第30話 毒

 陽仁たちは地下通路から医務室まで問題なくたどり着けた。

 案の定、医務室もまた無人。

 騒動の前から出かけていたのか、それとも避難したのか、荒らされた痕跡はなく、室内は新居同然の綺麗さがあった。

「これでよしっと」

 ミルは手慣れた手つきで椎名の再手当を終える。

 医務室だけに治療道具は揃えられている。

 動き回ったせいで止血パッドや包帯がズレてしまったが、時間経過と傷が浅いのも合わさって傷口は固まっていた。

「ママ、だいじょうぶ?」

 子供たちが不安げな顔をするも母親は柔和に微笑んでは優しく頭を撫でる。

 強いな、と陽仁は思った。

「ねえ、これからどうするの?」

 そんな光景を横目にリサは今後を聞いてきた。

 ベッドで横になった虹花の側に座る陽仁は首を横に振ることしかできなかった。

 立花はいない。少し周囲を見てくると医務室から離れていた。

 不安はあるもヘマをする人ではないと、どこか信頼していたりする。

「このまま救援が来るまで待つのが順当ですけど、ゲート周りの様子からして望みは薄いですし」

 ゲート前にバリケードを築き、脱出を妨害する謎の集団。

 仮にこのまま向かっても妨害されるのがオチだ。

「なんでこうなったのかな」

 虹花は天井を呆然と見上げたまま呟いた。

 誰もが疑問に思っていることだ。

 楽しいはずのプレオープンが突如として動物大脱走に変貌した。

 安全管理は徹底したはずだ。それがこの現状ザマ

「虹花、今は少しでも身体を休めよう。これからのことは後で考えよう」

 虹花の手を握りながら陽仁は優しく諭す。

 ふと脇から視線を感じれば、小さき姉弟が陽仁たちをのぞき込んでいた。

 そんな二人に虹花は大丈夫だと小さく囁いた。

「随分と仲いいけど、何々二人は恋人なの?」

 室内の重い空気を砕くようにリサが茶化してきた。

 虹花が困惑しながら顔を背けたのに対して陽仁は表情筋一つ変えることなく言い返す。

「幼なじみです。今は」

 含みある返答にリサはただ面白そうに目を細めるだけだ。

 元々、陽仁は雷蔵から虹花を取り返すためにこの一年間、己を鍛え続けてきた経緯がある。

 好意など昔からあった。

 虹花と一緒にいるのは楽しい。親譲りの動物知識を出せば、他が動物臭いと揶揄してくるのに対して虹花は目を輝かせながら嬉しそうに聞いてくれた。幼き頃の陽仁は純粋にそれが嬉かった。嬉しさが好意に変わるのに時間などかからない。

「まあ色々あって告白は先延ばし状態なので」

 この現状で告白する気概を陽仁は持たない。

 仮にしたとすれば、それはもう立派な死亡フラグである。

 俺、今度結婚するんだなど定番中の定番であった。

「あ、そうだ。おばあちゃんからハルくんに伝言」

 唐突に何かを思い出した虹花は前触れもなく言った。

「帰る時、家に来るようにって。もし拒むなら首根っこ掴んで連れて来いって言われてるの」

「お前、それも立派な死亡フラグだぞ」

 きっと帰るといって結局は帰ってこないフラグである。

 どっちにしろ、鬼流院家には事情を説明しに訪れる予定であったので渡りに船だったりする。

 ご隠居からのお叱りは一応、覚悟はしていたが、いざ、その時を思い浮かべると下手な動物よりも怖いのが本音だ。

「お~い、開けてくれ~!」

 ふと地下通路へ続く扉がノックされ、立花の声がした。

 安全を鑑みて扉には鍵がかけられている。

 ただ鍵を開けようと室内に入ってくる気配はなかった。

「今両手が塞がっているんだ」

 やれやれと言わんばかり陽仁は扉を開けた。

 両手に段ボールを抱えた姿が移り込む。

「ふ~いいもの見つけてきたよ」

 一息つくように立花が床に置くのは段ボール二箱。

 どちらも横に<陣中見舞い>とマジックの手書き文字があった。

 そのうちの一箱から開けずとも芳醇な香りが漂い、室内を満たす。

 中を開ければ一箱目にはバナナ、もう一箱はスポーツドリンクが入っていた。

「地下通路を少し調査したんだけど、良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい」

 定番の問答に陽仁はうんざりとした目線で返す。

 この状況でよくもまあ冗談が言えるのかと呆れの感情しか浮かばない。

 場の緊張を敢えて説こうという気遣いだと頭ではわかっていてもだ。

「あーわかった。なら悪い知らせから」

 地下通路を巡って判明したこと。

「結論から言うと地下通路を通っての脱出は不可能と見て良い」

 誰もが疑問を挟まず次なる発言を待った。

「この施設の地下通路は物資搬入口と呼ばれる荷物を出し入れする扉があるんだ。けど、そこから外には出られない」

「まさかゲート前を封鎖した集団ですか?」

「いや水没していた」

 水没――その発言に誰もが表情を張りつめさせる。

「水道管破裂か、漏れ出た地下水か分からないけど搬入口はまるまる水没していた。開けられないこともないけど、先移住者のせいで近づけないんだ」

「なにがいたんですか?」

「カバだよ。それも親子連れ」

 聞くなり察した陽仁と虹花、なんでと首を傾げるリサとミルに別れてしまう。

「なんでカバだと近づけないの?」

 立花に変わってリサに答えるのは陽仁だった。

 一気呵成に噛むことなく説明に入る。

「子連れの動物は子を守らんと近づく外敵を容赦なく排除します。特にカバはおとなしそうに見えますけど、気性が荒く縄張り意識が強いんです。あの口はライオンすら噛み殺せます。加えて巨体を裏切るようにネコと同じ速度で走るんです」

「お、オーケー、人間だとひとたまりもないってのがだいたいわかったわ」

 リサは身震いしながらも理解してくれた。

 話終えた陽仁は顔をしかめて逡巡する。

(恐らく、あの時、クマをかみ殺した親カバだろうな。地上よりも涼しい水場に移動したってのが妥当だろう。あのサイズでどっから入ったかは考えないとして、下手すると他の搬入口も似たような状況の可能性が高いな)

 周囲の視線を感じた陽仁は逡巡を停止。

 立花に目線を向けては次なる話を求めた。

「良い知らせってのはこれだよ」

 言うなり立花は隣室に向かってしまう。

 しばらく間をおいては新たな段ボールを抱えて戻ってきた。

 中身は無線機や古い電話機だ。

「隣の仮眠室の貴重品入れに何故か入っていたんだ」

 何故との皆の視線に、立花も困惑気味に首をひねる。

 陽仁は箱の中の通信機を一つ手に取った。

「トランシーバーのようですけど、これで外との連絡はできないのでは?」

 トランシーバーは周波数をあわせて通話する無線機器だ。

 使い方は一応は知っている。両親のフィールドワークに同行した際、使い方を教え込まれた。

 確かに無線通信機器の分類に入るが、個々で通話する機器のため、外部に助けを求めるのはできない。

「それはね。でも本命はこっちだよ」

 取り出すは昭和のオフィスドラマに出てきそうな古い卓上電話機だった。

 メールもできなければ、情報を表示するディスプレイもない。動画も見れず、有線でなけれな通話できない。繋ぐためのモジュールが必要と手間のかかる過去の遺物だ。

「あ~それ、パパのおしごとでみたよ!」

 由実が驚きながら電話機を指さした。

 合点行かぬ陽人に虹花が「消防士」と耳打ちする。

「この手の部屋には大抵あるのが相場なんだけど」

 電話機片手に立花はデスクを漁る。

 特に壁際やコンセント周りを入念に探してはついに見つけた。

「あったあった!」

「でも、それだけで通信できるの? 電気が落ちているのに?」

 リサのさも当然の疑問に立花は不適な笑みで返した。

「ところがぎっちょん、この手の古いタイプってのはね、万が一電源が喪失していても回線が無事なら通話できるんだよ。もしこっちの予測が正しいのなら、安全対策の一つとして通話できるはずだ」

 立花は手慣れた手つき電話機を繋ぐ。

 ぎっちょんって何との目線を陽仁は虹花に向けるが、知らないと首を振った。

 その間、取り付け作業は終わり、立花は受話器を取っては耳に当て拳を強く握りしめた。

「よし、いける!」

 立花の指の動きは素早く、一一九と電話機に三桁の数字を入力した。

「なんで電源もないのにケーブル一つで通信できるの?」

「あー簡単簡単、回線そのものに通話できるだけの電気が流れているからだよ。あ~今の子には分からないか。自分もじいさんに教えられるまで知らなかったし」

 虹花の知ってた、との目線に、陽仁は知らなかったと目線で返す。

 研究に何度も同行した身だが、基本、国外の電気も水もない場所が多かったので昭和の遺物と縁がなかったのが大きい。

「もしもし一一九ですか!」

 通話が繋がった瞬間、受話器から女性の声が漏れ聞こえた。

 次いで室内は歓喜に沸く。

 不可能と思われていた外部との連絡が予想外の形で繋がった。

 救援が来る。来てくれる。可能性が繋がった。

「ええ、はい、今トリニティーパークにいます。はいはい、どうにか医務室に避難していまして、人数は自分を含めて八名、大人二人、学生四人、子供二人」

 立花はゆったりとした口調で状況を説明していく。

「おなかすいたな」

 安堵が空腹を呼び、子供たちが箱のバナナに向かうのは必然だった。

「そうよね、お腹空いたよね」

 ベッドから虹花はゆっくり身体を起こす。陽仁の心配そうな目に大丈夫と返した。

「食べないと力入らないもんね」

 優しい口調で虹花は子供たちのために段ボールからバナナを取り出そうとする。

 右手を入れた時、かさりと箱の奥で何かが動く音がする。

「虹花!」

 鼓膜から伝わる第六感で陽仁が危機を感じた時には遅かった。

 鋭い表情で虹花は段ボールから手を引き抜いた。

 その手の甲には黒い蜘蛛が噛みついている。

「セアカゴゲグモ!」

 噛みつく蜘蛛の正体を陽仁は瞬時に看破した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る