編むよりもなほ温かい

鈴谷凌

第1話

 しばらく家にこもっていたので中々気付く機会もなかったのだが、今年の冬はいつにも増して寒冷だった。

 食べるものがなくなって買い物に出かけた折りになってようやく、頬を撫ぜる外気がなんとも冷ややかなことに気付いたのだ。

 元来こうした冬の気候には弱かった僕だが、今回ばかりは殊更ことさらに堪えた。

 行こうと決めていた買い出しもそこそこにして、その日の僕は逃げるように住処へと戻った。


 僕の家は街の喧騒けんそうから取り残された山奥にある。その街も山間やまあいに位置しているため取り囲む自然は豊かなものだったが、我が家の周りにあるそれには遠く及ばなかった。

 こじんまりとした家に取り付けられた扉を、玄関に入るや否や勢いよく締め切った。外の世界に包み込む凍てつく空気が嘘のように、暖気が僕の身体を癒してくれる。

 居間に備え付けられた囲炉裏いろりからは弾けるような音がなっている。僕の愛しい同居人が、気を利かせて食事の準備を進めているのだろう。

 その献身に触れ、僕はいっとう温かな気持ちになったが、何の戦果も得ずに逃げ帰ってきたことを思うと些か気まずい気分になってしまって。


「……ちょっとあなた。帰ってきたのなら、早くこっちに来なさいよ。料理が完成しないじゃない」


 そんな透き通るような声にようやく、僕を観念したように玄関から上がったのだった。



 同居人というのは言ってしまえば僕の交際相手に当たる人で、数年前からこの寂れた庵で同棲生活を営んでいる。

 本物と見紛うほどのつややかな椿があしらわれた着物が似合う、美麗で華奢きゃしゃで素敵な女性だ。

 その長い黒髪は研ぎ磨かれたうるしよりも美しく輝いていて。新雪よりもけがれを知らない白皙はくせきの肌は、どんな織物よりも触り心地がよかった。

 薄く紅がさされた唇も、細い鼻筋も、切れ長の目も、全て僕の愛するところだったけど。


 いま僕の真ん前に座る彼女の顔は、なんというかとても悲しそうで、それでいて恨めしそうに歪められてしまっている。

 その原因というのはひとえに、僕たちの間にある平時よりひときわ貧しい献立のせいだった。


「ごめんね、僕が頼りないばかりに」


「ご飯のことで責めているわけじゃないの。でも身体が丈夫でないのだから無理して外に出なくてもいいじゃないかしらって」


「そういう訳にはいかないよ。外に出なくてはやがて食べるものがなくなってしまう」


「私が代わりに行くと言っても聞かなかったくせに。それに律儀に私の分の食事まで用意する必要なんて……」


 そこで彼女の言葉が不自然に途切れる。悲しそうに眉が下がった彼女の顔を見て、僕はまたしても過ちを犯してしまったことに気付いた。


「やっぱり迷惑だったかな」


 けれど愛しい彼女の悲痛を見ても、僕は自分を止める術を持たなかった。


「僕の恋人になってと無理を言ってしまって。こんなに貧しくて、巷で忌み嫌われている僕なんかとの同棲どうせいを強いてしまって。君を束縛する資格など、僕には始めからないというのに……」


 続く僕の言葉はまたしても不自然に止められた。囲炉裏を隔てた向かいに座る彼女の額が、僕のそれに勢いよく当てられたのだ。

 彼女が席を立った素振りがなかったので全く気付かなかった。


「それは言わない約束でしょう。ろくろ首である私を求めてくれたこと、本当に嬉しかったのよ」


 首だけを伸ばして、彼女は僕に微笑みをくれた。


「優しいあなたが弱っていくのを見てられないの。だから寒い間は私が代わりに外での仕事を片付けるから」


 彼女は先ほど額をぶつけたところにそっと口づけをした。冷えかけていた僕の身体が熱を取り戻したように思えた。



 その翌日から、彼女は僕の代わりに外に出るようになった。

 首を伸ばさない限り滅多に人外であることは露見しないだろうが、それでもやはり僕の心では心配が勝った。


「私は古くからこの地に生きる妖怪よ。だからそんな顔しないで」


 寂れたこの家を出ていく彼女を、それよりなお寂しい心持ちで見送った。買い物はもちろん、近くで取れた山菜を売って回り、僅かではあるがお金も稼いでくれた。

 流石に慣れていないためかその手際はあまり洗練されたものではなかったが、生活には困らなかった。


 代わりに家にいることが増えた僕は日がな家事をして過ごした。温かい室内で一日を終える日々は、寒さに苦しめられていた身体を効果的に癒すものだったが。


「彼女はこの寒いなか、薄い着物一枚で練り歩いている……」


 僕がなるたけ厚着しても、身を縮めるような冷気から逃れることはできなかったというのに、彼女はまるで気にした風もなく毎度出ていく。

 本人は妖怪だからと言っていたが、帰ってきたその肌に触れると決まっていつも冷感が伝わってきたのだ。

 僕に罪悪感を植え付けないように敢えて気丈に振る舞っているのだろうかと、ひとりでに心配を焼いてしまう始末。

 だが彼女の好意を無下にしてしまうのも本意ではないため、僕はひとまず静養に努めることにした。


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