第三章 霞ヶ丘小女子児童自殺騒動13

 チャプター27 お昼休み


 二時間目の休み時間。

 俺とレンは松司と陸の誘いを断って保健室に向かうことにした。

 松司と陸もそうは言っても愛とはそこまで仲良くない。わざわざ会いに行くつもりまではないようだった。退屈そうに、しかし、どこかそわそわとしながらも、絵里や椿や菊、女子たち三人と、暇を持て余し談笑し合う二人を尻目に、俺たちは教室を後にする。

「よお」

「――やあっ」

 保健室のカーテンをざっと開けると、何やら分厚い辞書みたいな本を読んでいた愛が顔を上げた。心なしか、今ほっとしたように見えたのは俺の気の所為だろうか?

「おや。レンくんも一緒かい」

「うん。もう大丈夫なの」

 愛が俺の後ろにいるレンを覗き込んだ。愛は肩を竦めてみせた。

「まだ、怠いけどね。熱は下がったよ。咳もない」

「怠いって。サボる口実じゃないだろうな」

「様子見と言ってくれよ……。潜伏期間って言うだろ? で? どうしたんだい。また二人そろって」

 潜伏されてるならそもそも学校に登校してきてんじゃないよ、と言いたくなったが、背後からレンに小突かれて口を噤んだ。いけないいけない。ついつい憎まれ口を叩いてしまう。

「申し訳ない。愛の気持ちも考えずに好き勝手踏み込んでしまって」

 俺は考えていた言葉と共に頭を下げた。

「……君のそれは、何か形式的に謝ってる気がしてやだね」

「誠心誠意、心を込めての謝罪だが」

「言葉を尽くす程に胡散臭くなるな」

「ごめんなさい」

「もういいよ。わたしも悪かった。いいよ。認める。なかなか顔を出し辛かったんだよ。お友達もいないし」

 愛はうるさげに手を振り払った。開き直ったようにも見えるし、拗ねてるようにも見える。レンが何やら背後で落ち着きなく体を揺らしている。

 言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。って、子供の頃ああだった俺が言えたことでもない。

 まあ、ついでだ。もっともっと遠回りするかと思っていたがせっかく話題がそっち方面に向かってくれたんだ。このまま本来の目的を話すことにしよう。

「まあ、それはそれでさ」

「なんだ。やっぱり形式だったんじゃないか」

「いや、違くて。実はな? 俺なりに考えたんだが愛が教室に行きにくい理由って他にもあるんじゃないかと――」

 愛が首を傾げ俺の話に耳を傾けた。


 数分後。話を聞き終えた愛が放った第一声、

「二点」

 二点て。

「……十点満点中?」

 恐る恐る尋ねる。愛は鼻で嘲笑った。

「百点」

 ふ。聞かなくても表情から分かっていたが。

「なんでだ? どこが悪かった? 良い線いってると思ったんだが」

 愛は、どこが? というように俺を上目遣いで俺を見た後、

「そっちの――良夫くんの知ってる未来のわたしの話は知らないけどさ」

 と、前置きし、再び口を開いた。

「わたしがあの日早く帰った理由なんてあの時言った以上の理由はないし、教室にあまり行かないのだって今言った以上の理由はないし、元町先生って口調は優しいからわたしの中ではあんまり怖い方には入らないし、苦手って言うなら他に苦手な人の方が多いし、わたしが必要以上にびくびくしているように見えたのなら、それはわたしに理由があるんじゃなくって、良夫くん、君にこそ理由があるからだろうし、第一、わたしが帰宅した時には家にパ……お父さんとマ……お母さんが帰ってきていたから、そんなことする時間だってなかったし、わたしは今現在元町先生に脅されたり、何かされたりしているわけでもないから、そんなことする理由見当たらないし、嫌ってもないし、それに、疲れてたんだもん。だいたい」

「だ、だいたい?」

 全否定噛まされて、小三相手に泣かされそうな俺。この上何が出てくるんだろう。

「猟銃なんて大きな物どうやって学校に持ってくるのさ」

「リ、リコーダーみたいにランドセルに突っ込んで?」

「本気で言ってるんなら、わたしも君を馬鹿と呼ぶけどいいのか」

「よくありませんですはい」

「それに」

「それに?」


「わたし、べつに死にたくないし」


 何でもないことのように言い放った。

「そっか……」

 死にたくないなら良いんだ。全部さ。

「死ぬ理由がない。だから自暴自棄にもならないよ」

 愛が欠伸をし、眠たげな瞳を擦った。

「おい、良」

「うん?」

 レンが再び小突いてくる。

「どうすんだよ、松司たち。張り切ってるぞ」

「張り切ってんのは松司だけな気がするが。さてな。どうしたもんか」

「なにがだい?」

「松司に聞かれてたんだよ。雪山での会話をさ。殆どな。幸い、意味はよく理解ってなかったみたいだ。ただ、全部隠すわけにもいかないし、隠してもどうせ無理やりに聞き出そうとするだろう? だから、元町先生が怪しい宗教に嵌ってる。これは咄嗟の言い訳で申し訳ないが――愛がそれにしつこく勧誘でも受けてるのかもしれない、だから、嫌がって教室来ないのかも――なんて言ったら張り切っちゃって」

「また適当な嘘を。それで、張り切っちゃって、どうするんだい」

「会合に参加してる証拠写真をまず抑えてそれから学校中に写真をバラ撒いてもちろん職員室にもバラ撒いておいておまけでクラスメイトの家に郵送してやろうぜって。お宅の担任は怪しげな新興宗教に嵌ってるヤバい人なんですよって。ついでに自宅にも送ってやろう。あいつ、確か結婚してるだろ。これが離婚の原因に、なんてことになったら面白いよなって」

「タチ悪」

 愛がドン引きしていた。

 うん。分かるよ。俺も引いたもん。子供の悪意って底知れないって恐怖した。けれど、いくら何でもって話。やり過ぎ注意。何でそこまでするんだよと俺が訊けば、

『だって、あいつ、俺がこの前掃除中に雑巾野球やってたら説教噛ましてきたんだぜ?』

 と、言ってきた。

『どう考えても松司が悪くないか』

 一応言ってみた。そしたら、

『陸もやってたのに、俺だけ説教長かった。ムカつくから。ぜってぇやり返す』

 ……だとさ。

 元町先生、もとい、全国の小学校の先生って苦労してるんだろうなあ。怪しげな宗教に嵌る先生がいるのも――分からなく、なくもない。

 が、そもそもの話になってしまったようだ。元町先生がどうこうって話事態が今、愛によって否定されてしまった。振り出しに戻った感。つまり、


《どうして愛ちゃんは自殺したの? 謎だよね。手がかり? ないよ?》


 っていう。

 俺の早とちり。元町先生関係ない。故に、追い回す必要なし。

 とはいえだ。こいつをこのまま放っておいたら、今以上に教室に現れなくなり、やがては自殺するのを俺は知ってしまっている。

 愛が否定しようが事実としてそうなっているんだ。そういうことなら、と、愛を一人置いて戻るわけにもいかないだろ。

「ま。いい。愛、教室行こう。次、体育だ。校庭でドッジボール」

 愛は露骨に嫌そうな顔をした。

「やだ」

「わがまま言うんじゃありません」

「や。行かない」

 まるで駄々っ子。俺はそんな愛の腕を掴んだ。細い腕。子供だから当たり前なんだが。これが絵里を救ってみせた腕でもある。少し引っ張ってみた。白い掛け布団をギュッと体の前で握って離そうとしない。力は強いな。

「お前、運動神経そんなに悪くないだろうが」

「出たよ。山に登れるから、狩りが得意だから、反射神経が良いからって、他の運動全般全部が得意だなんて思わないで欲しいね。使う筋肉が違うんだ」

「そこまで褒めてない。だから出ないって話にもならないだろ」

「わたし子供だから良夫くんみたいな大人の人の言うこと理解できない」

「お前な」

「おい、良。あんまり無理言うのも。愛ちゃんも嫌がってるし」

「つったってなあ。このまま放っておくのも。……というかレンお前……、愛に対して妙に甘くないか?」

「そ、そんなこと」

「あー、もしか」

「……二人組」

「ああ?」

「?!」

 言い合っていたのもあり、ぼそりと{零|こぼ}した愛の言葉がよく聞き取れずに訊き返した。するとすっかり見慣れた愛のびくびくムーヴ。俺は咄嗟に愛の頭を撫でる。

「すまん。大丈夫か」

「うん、うん。……あのね」

 愛はそのまま言い辛いことを告白するかのようにゆっくりと口を開いた。こうしていると、本当にただの子供だ。年齢以下の。単純にこいつ、{我儘|わがまま}なのかもしれん。プライドも高そうだし。ひょっとすると松司と相性悪いのもただの同族嫌悪だったりして。両方怒り出しそうだから言わないけど。

「二人組、作ってってあれ。実は結構苦手なんだ。いつも余るから。だから良夫くんがずっと今後一生組んでくれるんなら今度から行ってもいいよ」

 ……ああ。あるな。体育では二人組作って準備運動。他に図工でも何でも。

 小学校中学くらいの年齢の授業だと頻出するか。好きに二人組作ってーっていうあれ。苦手な人いるらしいな。

 あー、そういえば愛っていっつも余ってたな。思い出した思い出した。

「今後一生て」

「拒否するなら交渉はなしだ。わたしはここに居座る」

「やっぱり居座ってんじゃねえか。実は様子見でも何でもないんだろ」

「ぐ。どうなんだい」

 その真剣な様子に俺は適当に頷いた。拒否する理由もないしな。がしかし。

「今度からって保険打ったな。今」

「うー……」

 愛は苦しげに呻く。正しく図星といった様子。その表情を見、俺は息を吐いた。

「べつにいいけどな。今度からでもさ。愛がそれでいいなら」

 愛が表情を和らげた。まあ、いきなしじゃ緊張するのも理解るよ。ただでさえ教室来ないのに一週間も休んでいればな。余計に来にくいだろうよ。しかしなあ。

「絵里にでも頼めばいいのに」

 小声で、思わず口を付いていた。

「絵里ちゃん」

 きょとん、と。

 愛が握っていた掛け布団から手を離した。

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