コール
わっか
第1話
誕生日がくる直前の、十一時五十九分。
俺はふらりと廊下に備え付けている電話の前に立つ。
深夜十二時が過ぎると、とたんに電話の音が鳴り響く。
震えながら受話器に手を伸ばし、結局取れずに下ろした。
古い家中に響き渡るその音を聞いて、俺はただその場に蹲ることしかできなかった。
「白井、全然飲んでねぇじゃんか。ほらもっと飲め」
「飲んでますって。先輩は彼女に振られたからって飲み過ぎですよ」
「振られてねぇ。しばらく距離を置きたいって」
俺が所属するワンゲル部の先輩の森が、顔を真っ赤にしながら新たにジョッキを空にする。
「それ振られてますよ。バイトやサークル、勉強で忙しいですもんね。会う時間もないか」
「なくても好きなら別れないって。結局他に気になる奴がいるとかそんなんだろ」
もう一人の先輩、佐々木が容赦なく森にとどめを刺す。
「佐々木ぃ」
「まぁまぁ。ほら、飲むよりもっと何か食べましょ。あ、すいません」
「はい」
近くを通った従業員に声をかけると、驚いたことに見知った顔だった。
「黒川? 何だお前ここでバイトしてんの」
「あ、ああ。まぁな」
俺に気づいた黒川も、少し驚いた顔をした。
「君、白井の友達か?」
佐々木がメニューを見ながら黒川に聞く。
「いや、友達っていうか、たまに授業で隣に座ったり、みたいな、です」
黒川が佐々木を見て、年上か同じ年か判断がつかないせいか、変な言葉で返す。
「へぇ。あ、おすすめある?」
佐々木と黒川が注文のやり取りをしている間、俺は黒川のバイト姿をまじまじと見た。
「意外だな。黒川って、バイトに居酒屋選ぶタイプに見えないのに」
見た目は黒髪に、色白。声も大きくなく、大人しめの印象だ。
反対に俺は茶髪でバイトに外での肉体労働が多いせいか、肌は日焼けしている。
黒川と一緒にいると名前を反対にした方がいいんじゃないの、とからかわれたりもした。
「賄い出るし。ここの料理うまいから」
「確かにうまいよな」
「だろ?」
にっと笑うと、黒川は伝票を持って厨房に消えた。
大学にいるときとは何だか印象が違う。
大学では主に授業に関する会話をするだけで、個人的な話はあまりしなかった。
「なぁ、あいつってサークル入ってるの?」
黙ってだし巻き卵を頬張っていた森が口を開く。
「酔っ払っていても、会った人に勧誘するのを忘れないなんて立派な部長ですね」
「途中で辞める奴も多いしなぁ。聞くのはただだから」
「サークル入ってたかな? 聞いたことはなかったですね」
「本人に聞けば」
佐々木が、ちょうど料理を運んできた黒川に顔を向ける。
黒川は、三人が一斉に視線を向けてくるので、訳がわからず首を傾げて見せた。
「君、何かサークル入ってる?」
「あ、はい。一応」
先輩二人が少しがっかりした顔をする。
「何入ってるの?」
黒川がどんなサークルに入っているのか少し興味が出て、聞いてみた。
「心霊研究会」
「えっ」
三人同時に声が出た。
「マジかぁ。そんなんあったっけ? 普段何するの?」
佐々木が一際でかい声を出す。
「まぁ、あんまり活動自体ないんですけど、怖い話で盛り上がったり、ホラー映画見たりとか、そんなので」
「怖い話好きなんだ? 俺も結構好きかも。あ、そういえばこの間聞いた話で」
そう言って森が自分の知っている怪談話をし始めた。
佐々木もそれに応えて自分の知っている話をし始める。
黒川は時折、こちらを見て興味深そうにしていた。
怖い話が好きなら興味があるのだろう。
「白井、お前は? 何か話ないのか。ひとつくらい知ってるだろ」
森が唐揚げを挟んだ箸を俺に向ける。
いつのまにか二人の怪談話は一段落していた。
「えぇ、と。急に言われても」
「ないなら今創作してみろ」
すっかり酔っ払ってしまった佐々木が無茶を言う。
「そうですねぇ」
佐々木も森も酔いが回っていて、何を話してもあまり記憶に残らないかもしれない。
それなら、と。
誰かに話してしまいたかったことがあった。
「俺のバイト先の同僚が、前に話してた話なんですけど」
自分の体験談を、いもしない同僚の体験にして話し始める。
「うんうん」
森がコップを握りしめ、俺ににじり寄ってくる。
佐々木は眠たいのか、半分目を閉じかけていた。
「何年か前、自分の誕生日の日に母親が旅行に出かけることになって。だから旅行前に十二時を過ぎたら家に電話するって言われていたんです。だけどその日、電話があってもそいつは取らなくて」
「何で?」
「喧嘩したんです。旅行する日の朝に」
思い出して罪悪感で胸がうずく。
「それで何か意地張って出なかったんですけど。次の日の早朝に、母親が事故に巻き込まれて亡くなったって電話があって」
「えっ!」
「それから毎年、誕生日になった十二時に家の電話が鳴るようになって。でもそいつは未だにその電話を取れないそうです」
それきり口をつぐむと、森は続きは? とずっこける仕草をした。
「終わりです」
「オチは? ていうか何で電話を取らないんだ? 母親からの電話じゃないかもしれないのに。そこは電話に出とかないとオチがない」
「そこは実話なんでオチはなしで。あ、でもその電話、コードを抜いているんですよね。だから本当は電話がかかってくるわけないんです」
「え……」
「ラストオーダーになります。注文ありますか?」
森が固まったところに、黒川が注文を聞きに来た。
「焼酎一杯」
「まだ飲むんですかぁ」
「お前も飲め!」
そこからは、森の彼女の話に話題は戻っていった。
「白井大丈夫か? 帰れるか?」
森は今にも寝そうな佐々木を抱えながら俺を見た。
少し飲み過ぎたようで、頭がクラクラする。一番飲んでいたはずの森が一番しゃっきりしていた。
「大丈夫です。ここから家まで歩いて行けるし。佐々木先輩を頼みます」
「こいつ、酒弱いよなぁ。ま、慣れてるから大丈夫。じゃ気つけて帰れよ」
片手を上げて俺に挨拶すると、森は潰れた佐々木を連れて駅のほうへ向かった。
それを見送りながらほっと息を吐いた。
真冬じゃなくて助かった。万が一途中で倒れても、まだ暑さの残る九月下旬では風邪を引く心配はなさそうだった。
自販機で買った水で、酔って熱くなった頬を冷やす。
何で電話を取らないんだ?
さっき森が言った言葉を思い出す。
それは俺自身ずっと考え続けてきたことだった。
母が亡くなってから、最初の誕生日。夜中に鳴った電話に、俺は取ろうと手を伸ばして、コードが抜けているのに気づいた。
数日前に、しつこい勧誘の電話にうんざりしてコードを抜いていたのだった。
コードを抜いた電話が鳴っているのに気づいたとき、俺は母の言葉を思い出した。
「どうせ夜更かししてるんでしょ? 十二時回ったらおめでとうの電話するね」
いらねぇって返事する俺に、絶対してやる! と笑いながら言った母の顔を思い出す。
もしかして、母が。俺に。
そう思ったら、手が震えて電話を取ることが出来なかったのだ。
怖いという気持ちではない。
だったらどうして? と自分でも思うが、よくわからない。
「さっきの話って、白井本人の話だろ?」
声に驚いて振り向くと、私服に着替えた黒川が立っていた。
「黒川。バイト終わったのか?」
黒川は俺の質問に答えず一歩近づき、無言で答えを要求した。
「何でそう思うんだ?」
「何となく、表情でかな」
「ふぅん」
俺は黒川の様子を見た。ただ怖い話が好きで、詳しく聞きたくて声をかけてきたのだろうか。
「確かめに来るか?」
「えっ?」
「明日が俺の誕生日なんだ」
時刻はもう夜の十一時半。家に着く頃には十五分前にはなっているだろうか。
きっと酔いすぎて、少しおかしくなっているんだろう。あまり親しくもないこいつを家に呼ぶなんて。
家に入った黒川は、少し緊張しているのか表情が硬かった。
「俺一人で住んでるから、気兼ねしなくていいぞ。珈琲どうぞ」
ダイニングテーブルに熱い珈琲を置く。
「ありがと。ちゃんと家にはいるんだな」
「どういう意味?」
「電話が嫌なら、その日は家にいなければいいだろ」
「別に嫌なんて思ってないよ。ただ、電話を取れないだけで。何でだって聞かれてもわかんないけどさ」
「毎年、電話があるの?」
「ああ。今年で五年目になるかな。家の電話は置いてあるだけで契約も解除してる。だから電話なんてかかってくるわけないんだ」
黒川は俺をじっと見つめた。
「もし、電話を取って、それがお母さんからだったら、何を話す?」
もし俺が電話を取って、それが母からの電話だとしたら?
そのとき、話すことは。
いつも思い出すのは旅行の朝、喧嘩をしたこと。
口喧嘩なんてしょっちゅうだった。俺の生活態度や勉強のこと、それらの注意を言い返しては喧嘩になる。でもすぐ仲直りしたし、あの時もそうなると思っていたのに。
「……ごめん」
ごめんなさい。ごめんなさい。言いたいことは、ただ。
電話のベルが鳴り響き、俺は衝撃で体が震えた。
黒川を見ると、無言で頷いた。俺は少しよろめきながら廊下に出た。
震える手で電話に手を伸ばすが、やっぱりそれ以上体は動かない。
後ろに立っていた黒川の手が、俺の脇からすっと伸びてきて電話を取った。
否応なしに黒川は受話器を俺の耳に当てる。
「はっ……」
思わず息が漏れる。
「瞬?」
電話口から聞こえてきたのは、懐かしい、声。
「母さん」
「やっぱりまだ起きてたね。あ、私が起こしたのかな? ふふ。誕生日おめでとう」
「お、俺……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめ……」
ずっと聞きたかったその声に、訳もわからず涙が溢れる。
泣き続ける俺に、耳元から優しい声が聞こえた。
「瞬がそんなに素直に謝るなんて、明日雪が降るね。というか、私もごめん。私もきつい言い方だったし」
「そんなこと」
「明日帰るから、一緒にケーキ食べよう」
「……うん」
「じゃあまたね」
「うん。また」
通話が切れた。
いつも通りの、日常会話。明日の約束。
でももう、そんな明日は来ないのだ。
だから俺は電話に出なかったんだと、わかった。
きっと来年は、電話はかかってこないだろう。
止まっていた時が動き出したから。
「ごめんなさい。ありがとう……母さん」
まだ涙の止まらない俺の背中を、優しく撫でる感触があった。
振り返って黒川を見る。
お前がいてくれて助かったとか、言いたいことは浮かんだけれど言葉には出来なかった。
そのうちうつむいてしまった俺を、黒川はそっと抱き寄せて背中を撫で続けてくれる。
黒川の体温が、そのまま俺の心に温かい灯をともした。
「あれっ?」
次に意識が浮上したとき、俺はいつの間にかソファの上で寝そべっていた。
カーテンから漏れる明るさで、もう朝だとわかる。
「く、黒川?」
「おはよう」
黒川が台所から、にゅっと顔を出した。
「腹減っちゃってさ。勝手に冷蔵庫の食材で朝ご飯作ったんだけど良かった?」
「いやいや、そんなの全然大丈夫だけど、それより俺、昨日は」
「ああ。お前あのまま寝ちゃったからソファに運んで寝かしといた。俺はその辺の床でゴロ寝したし」
「うわあぁ! ごめん! マジでごめん!」
ソファから転げ落ちるようにして土下座して謝った俺に、黒川はふっと笑って、いいよと言ってくれた。
黒川の作ってくれた朝食は、サラダと目玉焼きをのせたトーストだった。
「うめぇ」
「そりゃ良かった」
黒川が美味しそうに珈琲を飲む。
「ありがとう。飯も、昨日のことも。一緒にいてくれて助かった……というか、嬉しかった」
「嬉しい?」
「お前がいてくれたことで、俺一人の妄想じゃなくて、現実だって実感できたっていうか。共通認識できる相手がいてほっとしたっていうか」
黒川が少し悲しそうに目を伏せた。
「黒川?」
「悪い。俺には何も聞こえなかった」
「え」
「白井の態度を見て、聞こえたかのように合わせただけなんだ」
「そっか」
少し気が抜けたような俺に、黒川は真剣な顔を向けた。
「俺には聞こえなかっただけで、昨日のことが現実じゃなかったなんて思わない。白井もそうだろ?」
「あ、ああ。そうだな」
あれは夢なんかじゃなかった。確かに現実に起こったことで。
「残念だよ」
黒川は、心の底から無念そうな顔をした。
「俺も聞きたかった。あのとき、聞こえればいいのにと願ったよ。俺もお前と一緒の体験をしたかったな」
「ケ、ケーキ!」
寂しそうに微笑んだ黒川の顔を見て、思わず大声が出た。
「食べないか! い、一緒に」
黒川がぽかんとした表情で俺を見ている。
「ほら、俺、誕生日だし。不思議な体験は一緒に出来なかったとしても、ケーキ一緒に食うことは出来るし!」
自分でも何言ってんだ、と思う。滅茶苦茶恥ずかしいことを言っている気もする。顔も段々熱くなってきた。
黒川がふはっと小さく吹き出した。
「いいなそれ。……白井、誕生日おめでとう」
そのとき、確信が持てた。
来年、母さんから電話がなくても大丈夫だ。
母さん俺、前に進んでいくよ。
コール わっか @maruimono
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