第四章 マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
「愛ちゃんもバレンタインって誰かにチョコあげるの? やっぱり良夫くんだったり?」
そう話し掛けてきたのは夏希だった。俺が密かに焦がれていたクラスメイト。天真爛漫な雰囲気で誰彼構わず話し掛ける。……うむ。そうだ。今なら認められる。俺も勘違いした一人だった。こいつ、俺に気があるんじゃないかっていう。
だって、しょうがないんだ。当時の俺みたいな奴でも話し掛けてくれるんだもの。
夏希は身を乗り出し、頬杖をつきながら目の前にいる愛を眺めている。瞳に浮かべているのはからかいと冗談。ケツみてぇな口しやがって。
俺は隣に視線をやった。
愛は眉根にしわを寄せ俺を見ていた。……そんな顔すんなよな。すげー顔になってるぞ。美人が台無しだ。
最も、クラスメイトの前でこいつがこんな表情見せてくれているのはどちらかと言わずまでも喜ばしいことか。なーんか、いつも俺以外の前では表情固いんだよな。固いじゃないな。強張っている。
軽んじている馬鹿にしているって時もあるが、あれはあれで良い。あの小馬鹿にしたような表情はこいつの個性だと捉えておこう。
愛は言う。
隣に座る俺を見。
「なんでわたしが」
「だっていつもよく話してるじゃん」
「話していたらチョコをあげるのか? だったら君なんかはクラス全員の男子にチョコをあげなきゃならなくなるね。学年全員の方が適切か? 大変だろうね。麦チョコでもあげればいいさ。みんなみんな喜ぶだろうよ」
愛は「ハ」と溜息をつき、大仰に両の手のひらを上へと向けた。夏希は、その皮肉が通じたのか通じなかったのか、今度は俺に視線を移す。
「じゃ、良夫くんにはあたしがあげようかな~」
「へ」
「うん?」
「……」
「麦チョコじゃなくってね。良夫くん――この前あたしのこと呼び捨てで呼んでたっけ? じゃああたしも良夫でいいよね――良夫は甘いの好き?」
「あー」
ダミ声を発しながら教室をぐるりと見渡す。ざわざわとした雰囲気。時計を見、黒板の文字を改めて眺める。
「あんまり話しているともうそろそろ先生戻ってくるかもだぞ」
「ないでしょ。小相澤先生だよ? しかも道徳。算数や国語だったらパッと戻って来そうだけど。道徳で小相澤先生ならないないないない。たぶんぎりぎり。よかったね。今日前半小相澤先生で後半持永先生だって」
黒板には大きく『自習』の二文字があった。夏希の言った通り今は自習の時間。席の近い子同士で机をくっつけ四人一組の班をつくる。そうしてから提示されたテーマについて話し合い、答えを出し、紙に書いて提出。後日、各班が出した答えを今度はクラス全体で再議論する。
テーマは『嘘』についての是非。
なかなかに難しいテーマだった。
自殺騒動の後、俺たち四組の授業は、三年生各クラスの先生が持ち回りで見ていた。先生方は大変そうだった。世間の目も声もある。あからさまに憔悴しているのが見えるが文句も言わず、粛々と仕事を熟し、生徒たちに変わらぬ笑顔を向けている。
向けようと努めている。
聞くところによると、次に来る先生はもう決まっているらしいのだが……、手続きやら準備やらでどうしても時間が掛かるらしく、今暫くはこんな状態らしい。
小相澤先生と持永先生は、言っちゃ悪いが三年生担任先生の中でもあんまりやる気の感じられない方だった。
「ね、そんなことよりさ」
嘘の是非。夏希は興味ないようだ。俺からすれば小学三年生の出すそのテーマについての答えには若干の興味があった。だが、見渡す限り、皆ちゃんと議論している様子はない。明らかに最初に出した答えをそのまま提出する気でいる。
小相澤先生がまだ教室にいた時出した結論をそのまんまだ。
『嘘はいけない。どんな時でも絶対についちゃいけない。後で自分が苦しむから。』
これはこれで極端。
「甘いのは好きだぞ。チョコにはうるさいからな、俺。売ってる市販チョコ融かして型で固めただけのものじゃ満足しないかもしれん」
牽制するつもりで言っていた。ところが、
「ほんとー? じゃあ、どゆのがいいか選んでもらっちゃおっか? 良夫今度の日曜日空いてる? 一緒にどっか行こう」
「お、おお? ああ、えっと」
「あはは。嘘々。でも本当に行ってもいいよ。家、ちょっと近いもんね? むかーしは陸とも遊びに行ったんだけどねえ。最近、陸も相手してくれなくなって暇なんだー。だから良夫、行こうよ。チョコも本当にあげちゃうよ? ほんとだよ?」
ぐいぐい来るな。くそ。だんだん思い出してきた。そうだ。夏希は基本こんな感じなんだ。勘違いしちゃいけない。誰にでも言ってるんだぜ、これ。
そういえば夏希と陸は隣近所同士だったか。
「アホ面」
真横から手厳しい声が聞こえてきた。
「ロリコン」
続け様言われる。俺は内心焦りながらとりあえず返すことにする。
「……同じ歳でロリコンも何もないだろう」
「ハ」
「ろりこんってなに? 二人だけに通じる合言葉? あ。合と書いて愛と読む! みたいな」
口語だと全く伝わらんぞ、それ。いちいち揚げ足取りみたいにからかい要素探すの止めて欲しいね。
「ふっ、ん」
「あっ。拓真くん起きた」
「うん」
「もう終わったよ」
「うん」
「これ、書いちゃいな」
夏希が横からスッと回答用紙を差し出した。菊池拓真は礼も何も言わずにいそいそと鉛筆を動かし始める。にこにこと。機嫌良さそうにその姿を眺める夏希。面倒見は良いんだよな、こいつ。未来では保育士やってたっけ。
視線を動かす。
菊池拓真。おかっぱ頭の大人しい男の子。印象が薄い。あまり喋っている印象もない。中学でも高校でも一緒だったが、いつも一人だった気がする。俺の印象だけで、実は仲が良かった奴でもいればべつだが。しかし、まあ大人しく、あまり積極的な方ではないのは確かだった。寝ているのは、サボっているからだとか、眠いからだとか、そういう理由じゃなしに、菊池なりの処世術なのだと思う。狸寝入り。現に授業中は寝ないしな(今回みたいなのは除く)。和気藹々とした雰囲気が苦手なんだ。べつに仲は良くなかったが、女子が特に苦手そうで俺は勝手にシンパシー感じていた。
「そうだっ。拓真くんにもあげようか」
「な、にを」
聞いていただろうに。
「チョコ! ね? もうすぐバレンタインだよ。欲しくない?」
「……う」
菊池はあからさまに困っていた。どうしていいのか分からないのだろう、俺を見た。見られてもな。俺が、「そのへんで勘弁」と言ったところで、
「欲し」
「さて。皆さんもう書けましたか。班で紙を集めて前に提出するように」
拓真が何やら呟いたタイミングで小相澤先生が戻ってきた為、この話はこれで終わった
かに思えた。
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