第三章 霞ヶ丘小女子児童自殺騒動9

 チャプター18 金曜日


「椿ちゃんと絵里ちゃんがいなくてあたし寂しかったー」

 教室の真ん中に集まってやっとこ登校してきた椿と絵里に向かい、菊が嘆いていた。二人に抱きつき、しなだれ掛かり、全身で寂しさを表している。絵里と椿はまだ風邪っぽいのだろうか、マスクをしていた。

「あはは。大げさだよ」

「わたしも寂しかったよ~」

「ていうか、なにこれ? 学級閉鎖?」

「に、なったら、良かったのにねー。六人くらいだよ。まだ。みんなインフルだって。ワクチン注射打たないんだねえ。あたしびっくり」

「えー? 打ったんだあ。注射嫌ーい。無理ー」

「ぴしゅー! ちくちくー!」

「きゃあーっ!」

「平和だなあ」

 俺は、指で突っつき始めた女子たちをぼんやりと眺めていた。

「言うほど平和か? どうすんだよ。愛ちゃん」

 レンが俺の頭を小突き言った。

「と、言ったってな。インフルって」

 インフルエンザって潜伏期間どのくらいだっけ? 一週間くらいだったかな。だったとしたら、次出てくるのは……、来週にまでなっちまいそうだな。

「そういえば、あいつ先週から苦しそうだったなあ。てっきり緊張すると、そういう風になるタチなんだと思ってた」

「ちょいちょい咳してる奴いたからな。感染ったんだ。まあ、松司と陸がいないと確かに平和でいいな」

 教室内は人数が少ないのもあって、いつもより静かだった。最も、この『いつもより』は、俺の基準で、ここ数日に比べて、ということになるんだが。

 愛か。確かにけほけほ言っていた。あれは、回転塔の時だったか。確かその後もしていたな。

 しかしあの頃から兆候があったとして、ではそのまま山に向かったってことになる。そりゃあ悪化するだろう。色々あった後だし、精神的な部分も大きいかもしれないが。病は気からって言う。

「お前、さっきから何描いてんの……?」

 レンが肩口から俺の手元を覗き込んでいた。俺はびくりとする。表情があまりにも真剣だったから。レンにはあまり似つかわしくない興奮した様子。息も荒い。

「離珠。知らん?」

「し、知ってる。さくらの前やってたやつだろ。う、上手くね?」

「プロだからな」

 俺はまた凝りずに得意げになった。ちなみに離珠が突然出てきたのは今の時代からの連想である。特に意味はない。ただの手遊び。

「マ、マジかよ」

 レンが慄いていた。わざとらしく両腕を上げて。どういうリアクションだよ、それ。

 ……俺も、見せびらかすつもりは正直ないんだよ。ずっと描いてないと腕が鈍りそうで嫌なんだ。はあ。この後どうしようかなあ。元の時代に戻れないのは前提として。

 俺がデビューした二十九まで待って、元の歴史通りに雑誌に投稿するか、それとも今のうちから以前より練習を重ねて投稿を始めておくか。今の時代、俺のデビューした雑誌はまだまだ存在していない。というより、ジャンルの認知すら怪しいところなのだ。まだ言葉すら生まれてないんじゃないか? 微妙なところだよなあ。歴史が代わってそもそもデビュー出来ませんでした、じゃ、お話にならない。お話も作れない。

 結末は変えられる、変わってしまう、ということを身を持って知った今となってはな。慎重にならざるを得ないというか。……ん。

 ふと。その、着想が浮かんだ。考えを進めようとしたところで、

「良」

「お、おう?」

 レンが肩に掴んできた。おじちゃん、これ知ってるよ? この前やったやつでしょ。

 予想通り、と言うべきか、三十秒ほど待っていると、震えながらレンが口を開いた。

「教えてくれ」

「……教えるも何も」

「今日、家行くから」

「お前ってそんな性格だったっけ?」

「ねえ! 今日絵里ちゃん家行ってもいい!?」

「ええー? 今日は無理。わたし習い事あるもん」

「なんだあ。じゃあ、明日は?」

「ええー? 明日ー?」

「はいはい。では授業を始めますよ。席について下さいね」

 教卓横のスチール机から身を起こし、元町先生がぱんぱんと両手を鳴らす。

 チャイムが鳴った。




 チャプター20 男、刈谷。


「やべえなあ」

 刈谷勇吉(かりやゆうきち)はスリルを楽しむことこそが人生で何より大切なことだと自負している。

 地雷を踏むことが好きで、

 選択を間違えたと後々自覚した瞬間が好きで、

 あの、血の気が引くような瞬間が堪らなく好きだった。

 自分がヤクザになったことだってそうだし、それが何時の間にか二階堂家具の副店長に抜擢され、こうなっていることも、刈谷にとっては選択を間違えた結果と言えるのだが、結局なんだかんだ言って、なってしまえばなんとかなるものだ。

 こういう性格が故に、様々な厄介事に巻き込まれる性質の刈谷は、周囲から舐めて見られがちだが、機転が利き、土壇場に強く、割と頼りにされてもいる。

 しかし、生来のうっかり気質と、面白がって地雷を踏む性格が故に、「あいつはこういう場では無しだ」「遠ざけておいた方が無難だ」とも言われる。

 つまり、今、刈谷は遠ざけられている。本人はもちろん知らないでいる。

 が、そこは刈谷。

 彼こそが、今回自覚せずに事件の重大な鍵を握っている。握ってしまっている。遠ざけられていても、自覚せず、人知れず。

「やべえよなあ」

「やべえって分かってんなら止めりゃいいじゃないですか、兄貴」

「副店長って呼べ」

 刈谷は後ろに突っ立つ関谷をちらりと一瞥したが、すぐに視線を手元に戻した。正念場だった。刈谷は選択を間違えたかもしれないのだ。

 つまり、ひりひりしている。

「ヒトカゲだとイワーク倒せねえんだよなあ」

「それ、絵里ちゃんが持ってきてたやつでしょ。真逆とは思いますが、兄貴……」

 刈谷はこくりと頷く。もちろん、誇らしげに。

「セーブした」

「最悪」

 関谷は頭を抱えた。流石が兄貴だ。やべえ。こういう時の絵里ちゃんのギャン泣きっぷりを知らないわけじゃないだろうに。回り回って親父に行くのは理解っていそうなもんなのに。それでも止められないところこそ、刈谷が刈谷である所以か。絵里ちゃんも何でまた刈谷に懐いているんだか理解が出来ない。しかし、危険な男にほど、女は惹かれるという。なるほど。それも理解っていて兄貴はやっているのだ。つまり、男を魅せているのだろう。

 と、刈谷は関谷の表情を読み違える。

「あ、お客さん来てますよ」

「よしきた。カーテンでもソファでも何でも売ってやるぜ」

 スチール机の上に設置されている幾つかのブラウン管には、今し方入店してきた一組の夫婦が映っていた。きょろきょろと店内を見渡している。若い。新婚。世間知らずっぽい雰囲気。

 如何にもカモ。

 刈谷はサッと立ち上がり、急いでセーブデータを上書きする。そのぴこーんという音に関谷は眉を顰める。関谷の表情に気付くこともなく、バックヤードから店内へと刈谷は出た。

「いいいいいいいいいいいいらっっっっっっっっっっっっっっっっっしゃいませえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 店内に響き渡る大音声に入ってきたばかりの夫婦が硬直する。

 夫婦の元へサッサッサッサと歩きながらぼやいた。

「流石に、44マグナムはマズいよなあ」

 そう。確か、昨日の夕方まではあったように思うのだ。

 若頭から直々に無理言って買わせてもらったスミス&ウェッソン社のM29。中国で出回っているようなパチモンなんかじゃなくって、アメリカ生まれのモノホンのやつだ。

 机の引き出しの一番下、書類の下に大事に仕舞っておいた。いや、その後、机の上で熱心に磨いてもいたはず。その後、トイレに立って。それから――。

「だめだ」

 そのくらいから記憶が曖昧だった。

 絵里ちゃんがまたまたまたまた自動ドアを潜って店内に入ってくるのが見えたのだ。もちろん出迎えた。親父の一人娘。出迎えんわけにはいくまいよ。

 気持ちは理解った。ちっちゃい頃、刈谷にだってこの手の記憶はあるのだ。父と母にくっついて行ったホームセンター、家具店。妙にわくわくとするあの気持ちは痛いほど理解出来る。想像してしまうのだ。その家具に囲まれている自分を。幼い刈谷からは想像も付かないような桁の金額が並んでいたりもするのだが……、頭の中でアレをここに配置して、コレをこっちに配置して、なんてやっているのはかなり楽しい。理解る。理解る。

 ――よし。いけるぜ。

 刈谷は二階堂家具グループ十店舗中、現在トップの成績――。

 さあ、今日も売って売って売りまくろう。

 なに、最近では、銃を事務所や本部に保管しておくよりも、こっちで保管した方がよっぽど安全と見る動きが組内にはあったりする。現に、刈谷の他に関谷がそうである。

 大方、誰かがその外見に見惚れ、どこか変な場所に置いちまったに違いない。つまり、紛れたのだ。そのうち出てくる。

 ――出てこなかったら、出てこなかったで……。

 刈谷はとびっきりの営業スマイルを先程入店してきた夫婦に浴びせた。

 夫婦が引き攣った笑みを返してきた。

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