第23話 追ってきた……

「痛ててて……」

「信士君!」


 ブラック・スライムの気配が消えたことで気が抜けたのか、緊張が解けた途端、強烈な痛みが襲ってきて膝から崩れ落ちた信士に陽菜が駆け寄った。

 肩を貫通する傷口からは溢れ出して、左半身が真っ赤に染まっている。

 慌てて2人で回復魔法を掛けると、傷口は1分と掛からず綺麗に消えてなくなった。


「もう! 無茶しすぎだよ、信士君!」

「ご、ごめん」


 涙目で抗議してくる陽菜に、信士はバツが悪そうに謝罪した。

 わざと自分の身体を貫かせるなんて我ながら無茶したと思うが、あの時はあれしか思い浮かばなかったのだ。


「それだけ強敵だった……あるいは、オレたちが未熟だったのか」


 たぶん両方だろうな、と信士は思った。


「……うん。そうだね。信士君がいなかったら私は普通に殺されてた……」


 スライム=最弱、という概念をぶち壊したあのスライムの強さに、いまさながら陽菜は恐怖した。

 こうして2人が揃って生きているのは、信士が捨て身の奇策でブラック・スライムを嵌めたからだ。そうでなければ2人ともあのスライムに殺されていただろう。改めてブラック・スライムの恐ろしさを思い知らされ、2人は揃って身震いした。


「でも、あのスライムはないと思う」

「……だな」


 思い返して見てもあのブラック・スライムは異常だった。

 あんなのがウジャウジャいる世界だったら、ファンタジーオタクな自分でも絶対に逃げ出す、と陽菜でさえ思ったほどだ。


「とりあえず急いでここを離れよう。さっきまでの戦闘音を聞きつけて他の魔物が集まってくるかもしれない」

「だね。でもその前に、信士君も着替えた方が良いよ?」


 ブラック・スライムに貫かれた傷からの出血で、信士の半身は血まみれになっていた。このまま移動しては血の匂いに惹かれて魔物が集まってくるかもしれない。

 幸い、予備の服なんかも異世界転移前に<無限収納>に用意してあるので問題ない。


「判った。すぐに――」


 ――着替える、と信士が答えようとした時、背後で聞こえた小さな水音に、2人は心臓を鷲掴みにされたような恐怖に襲われた。

 弾かれたようにそろって振り返った先に、恐れていたものを見つけてしまう。


「ス、スライム……」


 信士の声は恐怖で掠れていた。

 自分たちを散々苦しめ、命を脅かした漆黒のスライムが、いつの間にか水辺に現れていた。

 信士と陽菜が瞬時に戦闘態勢に入ったのは当然だろう。2人はこのスライムの強さ、恐ろしさを骨の髄まで思い知らされていたのだから。


 しかし、何故かブラック・スライムはその場でプルプルと震えているだけで、一向に襲ってこようとしない。


「……なんだ?」


 様子がおかしいことに信士が疑問符を浮かべる。


「信士君、スライムのステータスを見て」

「ステータス?」

 

 陽菜に言われるがままに<能力看破>を発動し、スライムのステータスを見てみる。


 見れば、水場にいるにも拘らずHPが10分の1以下に減少している上、ほとんど回復していない。しかもステータスが「状態:麻痺」になっている。


 どうやら陽菜の雷撃を喰らい、即死こそ免れたものの深刻なダメージを受けたことに加え、麻痺状態になって<水分吸収>が使えなくなっているらしい。


「チャンス!」


 これを奇貨と捉えた陽菜の判断は正しい。

 いまのブラック・スライムは戦うどころか動くことさえままならない状態。止めを刺す絶好にして最大のチャンスだ。


「待て」


 だが、信士はあえて陽菜を制した。


「なんで止めるの?」


 いま止めを刺さないと、麻痺が解ければ<水分吸収>でHPを回復させ、再び襲ってくる。そうなれば今度こそ殺されるかもしれないのに、どうして止めるのか?

 訳が判らないと言った顔の陽菜を置いて、信士は無造作にスライムに近づいていく。

 怯えているのか、それとも麻痺の影響か、ブラック・スライムはさらに激しくブルブルと震える。その傍らに膝をついた信士が取った行動は――


「ありがとうな」


 ――感謝を述べることだった。


「お前のお陰で自分たちの未熟さを思い知ったよ。他人から与えられたチートだけでは、人間としても、戦士としても一人前になることは出来ない……判っていたつもりだった。その為に向こうの世界でも精一杯鍛えたつもりだったけど、まだまだ甘かったみたいだ」


 ポンポンとブラック・スライムを手で撫でてみる。弾力があってひんやりとしていて、結構いい手触りだった。


「お前はスライムなのに本当に強かった。今回は2人がかりでどうにか勝てた。けど、次は1対1でお前を倒して見せる。それまで、その命は預けておく」


 それだけ言って信士は立ち上がると、ブラック・スライムに背を向けて歩き出した。


「……殺さないの?」

「必要ないだろ? 元々あいつの縄張りに入り込んだのはオレらの方なんだし、出ていけば追ってはこないだろ? わざわざ止めを刺す必要はない」

「けど――」

「魔物狩りをやっている訳じゃないんだ。いまのオレたちの目的は、ただ生きてこの状況を脱すること。奪う必要のない命を奪うことはない。ここで弱っている相手に止めを刺しても後味が悪くなるだけだ。どうせ殺すなら、もっと強くなって成長した後、正々堂々、1対1サシで戦って殺す」

「あとでリベンジするってこと?」

「そういうこと」


 陽菜はどこか釈然としない様子だった。彼女としては、殺せるうちに殺してしまうのが良いという考えのようだ。

 信士当人も、スライム相手になんでこんな感情を抱いたのか自分でもよく判らなかった。


 ただ『最弱』というイメージを覆し、あれほどまでの強さを示したブラック・スライムに、強さを求め、憧れの人物を超えると誓った身としてシンパシーを感じたのかもしれない。


 信士の行動に釈然としない陽菜だったが、結局彼の意見を尊重して剣を引いた。


 そそくさと着替えを済ませた信士と陽菜がその場を立ち去るまで、ブラック・スライムは震えることもせず、不思議そうに2人を見ていた。目など無かったが。


 ★


 2人は再び荒野の旅人となった。信士も陽菜も、なにも無い荒野に正直ほっとしていた。


 廃墟遺跡ではゾンビの大群に襲われ、池では怪物スライムに殺されかけた。あれに比べれば、荒野の魔物たちはまだ良心的だった。


「にしても、腹が立つくらいなにも見つからないな」

「そーだよね。ラノベだったらとっくに街が見つかってる頃合いなんだけど……」


 もしもこのまま見つからなかったら……


 最悪の予想が頭を過るが、努めてそれを振り払う。


 相変わらず街は見つからないが、代わりに新たな発見があった。


「そういえば、さっきのスライムとの戦いの後、私のステータスが上昇してたよ」

「ステータスが?」

「うん。魔力と魔法力が上昇してた」



 

  名前:矢橋ヤバシ 陽菜ハルナ

  年齢:15

  性別:女

  種族:人族

  天職:大剣士

第二天職:魔法戦士

 総合力:198000

 生命力:17500

  魔力:18100

  体力:15000

  筋力:50000

  敏捷:15000

 耐久力:14000

 魔法力:14400

 魔防力:15000

 技術力:20000

  精神:19000

  状態:良好



 見れば、確かに魔力が100、魔法力が200上昇していた。それに合わせて総合力の数値も同じだけ上昇している。


 気になって信士は自分のステータスを確認してみた。



  名前:高月タカツキ 信士シンジ

  年齢:15

  性別:男

  種族:人族

  天職:刀術士

第二天職:魔法戦士  

 総合力:236500

 生命力:20300

  魔力:28500

  体力:20000

  筋力:27000

  敏捷:50200

 耐久力:18100

 魔法力:15000

 魔防力:14400

 技術力:23000

  精神:20000

  状態:良好



「あ、オレのも上がってる」


 生命力が300、敏捷と精神が200ずつ、耐久力が100ポイント上昇している。


「魔物を殺してなくても上がるんだな」

「やっぱり、ステータス値に個別に経験値が存在してるって考えは当たってるぽいね。魔物を殺さなくても訓練と経験を積めばステータスは上昇する……というか、上昇した結果がステータスとして表示されてるってことかな?」


 いずれにせよ、死にかけた経験は無駄ではなかったということだ。強くなったということは、それだけ生存率が上昇するということ。


 そこでふと、ある疑問が信士の脳裏をよぎった。


「モンスターもレベルアップしたりするのか?」


 ステータスを持っているのは自分たちだけではない。魔物にもあるのだ。自分たちが訓練や経験を積んで強くなれるのなら、魔物にも同じことが可能と言うことではないか?


「たぶんだけど、魔物もレベルアップすると思うよ?」

「やっぱりか……」


 魔物も経験を積むことで強くなる。おそらくは、他の魔物との生存競争を勝ち抜くことによって。

 野生の動物――例えばライオンでも生まれたばかりの時は子猫と変わらない。それから親から牙や爪の使い方、狩りの仕方などを教わり、幾多の経験を積んで百獣の王と呼ばれる猛獣に成長する。

 ここに住む魔物たちも、互いが喰らい合う過酷な環境を生き抜き、成長し、強くなっているのだろう。


 単純に魔物を殺して経験値を積んでレベルアップ、なんて怠けた考えでは絶対に強くなることは出来ない。人も魔物も、自己を鍛え、努力し、血反吐を吐くような苦労と経験を得た者だけが強くなり、更なる高みを目指すことが出来るのだ。


(そういう意味では、エリクス・キャンディなんてものを食べただけで強くなったオレたちは、究極の怠け者かもな……)


 だが少なくとも、あれを食べていなかったら自分たち生きてはいなかったのは確かだ。


「強くならないとな」

「そうだね。差し当たっては総合力53万が目標かな!」


 某宇宙の帝王みたいなことを嬉々として言う陽菜に、信士は苦笑した。


 その時――


<気配察知>と<生命感知>が、信士と陽菜に魔物の接近を警告してきた。


「またか……」

「仕方ないよ。魔境だもん」


 うんざりした様子の信士を陽菜が宥める。

 仕方ないと割り切って2人は武器を抜いた。


 信士たちが元来た方向から近づいてくる。気配の動きから、魔物がこちらを捉えていることは明らかだった。徒歩くらいの速さでまっすぐこちらを目指してくる。しかも気配からしてかなり強い魔物だ。


 逃げるというのも手だが、もしもさっきのブラック・スライムみたいに動きの速い魔物だった場合、背を向けるのは命取りになりかねない。迎え撃つ覚悟でじっと待っていると、近くの岩陰からそいつは姿を現した。


「げっ!?」

「うそっ!?」


 2人が思わず絶句してしまったのは無理からぬことだった。

 なにしろそこにいたのは、先ほどまで信士と陽菜を散々苦しめたブラック・スライムだったのだから。


「こいつ、追いかけて来たのか!?」


 まさか追ってくるとは思っていなかった。あの水場が縄張りなのだから、そこから離れることはしないだろうと考えていたのだが、甘かったようだ。しかも麻痺が解けて<水分吸収>を使ったのか、HPが全回復している。


 できればこのブラック・スライムとは、さっき言ったように強くなってから1対1で戦いたかったのだが、こうなっては是非もない。幸い、池からはだいぶ離れているから<水分吸収>は使えない。回復手段が無いのなら、勝機は充分にあるはずだ。

 覚悟を決めて刀を握る手に力を込める。


「待って信士君」


 信士の手を陽菜が制した。


「なんだ?」

「様子が変だよ」


 言われて再度ブラック・スライムに視線を戻す。見れば、スライムはその場でじっとしているだけで一向に襲ってくる気配がない。


「襲ってこない?」

「<敵意感知>、<悪意感知>も反応しないよ? なんで?」


 つまり自分たちと戦う気はない、ということだ。

 だったら、なぜブラック・スライムは縄張りを離れてまで自分たちを追ってきたのか?


 ぷるぷる……


 じっとその場にとどまって、震えながらこちらを見ている様は、なにかを訴えかけているようにも見えた。


「もしかして……」


 なにか思い当たったらしい陽菜が徐に口を開いた。


「君、私たちの仲間になりたいの?」

「……は?」


 なに言ってんだこいつ――と思った信士だったが、次の瞬間「判ってもらえた!」 とばかりにピョンピョンと飛び跳ねるブラック・スライムを見て言葉を失った。

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