天津水という女

巨勢 尋

1

「え? 君は探偵になりたいんじゃないのか?」

「ちゃうわ。探偵"助手"の方やってなんべんも言うてるやろ」

 はや年も暮れようという12月末の夜。普通の店舗ならとっくに仕事を納めているであろう喫茶店にて時間を潰していた。時間を潰す、と言ってもこの後に何か予定があるわけじゃないけれど。

 薄いオレンジ色のランプが俺たちを包み込む。石油ストーブが効いている暖かい店内は、いつもと違ってひどく閑散としている。客は俺と目の前に座るこいつ、天津水成園あまつみずせいえんだけだ。散らかった焼きそばみたいな髪の毛を、今日も直さずに来ている。成園は猫舌のくせに格好をつけて、淹れたてのコーヒーを飲もうとしている。

「アツぁっ!」

「アホか。ええ加減学習せぇや」

 下を火傷をして涙目になった成園が、キッと俺を睨む。茶色い瞳が俺を映した。

 成園の喚き声を聞いて、気を利かせたマスターが成園に水を出した。

「マスター、あんまり甘やかしたらあきまへんで。ほんまに」

「まひゅたーあひがほう」

 初老のマスターは軽く一礼して、またカウンターの奥へ消えていった。あの人もよくわからない人だ。年末に店を開けてるし、無口だし。この店には数年通っているけどマスターが喋っているところを聞いたことがない。

「なあ成園、お前マスターと喋ったことあるけ?」

「そう言われてみれば一度もないな」

 成園はそう言ってコーヒーに口をつける。

「あっハぁッ!」

「うるさ!」

 マスターが奥から顔を出す。

「大丈夫です、無視してください」

 俺がそう言うと、こくりと頷いて、また奥に消えていった。

「しかしまた、どうして探偵助手ってポジションなんだ?」

 成園はさっきの話題に戻った。

「探偵なんて出された証拠からいろいろ推理して犯人割り出すだけやろ? 探偵助手は推理に必要な証拠を集めたり、関係者に話聞きに行ったり、尾行したりってようさん仕事するやん。身になるスキルがつきそうやし、楽しそう」

「偏見がひどいな。探偵だってそれぐらいやるさ。君は捻くれてるねぇ」

 変わり者を見る目で俺を見つめて、成園が言う。お前にだけは言われたくない。

 壁の時計に目をやると、午後8時を過ぎたところだった。晩御飯を食べていないから、そろそろお腹が空いてきた。

「マスター! ナポリタン大盛りで!」

「私も!」

 俺たちからの注文を受けて、マスターはまたこくりと頷く。

 窓の外は相変わらず、街灯しかない、暗くて寂しい道だけが広がっていた。

 この街には古墳がそこら中に点在している。小さいものでも小山ほどの大きさになり、そのせいで人家の明かりもまばらになっていて、夜の暗さを一層深くさせている。

 今さらその辺の古墳が世界文化遺産になったと言われても、地元民からすれば生活の風景の一部でしかない。もちろん登録された時は街中が沸いたと思う。古墳群を世界文化遺産登録するために色々とPR活動をしていたハニワ頭の課長(今は部長に昇進したらしい)がテレビに映り、その喜びの心境をインタビューで伝えていたことも記憶に新しい。中でも代表的な仁徳天皇陵は、クフ王のピラミッドと始皇帝陵と並ぶほどの陵墓なのだとか。近くで見ても低い山にしか見えないけど。

 まあ何が言いたいのかというと、良くも悪くも古い街なのだ。ここは。

 そんな取り留めのないことを考えていると、無言のマスターが大盛りのナポリタンを乗せた皿をテーブルに置いた。輪切りのソーセージやピーマンがトマトケチャップと絡まり、その上に散らばる輪切りの鷹の爪が、また一段といい匂いをさせている。

「いただきまーす!」

 俺と成園は揃ってナポリタンにがっついた。二十代半ばの女と学ラン姿の男子高校生が揃って大盛りのナポリタンにがっついているという、奇妙な空間が生まれた。カウンターの中からマスターがその光景を見ていた。

 この口周りをケチャップ色に染めている天津水という女、字書きを本業としているくせに、ろくに仕事をしやがらない。聞けばギャラのいい大きい仕事を年に数回こなし、その原稿料を切り崩して生活しているのだとか。その仕事がある時は、担当編集の新野さんが毎回泣きべそをかきながら原稿を催促している。いくら担当編集だからといっても、催促のためにわざわざ毎日こいつの家に来られない。そのため、その時は俺が代わりに細長く丸めた新聞紙を手に持って缶詰の見張りをしている。新野さんは年下にめっちゃくちゃ甘……優しいので、缶詰の見張りをするとおこづかいをくれる。

 成園は赤煉瓦でできた古いアパートの、散らかった図書室見たいな一室に住んでいる。俺は行く度に散らかった本や下着なんかを片付けている。作家というのはみんな片付けができないのだろうか。これも偏見かな。

 成園と知り合ったのは、学校内で起きたとある事件がきっかけだった。

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