第三章 霞ヶ丘小女子児童自殺騒動22
チャプター39 崎坂家 愛の部屋4
「絵里ちゃんの家に向かわなかったのにはもう一つ理由がある」
いきなり話戻ったな。誤魔化された感じがするが。
「君の歴史において、絵里ちゃんは回転塔で歯が折れ、そのまま病院に運ばれたんだろう? 先生が空き巣に入った日はその直後だったはず。絵里ちゃんは復帰していたのかい?」
どうだったかな。
「流石に一日二日くらいは様子を見たんじゃないのかな。家にお母さん……あのお父さんは確実にいただろうね。よしんば、すぐに復帰したとしても今日明日で友達とすぐ遊ぼうとはならなかったろうよ。遠巻きにされていただろうしね。良夫くんは絵里ちゃんが笑顔を失ったって言ってたよね? だから」
「……ああ」
先生が、絵里の家をターゲットにするという発想が浮かばなかったわけか。
ある程度、一連の流れについては納得がいった。だが。
「玉突きも、自殺の理由も分かったよ……。だけど、それがどうしてあんな事態になる? あんな」
夢みたいな光景に。
「絵里は先生の顔を見てたのか? ……拳銃は一端置いておくとして……だから、あんなことを」
愛は首を振った。
「絵里ちゃんが事件後語ったことによれば、相手はニット帽を被ってマスクとサングラスをしていたそうだよ。だから何も見てないって。襲われたショックでしばらく口も利けなかったみたいだけれど、だんだんと語し始めたらしい。……すごいよね。強いよ、絵里ちゃんは。わたしなんて、しばらくどころか今後ずっと一生口を利けなくなる自信がある」
今更、愛が教室に現れなくなった理由が分かった。そりゃ顔も見せなくなるだろう。
それでも、学校に来てたってだけでも驚きなのに。
それだけ……、脅されていたのか。
「絵里ちゃんは、松司くんから聞いた話を余程気にしていたんじゃないか。そう、菊ちゃんは語ったそうだ。後日、学校側に事情を聞かれた時にさ」
「松司から聞いた話?」
何でここで松司が出てくる。
「保健室で君が話してくれたじゃないか。わたしが元町先生にしつこくされているのかもしれない。宗教の勧誘を受けているかもとか何とか。それで調査しようってことになったって」
「あー」
言ったな。
「松司くんが、それをそのまま絵里ちゃんに話していたみたいだよ」
松司か。あいつも休み長かったな。
「小学生だしな。秘密も何もあったもんじゃないってことは分かるよ。で? それで何で元町先生が自分を襲った犯人だと絵里は結びつけられたんだ? 確信でもあったのか」
「恐らく、君の存在があったんじゃないかな」
愛が俺を指差した。
「俺?」
「言ったろ。良夫くんをどこか特別視していた絵里ちゃん。そんな良夫くんと仲の良い松司くんから聞いたお話。松司くんの話ぶりもどこか又聞き風だったみたいだし。何より、君等は目に付きやすい場所で話していたんだろう? 単純に見ていたか聞かれてたんじゃないか?」
「そう、かも?」
登校してくるクラスメイトたち横目に話していた。近寄ってきた松司にも気が付かなかったくらいだ。聞かれてた見られてたと思えば納得もいく、か。
「声、背丈、その他特徴。絵里ちゃんも何か材料があって勘付いていたかもしれないけどね。じゃないと……、あらかじめ拳銃を用意していたこと自体がおかしい。用心するにしても、44マグナムはやり過ぎだ」
「……そうだよ。あの馬鹿でかい拳銃は一体なんだったんだ?」
愛は嘆息した。唇には笑みが浮かんでいる。
「さあね。それがこの事件一番の謎だ。どこから出てきたのか。まあ、銃なんて。出どころは山とある。あ、そうそう、山と言えば」
「?」
気付いたように愛が言った。声が若干だが弾んでいる。
「銃。パ……お父さんの猟銃。あの、崖底に捨てられていたそうだよ。他のゴミと一緒にさ。鳥雲会も扱いに困ったと見えるね。それか、盗んでから先生が捨てたか。どっちでもいいけどさ」
「そうかい」
なんだか、最後の最後に誤魔化されてしまった気がするな。しかし、小学生が拳銃を持っていた理由など、幾ら考えたところで納得のいく答えなど出てきやしないか。
愛だって警察だって、まだそこまでは知らないだけかもしれない。
「絵里ちゃんは」
愛がふっと溜息をついた。
「どんな道を辿っても理不尽な目に遭う運命だったのかな」
その言葉を聞き、ふと口を付く。
「――運命は、信じないんじゃなかったのか?」
愛が唇を震わせた。
「運命だとでも思わなければやってられないじゃないか!!」
声は震えていた。瞳の端にじんわりと涙が浮かんだ。そうして、俺の見ている前で顔を伏せ、声を上げて泣き出した。
その姿は、もう何度目になるのだろう。
罪悪感から視線を庭へと逸らした。氷の張った池に掛かるししおどしは時間が止まったみたいに動かないでいる。
「玉突き、か」
役割。入れ替わり。
交替。
運命。
愛は命を投げ出さずに済み、代わりに、絵里がその役目を負った。
無論、今の段階ではだ。
元の歴史だって、絵里があのままの状態でいたらどうしていたか分からない。改めて想い返してみても、まるで、死んだように生きていた、あいつは。絵里は。
今の――つい、数週間前までの絵里を見た後では、余計にそう思ってしまう。
別人だった。完全に。
あんなことがあった。子供の頃の出来事が、絵里の性格を一変させた。背中を丸め、自信を失くし、日向から日陰へ、影へ影へ、塞ぎ込み、暗い方へと潜り込ませていった。
誰かが声を掛ければ違ったかもしれない。けれど、俺たちはあの時、絵里を遠巻きにし距離を置いた。どうしていいか分からなかったのだ。
或いは、唯一の助けとなったかもしれない愛は、その時それどころではなく。
……あのままいって、絵里はどうしたのだろう。どんな道を歩んだのだろう。
それと、
崎坂愛が死を選んだあの時。
二階堂絵里はどう感じていたのだろう。
『結局のところ、全体の大きな流れは変えることが出来ないということなのかな』
たぶん、俺は囚われている。
愛が保健室で何気なく放ったこの言葉。今、鎖の如く囚われている。
きっと、あれだけ望んでいた元の時代への帰還。それが今、夢から覚めたみたいに唐突に果たされたとしても、もう俺は、決してそれを素直には喜べない。
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