第7話 ノイズ(1)

助手席に冬樹が乗り、後ろのリビングスペースに響子がリョーコを抱いて乗った。


尾道大橋ICから西瀬戸自動車道に乗り、尾道大橋を渡り向島に入った。そのまま高速を南へ向かい、因島大橋を渡る。因島北ICで高速を降り、367号線に出て、高速道路をの下を引き返す形で因島大橋記念公園の方へ向かう。317号線に突き当たると左折し、高速道路をくぐった先、因島大橋公園の近くにMK電子株式会社はあった。


駐車場に車を停めると、因島大橋の巨大な白い橋げたが目に入った。


青い空と青い海をバックに白い橋が向島へ向かって伸びていた。


会社に着き社屋に入ると、受付カウンターに座る女性が響子に深々と礼をした。「中条」と書かれたネームを下げている。


響子にとって見覚えのある顔だった。


夏彦の部下だった女性だ。


女性が内線電話をかけ、3分もせず40歳ほどの男が受付に来た。


佐藤というネームを胸に下げている。短い髪をきっちり整えた背の高い男だった。


台車に大きな段ボールを2つ載せ、ゆっくりと押して来て響子の前で止まり、小さく頭を下げた。響子を見る目は優しかったが、響子の後ろで、リョーコを抱いて立っている風人を見つけると、眼差しに少し棘が入った。


「彼は?弟さん、ではないようですね」」


「知り合いです。心細いからついてきてもらいました」


風人は状況を察し、瞬間的に営業モードに入った。


「すみません、私人形劇団ナークの者で日花と申します。先日上演した人形劇がきっかけで響子さんと知り合いまして。今日はお土産を持って寄ったところ、事の次第を聞き、荷物を載せるなら私の車がいいかと思いまして」


にっこり笑って名刺を差し出した。


風人の笑顔はまるで絵画のように美しい。その笑顔に佐藤は数瞬みとれたが、すぐに警戒の色に変わった。


受付の女性が風人の顔に見とれている。


そのことに気が付いた佐藤の眼に小さな悪意が宿った。


「人形劇団の団員ということですが、どんな芸ができるのかな?」


男の言葉には明らかに棘があった。風人が何も道具を持っていないことを見越したうえでの言葉である。しかし、次の言葉が逆効果であった。


「腹話術師と名刺にかいてあったけれど、まさか抱いているその犬がしゃべるわけじゃないよね?」


リョーコがぬいぐるみではなく、生きたトイプードルであることを確認して口にしたのだが、


「さっきから聞いてればやたら噛みついてくるじゃない?」


間髪入れずリョーコが男に返す。


「ふふ、姉さんの方がよほど噛みついてますよ」


風人が笑いながら形ばかり窘めた。


木で鼻をくくったような態度だった佐藤は肝をつぶした。


様子を見ていた受付の女性も、きゃ!と小声を上げた。


「腹話術なのか?本当に犬がしゃべっているみたいだ」


「腹話術じゃないですよ。僕の姉です」


風人はいたって真面目に答えた。


「よろしくね、つんつんリーマンさん」


リョーコが黒い小さな鼻に皺を寄せ、小さな牙を見せて言った。




佐藤は夏彦が勤務していた会社、MK電子の副社長を務めている。


小さな部品会社からスタートしたが、それぞれの時代に合った部品商品を開発し、いまでは社員120人をかかえる、この地方でも指折りの成長企業だ。佐藤は社長の甥にあたり、設立当時からの社員だ。夏彦が親会社から技術指導課長という立場で赴任してきてからは、一緒に様々な製品開発を手掛けたという。いくつかの商品を開発したのち、もともと尾道の出身だった夏彦は親会社を退社し、MK電子に就職した。


佐藤が言うには夏彦は優秀な男で、横領したことが信じられないが、物的な証拠がいくつもあり、経理のシステムを夏彦の権限で操作していることが決定的であるということだった。横領は細かく何度にもわけて行われており、副社長である自分も気が付かなかったと残念がっていた。




家に持ち帰った夏彦の私物は雨靴や安全靴、手袋、工場に入るときのヘルメットと無菌服、健康診断の問診票、給与の支払い明細、計算機、仕事に使ったメモ用の大学ノートが数冊だった。


風人は夏彦の部屋に遺品が入った段ボールを運び込んだ。


「日花さん、今日は気が重くなることにお付き合いさせてしまってすみませんでした。珈琲を淹れますから、ちょっと待っていてくださいますか?」


「ありがとうございます。でも、そんなにお気遣いなさらないでください」


響子はリビングに風人を促し、テーブルの椅子を引いた。


風人が腰かけると、床を歩いていたリョーコがぴょんと風人の膝に飛び乗る。


冬樹はその向かい側に座った。


「お母さん、僕もコーヒー」


「あら、珍しい。冬樹がコーヒー飲むなんて。風人さんと同じがいいのね」


「うん」


「リョーコさんにはササミの燻製があるけど、それでいいかしら。見よう見まねでつくったのだけど」


「ささみの燻製ですと!!」


まるでビームを発射するロボのように目を輝かせたリョーコが、叫ぶように言った。


響子は笑った。




風人とリョーコ、冬樹がリビングでくつろいでいると、響子のパソコンにクライアントからのメールが届いたらしく、ポコンという音がした。


響子はパソコンを覗き込む


「すみません、クライアントからかもしれないので、ちょっとメールを見ますね」


暫くパソコン操作をしていた響子が何かに気づいたように手を止めた。そし驚いた顔で風人に振り返った。


「日花さん、ちょっとこれを。仕事のために写真データを探していたら、こんなものをみつけました」


「私、夫のカメラが盗まれる少し前に写真データを自分の仕事用のPCの画像フォルダにコピーしておいたんです」


響子が自分のPCにコピーした夏彦のカメラデータホルダを覗くと、写真に混ざって圧縮データがひとつあった。


解凍すると、デスクトップに伝票データを一覧にしたCSVファイルが広がった。


支出額、起票日、支出年月日、支出権限者が一覧で記載されている。


その支出権限者は佐藤副社長だった。


「これって―――」


「佐藤副社長が会社の伝票システムで支出していた記録ですね。そうか、ということはこんな仮説が成り立ちます。実は横領をしていたのは副社長だった。しかし、それを夏彦さんはこっそり記録として保存していた。夏彦さんが事故でいなくなったあと、自分の横領を夏彦さんのせいにした」


「佐藤さんが」


「しかし、夏彦さんの遺品を整理していたら、証拠をカメラのSDカードに保管しているらしいことがわかった」


「証拠を隠蔽するために、空き巣に入り、カメラを盗んだってこと?」


リョーコが風人を見上げる。


「カメラを盗んだとみせかけて、というか最初から狙いはSDカードだったわけですね」


「佐藤副社長は、夏彦さんのノートか何かを見て、カメラのSDカードにデータが隠されていることを知ったのですね。だから、響子さんが留守のときに空き巣に入り、カメラを盗んだ。目的はカメラじゃなくて、中に入っていたメモリーだったというわけです」


「これって、シャングリア女に連絡する案件よね」


「それ真木さんのことですか?」


という風人のツッコミがいつになく冷静に聞こえた。


風人が尾道署に電話をかける。


「もしもし、尾道署ですか?真木刑事をお願いしたいのですが。え?課長?あ、はいそうです女性です。体のおおき──いや――背の高い───」


「もしもし、代わりました真木です。そうよ、私、生活安全課の課長なの。え?意外?体育会系のたたき上げだとでも思ってた?何?そんなこと言うために電話してきたの?」

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