うのも一見、途方もない年月に聞こえるが、それはあくまで人間の視点から見ればこそ。世界、或いは星と言う観点から見れば、2万年などほとんど一瞬に過ぎない。

 地球よりも遥かに優れた技術力を有する文明が滅び去り、環境が激変して魔物の巣窟と化す――そんなことがたった2万年の間に起こるものなのだろうか?


(まあ、地球と異世界は違うといえばそれまでだが)


 これらの信士の考えはあくまで地球における常識、知識から来るものであって、それが異世界に通じているとは限らないので、考えても栓無きことなのかもしれない。


 しかし他にも気になることはある。

 国が滅びてしまったというのに、どうしてこの街だけは残ったのか?

 メルという超高性能AIが存在したからと言えばそれまでだが、他の街には同じようなAIは存在していなかったのか?


(それとも、この街が特別だからか……)


 王城が存在するということは、ここは国の首都だったのだから特別扱いは当然と言えるが、果たしてそれだけなのか? ひょっとしたら、国が滅びてなお残さなければならなかった理由があるのかもしれない。


(セラが封印されていたことを考えれば理由がありそうだが、聞いても教えてくれないだろうな)


 ふう、と気怠げに嘆息して、信士は肩までお湯につかった。


 ★


「あ、信士君。お先でーす」


 風呂から上がるとすでに陽菜が待っていた。彼女も風呂から上がったばかりのようで、上気して赤くなった肌や濡れた髪が妙に色っぽい。着ているのはメルからもらった寝間着。シルクのような上質な素材で出来ていて、着心地は申し分ない。きっと元は身分の高い人間が着ていたのだろう。なお、彼女の頭の上にはさも当然のようにクロが乗っかっている。すっかり定位置となってしまったようだ。


 いま2人と1匹がいるのは高級ホテルもかくやと言えるくらい広くて豪華な部屋だ。元々は高貴な王族用の客室として使われていた、とメルが言っていた。テーブルやベッドは意匠を施された装飾付きだし、異様に高い天井では芸術品かと思えるくらい見事なデザインのシャンデリアが輝きを放っている。信じられないことに壁に埋め込まれるような形でテレビまで備え付けられていた。ただ、残念ながらスイッチを入れてもなにも映らなかった。そもそも無人化している街でテレビ放送などやっている訳ないのだから当然と言えば当然だが。

 2万年近くも使われていなかったにもかかわらず、そのいずれも新品同然の質が保たれているというのは、ちょっと信じがたい話だ。


 ちなみにここは地上1200メートルという超高層階に位置している。地球上で最も高いビルであるバージュ・カリファの828メートルよりさらに高い。高所恐怖症の人間には絶対に泊まれない場所だ。

 窓からはリア・アンディールの街が一望できるが、無人化している為当然電気も付いておらず、ただ漆黒の闇が広がっているだけ。


「セラはどうした? 一緒に入ってたんじゃないのか?」

「いま入ってるよ。なんか、お風呂の前に城の中を見て回りたいとかで、ちょうど私が出るのと入れ違いになっちゃった」

「そうか……」


 城の中を見て回りたい、というセラの心情を信士は容易に察する。


(記憶を取り戻したいんだろうな……)


 過去の記憶、つまり心の拠り所を失ってしまう――それがどれだけ辛いことか、記憶喪失になったことのない信士には理解できないが、それに加えてセラは超古代の人間で、親しい者は皆、亡くなってしまっているという事実も加わっている。

 せめて思い出だけでも取り戻したいと考えるのも無理はない。


「凄い所だよね。なんか、SFって感じ?」

「だな。イメージしてた異世界とはずいぶん違うな」


 信士としても「異世界=中世ヨーロッパレベルの文明」という先入観があっただけに、ここでの出来事に関しては意外の連続だった。


「陽菜はどうなんだ? 憧れだった異世界が想像してたのと違うのを見て、どう思った?」

「んー、正直まだ気持ちが追い付かないというか……そもそもの話、私たちがこの世界に来て目の当たりにしたのは魔物の徘徊する魔境と、ゾンビだらけの遺跡と、2万年前に滅びたこの都市だけだからね。それ以外の場所がどうなってるのか判らないし」

「それもそうだな」


 ふぅとひとつ息をついて信士はソファーに腰を下ろした。


「……これだけの技術力を持った文明が、どうして滅んだんだと思う?」


 どうしても判らない。このリア・アンディールの街並みや王城内の設備、なによりメルという超高性能なAIを作りだし、2万年もの間、街だけでなく内部の調度品まで保存し続ける技術力。これはどう考えても地球のそれを遥かに上回るレベルの文明が栄えていたという証拠。それがどうしてまた、セラだけを残して滅び去ってしまったのか。


「判んない。私としては滅びたというよりは、ある日突然、人がいなくなっちゃったみたいな感じがするんだけど」

「確かにそれはあるな」


 先ほどの疑問がぶり返してくる。

 戦争や疫病で滅んだのであれば、都市やその機能が残っているのはおかしい。それこそ先日、自分たちが立ち寄ったあのゾンビだらけの廃都のようになっていて然るべきだ。だが実際は都市機能は新品同然で残されているにも拘らず、人だけがいない。これでは本当にメアリー・セイント号のようだ。

 加えてメルの話では元々この街以外にも人が住んでいたが、どういう訳かここ以外は魔物の跋扈する魔境となり果てた。

 どうしてこの街だけが無人状態で、無傷で残されているのか――


「判らないことだらけだよな……」

「それを解き明かすのが、異世界冒険の醍醐味だよ!」


 思わず口から出てしまった言葉に、陽菜が鼻息荒く答えた。ファンタジーオタクな彼女にとっては、理解不能な謎も摩訶不思議な事件も、オタク心を燃え上がらせる燃料にしかならないようだ。


「まあ確かに、最初から判っている謎なんか無いもんな。追々解き明かしていけば良い。一応、ヒントはあるんだからな」

「セラちゃんだね」


 メルの言っていたことが本当なら、セラはアンディール王国という国が栄えていた当時の人間だ。自らの意志で封印されて眠っていたのなら事情を知っているはず。記憶が戻ればその辺りのことも判るだろうが……


「なんだってたった1人で封印なんかされてたんだ? よっぽどの事情があるんだろうけど……」

「それに、私たちがここへ来たことで解放されたってことは、ひょっとしたら私たちがこの世界に召喚されたことと関係あるのかもしれないね」

「それは大いにあるだろうな。メルの言っていた<エクス>っていう言葉も意味不明だし」


 メルは信士と陽菜だけでなくセラのことも<エクス>と称した。信士と陽菜は異世界人なのに対し、セラは超古代人でこそあるもののこの世界の人間であるはずだ。


 ではいったい、<エクス>とはなんなのか?


「お風呂上がったんだよー!」


 そんなことを話していると、噂をすればとばかりに浴場から元気のよい声と共にセラが出てきた。

 何気なくそちらを振り返って――


「ぶっ!?」

「ちょッ――!!」


 信士は思わず吹き出し、陽菜は悲鳴じみた声を漏らした。

 なにしろ風呂上がりのセラが、裸体にバスタオルを巻いただけの姿で現れたのだから。

 陶磁器のように白い肌はまだ薄っすらと濡れていて、それがまたひどく色っぽい。服を着ていた時は判らなかったが、彼女の双丘は細身な身体からは想像もつかないサイズで、巻かれたバスタオルから零れ落ちそうになっている。しかも男である信士に裸体を晒しているというのに、セラの顔には恥ずかしさの欠片もない。

 一瞬、痴女なのかと疑ったが、セラからはそういった雰囲気は一切感じられず、逆に「なにを驚いているんだろう?」と言いたげな表情で、可愛らしく首を傾げている様子からは、男性に裸を晒すことに羞恥心を感じていないらしい。


 だが当然、まっとうな神経を持つ女性にとっては受け入れがたい行為であり――


「信士君は見ちゃダメ!!」

「うぎゃあっ!!」


 こういう場合、普通は手で目を塞ぐのが一般的なのだろうが、陽菜の取った行動は何故か……何故か目潰しだった。「目が! 目がぁ~!!」と両目を押さえて床をのた打ち回る信士に一言。


「私以外の女の人の裸を見た罰!」

「理不尽ッ!?」


 自分から覗き見たのであればまだしも、相手が見せてきただけなのに。乙女心とはかくも複雑なものなのだ。

 ついでに言えば、信士は陽菜の裸を見たことはない。まだそういう関係には至っていないので。


「どうしたの、2人とも?」


 なんとも呑気なことを訪ねてくるセラの言葉からは、2人の行動の意味が本気で判っていないことが理解できる。


「どうしたの、じゃないよ! ダメでしょ、男の人の前でそんなはしたない格好しちゃ!」

「え? ダメなの? なんで?」

「な、なんでって……そ、そういうものなの!!」


 子供のように純粋に疑問を感じているセラに、陽菜もうまく説明することが出来ず、勢いのまま投げたらしい。やはりセラは男性に裸体を晒すことに羞恥心を感じていないようだ。記憶と一緒に羞恥心も忘れてしまったのか、はたまたセラの暮らしていた頃はそれが一般的だったのか。


 実際、戦国時代でも平民、特に農民の女性なんかは服を着ないことも多かったらしい。当時は服ないし布は貴重で、貧しい農民なんかは手に入れることが至難だったそうだ。なので何日も同じ服を着続けるのは当たり前で、もし洗ったりして替えの服が無いときは裸で過ごすこともあったのだとか。現代の日本では考えられないことだが。


 日本でさえ時代が違うだけでそれなのだ。異世界ならそれ以上の差異があっても不思議じゃない。


「とにかく服を着て……あ、あれ?」


 業を煮やした陽菜がセラに服を着るよう急かそうとした時、不意に彼女の声色が変わった。


「こ、これって……ちょ、信士君、これ見て!」

「見えるかっ!」


 ちなみに信士はまだ、盲目状態で床に這いつくばったままだ。自分で「見るな」といって目潰ししたくせに酷い奴だ。

 どうにか目の痛みが引いて視界が戻った頃には、すでにセラはがっちりと服を着せられていた。その横にはひどく真剣な表情の陽菜。彼女がこういう顔をする時はただ事じゃないことが起きた時だと、信士は知っている。


「信士君、これ……」


 そう言って彼女が指さしたのはセラの右腕。信士は息を飲んだ。

 多くの女性が唇を噛んで羨むであろう白い肌に刻まれた、異質な文様。


 それはまさに、信士の胸と陽菜の肩に刻まれていたあの樹の紋章と同じものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る