第6話 未亡人(2)

「ご主人はまだみつかっていないのでしょう?それで死亡したと判断できるのですか?」


風人が訪ねると


「海難事故の場合はね、事故が起こってから3カ月経過して、周囲の状況から生存が考えられない場合にはご遺体がなくても認定死亡の手続きがとれるのよ」


と真木が説明した。


「でもそれって」


「亡くなった方も気の毒だけど、遺されたひとたちの気持ちも、その立場も整理しなければならないでしょ。残された人たちが前を向くための制度なのよ」


「そうなのですね」


「この家も、借金のカタに売られちゃうってことだけど、認定死亡のおかげで生命保険でローンが相殺、帳消しになるから売れるわけ。まあ、だからこそ慎重にやらなければならないことだけどね」


「大原さんはやっと前を向き始めていたのよ。そんなときにこの空き巣騒ぎでしょ。だから心配になっちゃって。直接捜査の担当じゃないのだけど駆け付けたってわけ」


真木は響子とは旧知ではなく、冬樹の父であり響子の夫の海難事故で知り合ったのだという。


「そこに、君みたいな変な男が訪ねてきたら不審に思うのは当然でしょう?」


「それは―――そうかもですね」


「あはは。自分で認めちゃうわけ?」


「ちょっと、風人の事を変な男っていうのやめて。風人は見かけこそこんなに美形だけど、そこそこ抜けてて愛嬌もあるんだから」


リョーコがテーブルに前足をかけて、真木を見上げて言った。


「姉さん、お行儀が悪いですよ。庇うふりして何気にディスるのやめてください」


リョーコを窘めた風人だったが、


響子と真木はくすくすと笑い始めた。


「ああもう!!なんてかわいいんでしょう!!」


真木は長い手を伸ばし、リョーコを抱き上げ頬ずりした。ごりごりと音がしそうなほおずりだ。


「ぎゃあああああ」


とリョーコ。


身をよじるようにして真木の懐から抜け出し、風人の膝へ逃げ込んだ。




「あ、そうだ。ちょっと待っててくださいね」


 その光景を笑いながら見ていた響子は立ち上がると、パタパタとキッチンに向かい、鶏のささみをサラダ用のキャベツの千切りと一緒にゆでて小皿に盛り、扇風機で冷ましてリョーコの前に置いた。


「わあ!茹でたてのささみ~!くたくたのキャベツ~!!」


「まだちょっと熱いかもしれませんから気を付けて下さいね」


響子が、大興奮のリョーコの様子を見て笑う。


「もう、すぐがっついて」


たしなめる風人


「姉夫婦がトイプードルと一緒に暮らしてて、ささみとキャベツの茹で方教わったんです」


 すこし得意げな響子。


「茹で具合最高」


フガフガ言いながら茹でたささみとキャベツをがっつくリョーコ。


「すみません、姉のことまで」


風人が恐縮している。


リョーコを中心としたほんわかとした柔らかい空気感を保つべく、真木刑事は署内でおこった部下のヘマを主題とした笑い話を立て続けに話し、風人の肩をバンバン叩いた。


響子は「ついでだから。ご飯はみんなで食べたほうがおいしいから」と夕食を手際よくつくった。成り行きでごちそうになる風人と真木。


しまいには真木に泊って行けばいいからとお酒をすすめた。真木は響子の作ったハイボールを飲んで顔を赤くしていた。


真木にしてみれば、空き巣のせいで心細いであろう響子と一緒にいるため、しかたないと思う心もあった。風人はそれに巻き添えをくった形だ。


「飲んじゃいなよ」


「でも」


 「君の車は寝泊りできるんだよね。だったら駐車場貸してもらえばいいじゃん」


「ハイボールって香りはいいんですけどね。でも、ちょっとキツイかなあ」


「いいから飲みなさいよ」


 二人の口調はまるで女性上司とその部下のようだ。


「駄目よ、風人にお酒すすめちゃダメ!!」


リョーコが目を丸くして、身を乗り出して真木を止めようとした。


「はい、ではちょっとだけ」


響子が執拗にハイボールを進めるので、風人は二口ほど飲んだ。


「あー、飲んじゃった」


とはリョーコ。


「これはアイランドウイスキーですね。少しヨードと潮の香りがします。麦芽に潮風があたって、、、、」


そこまで言ったところで、風人は糸の切れた操り人形のようにカクンとうなだれソファにこしかけたままスースーと寝息をたて始めた。


 「うん?何よ?呆れた。もう許容量オーバーなの?お酒弱いわねー」


真木が片手にハイボールのコップをもち、うつむき寝息をたてている風人の顔を覗き込みながら言った。


「だらしない」


「でも日花さんの腹話術にはびっくりしましたね」


とは響子。


「うん。凄いよね。ワンちゃんがしゃべっているとしか思えないもの。でもさ、ワンちゃんを姉さんっていうあたり、この人どこまでがまともなのだかわかんないわ」


真木がグラスに口をつけながら言った。


「風人はまともよぅ♪」


リョーコが顔を上げて二人を見た。


はっとなる響子と真木。


ねむりこける風人の膝の上で丸くなっていたリョーコが響子と真木の話に割って入った。


「ねぇびっくりした?」


とリョーコ。


「あらためてびっくりしました」


響子が真木の顔を見ながら答える。


「風人さんは」


「今は眠っているわぁ♬」


リョーコは風人の方を見て、ふうとため息をつくと


「風人は、お酒が全くダメでね。ビールだとコップで半分、ウイスキーだと舐めただけで寝ちゃうのよ」


「うんうんわかるわ。かたや撃沈、かたやロレツがまわってないもの」


真木もかなり酔っているようだ。彼女の場合飲んでいる量がケタ違いなのだが。


「この子は大切なヒトを亡くしちゃってね。だから私とこうやって旅をしているわけ。だって誰でもさ、大きい小さいはあれ、何かに依存しなくては生きていけないじゃないよ?」


リョーコがたどたどしく言う。


「そう、ですね。私も大きな心の支えを失ったばかりだからわかります」


響子が伏し目がちに言った。


「私たち、大切なものを失い心に傷を負った者でないとわからない会話ね」


 突然、真木の座った目にぶわっと涙があふれた。


「貴方も誰か大切なヒトを失ったの?」


 リョーコが首をひねりながら尋ねる。小さな短い尻尾が左右に揺れた。


「うんんん───」


真木が嗚咽する。


「その悲しみをわらしにぶつけなしゃい」


酔っ払い同士の会話になって来た。


「私の心のよりどころだった、シャングリアハムスターのピーちゃんが先月死んでしまって」


真木がテーブルにグラスを置いて言った。


「そ、それは辛いわね。でもシャングリアじゃなくてジャンガリアンだと思うわ」


 少しひきつった顔でリョーコが言った。


「若かったのですか?」


響子がタイミングをはかって尋ねる


「まだ4年11カ月と12日しか生きて無かったのに、ううううう」


「ハムスターで4年生きたら大往生だわよ。猫だったらしっぽがふたつに分かれて猫又になってるわ」


リョーコは酔っていながらも呆れた口調でぼそぼそ言った。


「あのもふもふに触れられないと思うともう辛くて。私のシャングリアハムちゃん」


「ジャンガリアンね」


真木はリョーコを風人の膝から抱き上げ、ぎゅうっと抱きしめた。


「ああ、このもふもふたまらない。なんて気持ちいいんでしょう」


「私の話聞いてるの?ちょっとやめてよ、苦しいったら。ちょっとー」


二人の様子を見ながら、綺麗な切れ長の瞳に薄く涙をためつつ、響子は笑っていた。




翌日、風人とリョーコは軽キャンパーでしまなみ海道を渡り松山へ向かうため、庭先で響子と冬樹との別れを惜しんだ。


お世話になりましたと、響子と風人はお互い頭を下げた。冬樹は名残惜しそうにリョーコの顔を覗き込んでいる。


真木は飲み過ぎの頭痛がするのか、駐車場でほぼ仁王立ちで顔を少ししかめ、片手を頭に当てている。そこへタクシーがやって来た。


「それじゃ、私はこれで失礼するわ。まだ血中アルコール濃度が下がりきってないかもしれないから代行呼んだの。警察官が酒気帯び運転じゃシャレにならないからね」


響子は真木を見送った。


「ねえ、僕たちも松山に行こうよ」


冬樹が響子の手を引きながら駄々をこねる。すっかり風人とリョーコになじんだ様子だ。


響子も風人とリョーコのやわらかい雰囲気に触れ、加えて真木のガサツな励ましの甲斐あってか、久しぶりに笑って、気晴らしになったようだ。


「そうねえ、お母さんの仕事の都合がついたら、日花さんの人形劇を観にいこうか」




風人は相変わらず忙しい。松山に到着するなり文化会館の専門員と打ち合わせを行う。


本日使用しているご婦人たち十数名のレクレーションダンス講座が終わるのを待ち、舞台装置の状態を確認し、前もってメールで送っている進行表を確認しながら開幕時の人形劇の舞台の位置を決め、照明の調整をお願いする。


大きな会館であれば、第2ホールと言えど、暗幕が幾重にも下がっているので、どの幕をどれくらい開けておくか、緞帳をどれくらい上げておくかで舞台の奥行き感が違うのだ。


本番当日、4時間前には団長と大道具を積んだトラックが到着し、ケコミと呼ばれる人形劇の舞台の組み立てに入る。


舞台が始まり、いつものように人形劇の前に風人が腹話術を披露する。リョーコとのかけあい、思わぬところからの発声に客席が沸く。掴みがしっかりできたところで舞台下手の袖に退いた。


舞台の頭上には、客席には見えないように横に長いバトンと呼ばれる棒が吊るされている。


このバトンに、人形劇の背景や舞台効果を上げる装置を吊るし、客席から見えない舞台袖のロープを引いて持ち上げたり下ろしたりするのも風人の仕事だ。先日の体育館での公演は舞台装置がないので行わなかったが、会館で行う場合は様々な効果を使うので、風人の仕事は増えることになる。


 進行表と台本に合わせてロープを引き、照明の強弱を箱付きの舞台技術に手で知らせる。


風人は相変わらずバタバタと忙しかったが、舞台袖の幕の間から客席を見ると、一番前の席に響子が座り、その膝の上に冬樹が座っているのが見えた。


終演後、舞台を片付けていると、二人が挨拶に来た。


「すっごく面白かったよ」


と冬樹が言った。


美しい響子が風人に親し気に語り掛けるので、団員の皆がちらちら視線を送る。


団長はじめ副団長や浦戸が


「風人の鼻の下が伸びている」という。


風人の腹話術に驚き、興味を示す女性がいままでいなかったわけではないのだが、逆に風人にとってはそのような人たちはお客さんであり、それ以上の興味を示さなかった。


見るからに風人に興味を持っている女性のお客さんが風人に話しかけても、劇団員が心配するくらいつっけんどんな対応しかしていなかったのだが、響子に対しての風人の表情には明らかに照れが見て取れた。


「へえ、あの能面ケチケチ青年もデレたりするんだ」


とは紗枝。


「そんなんじゃないですよ」と必死に否定する風人。

団長が頭に巻いた黒い手拭いをとって、響子に挨拶をした。


「家の買い手が見つかり、夫の負債を返すことが出来そうです。やっと区切りがついたので故郷の生口島で実家の八朔作りを手伝いながらWEBデザインの仕事もやろうと思います」と告げる響子。


そう言う響子の眼には力強くひかるものがあった。


まぶし気に響子を見る風人。


「お母さんは最近ぜんぜん笑わなかったんだけど、お兄ちゃんと話をするときには、にっこり笑ってとっても楽しそうなんだ」と冬樹は子供ながらのまっすぐな意見を言う。


風人は


「妻を亡くした夫は弱いが、夫を亡くした妻は強い」という、ヨーロッパの諺があることを思い出した。


風人がすべての仕事を終える前に、響子と冬樹は会館を後にした。


翌日、風人は松山を経つと西へ向かい、今治の道の駅でリョーコ念願のローストチキンと土産物を買い、一路福山に踵を返した。再びしまなみ海道を渡り、響子と冬樹の家に寄る経路をとった。


 いきなり押しかけても迷惑なので、高速道路上、向島にはいったところでお土産を二人に渡すためと、響子に電話をすると、声に元気がない。


 大原家について、道の駅で買ったお土産を渡した風人であったが、響子が言うには夏彦の勤務していた会社から電話があり、使っていた荷物を取りに来てほしいという。


 風人とリョーコは顔を見合わせた。


「そりゃ、場合が場合だけど、夫に先立たれた妻に荷物とりに来いってなかなかの仕打ちよね」


 リョーコが口をへの字にして言った。


「心細いなら僕がついて行きますよ」


と風人。放っておけるはずもなく風人の車で会社までいくことになった。

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