あの時の思いを、今君に。
仁志隆生
あの時の思いを、今君に。
それは、昔の話。
とある町に一人の少年がいました。
少年はお金持ちの家の子供で不自由なく暮らしていました。
ある寒い冬の日の事。
少年は何か面白い事はないかなとこっそり家を出ました。
町を歩くと少年にとっては珍しいものばかり。
ふと見ると、そこにみすぼらしい服を着て裸足で歩いている少女がいました。
少女は道行く人に籠に入っていた小さな箱を差し出していましたが、誰も見向きもしませんでした。
少年が気になって話しかけようとした時でした。
「あっ」
少女はつまづいて転んでしまい、箱が道に散らばりました。
「あ、大丈夫?」
少年は少女に駆け寄り、一緒に箱を拾ってあげました。
「あの、ありがとうございました」
少女が頭を下げて言いました。
「いいよ。ねえ、何してたの?」
「このマッチを売ってるのです。でも全然売れなくて」
「じゃあそれ全部ちょうだい。お金はあるから」
ポケットから銅貨を一枚取りだしましたが
「あの、これじゃ全部は売れません」
「そうなの?」
少年は今まで自分で何かを買った事がありません。
なのでマッチがいくらなのか分かりませんでした。
「じゃ、これで買えるだけちょうだい」
「いいのですか?」
「うん、お家で使う……ねえ、なんで裸足なの?」
少年は気になっていた事を聞きました。
「靴を買うお金がないのです。私の家は貧しくて」
「そんなに無いの?」
「ええ。うちより貧乏な人も、たくさんいますよ」
少女が悲しそうな顔で言います。
「……そんな事、誰も教えてくれなかった」
それを見た少年はうつむきがちになりましたが、
「でも、今知ったじゃないですか。誰だって最初は知りませんよ」
少女は笑みを浮かべ、慰めるように言いました。
その笑顔を見た少年は顔を赤くしています。
「あ、あの、名前は? 僕はハンスっていうの」
「アンナです。では、これで」
少女アンナは人混みの中へと歩いていきました。
ハンスはその背中をじっと見つめながら、あることを思っていました。
家に帰ったハンスは父親にお願いしました。
「お父さん、僕も働きたいよ」
「ん、何故だ?」
「働いてお金貯めたいの」
「お前はまだ小さいからダメだ。それより勉強しなさい」
「勉強もするから、お願い」
ハンスが食い下がっていると
「旦那様、よろしいではありませんか。これも勉強ですよ」
そばにいたじいやが口添えしてくれました。
「……分かった。じい、手配を頼む」
「はい」
ハンスは庭の掃除を頼まれました。
後で家の中もするそうです。
「皆こんなふうに働いてるんだ。寒いのに大変だよ」
ハンスはかじかむ手をさすっては一生懸命庭を掃いています。
「ぼっちゃま、そろそろ休憩されてはどうですか?」
まだ少女と言ってもいいくらいのメイドが言います。
使用人達の中で歳が一番近いからと世話役にされたそうです。
「ううん、ここが終わってからにするよ」
「そうですか。では私もお手伝い」
「ダメ。僕の仕事だよ」
「はいはい」
掃除が終わらせたハンスは、部屋でメイドとお茶を飲みながら話していました。
「ねえフラミニア、皆はちゃんと休憩してるの?」
メイドはフラミニアという名前のようです。
「ええ、してますよ」
「よかった。あ、皆も暖かいとこでお茶飲んでる?」
「……ええ。飲んでますよ」
フラミニアは少し言い淀みましたが、笑みを浮かべて答えました。
「そうだよね、暖かくしないと風邪ひいちゃうもんね」
「……じい、本当にそうしているのか?」
部屋の外から見ていた父親が聞きます。
「暖はとっていますが、お茶ではなく湯を飲んでいます」
「そうか。ではこれからは茶も飲めるよう手配してくれ。菓子もつけてな……それと皆に伝えてくれ。『ありがとう、これからも頼む』と」
そう言って自分の部屋へ行きました。
それを見たじいやは、笑みを浮かべてうんうんと頷きました。
「ねえ、靴っていくらするの?」
「え? そうですね、どんなものかによりますが」
「えっと、このくらいの足が入る女の子用の可愛らしい靴は?」
「うーん、……くらいでしょうか。あ、どなたかに差し上げるのですか?」
「うん。そのためにお金を貯めたいの」
「そうでしたか。その方、きっと喜ぶでしょうね」
その後もハンスは一生懸命働き、年の暮れになる頃にお金が貯まりました。
明日は新年。
今度はちゃんと断ってから町に行きました。
フラミニアと一緒にだから許してくれたのでしょう。
靴屋さんに着いて
「ねえ、これなんかどう?」
ハンスが可愛らしい靴を指してフラミニアに聞きます。
「あ、いいですね。それに思ったほど高くないし」
「じゃあ、これで足りる?」
ハンスはお金が入った袋を見せました。
「ええ、足りるどころかかなり余っちゃいますね」
「よかった。もう一つ欲しい物できたから、足りなかったらどうしよと思ってた」
「あらそうでしたか。それは何ですか?」
「内緒。あ、これください」
ハンスは店主に靴を包んでもらった後、何やら耳打ちしていました。
店主は笑みを浮かべてハンスに何か話していました。
ハンスは店を出た後、家とは反対方向へ歩いていきました。
「ぼっちゃま、どこへ行くのですか?」
「すぐそこだよ、ほら」
そこは雑貨や装飾品が売られている露店でした。
「えっと、あ、これください」
ハンスが指しているのは綺麗な櫛でした。
「ん? ぼうや、お金はあるかい?」
「うん、これで足りる?」
ハンスは残っていたお金を店主に見せました。
「おお、足りるよ。ぼうや、それ自分で貯めたいのかい?」
「そうだよ」
「そうかそうか。そうやって買ってくれると嬉しいよ、はい」
店主はお金を受け取り、櫛をハンスに渡しました。
そして、
「はい、プレゼント」
それをフラミニアに差し出しました。
「え、わたしにですか?」
「うん。前に櫛が欲しいなって言ってたから、いつも一緒にいてくれるお礼にと思ったの」
「……あ」
それは愚痴のような独り言だったのに覚えていて、気にかけていてくれた。
フラミニアは胸がいっぱいになりました。
「ねえ、これじゃ嫌だった?」
「え、いえ。とても嬉しいです」
「よかった。そうだ、いつもありがとう」
「いえいえ、そんな……そうだ、アンナさんにはいつそれを?」
フラミニアは泣きそうになるのを堪えて聞きました。
「明日あげようと思うの。新年のお祝いにって言えばいいかなって」
「そうですか。ではわたしも一緒に行きますね」
「うん!」
年が明けて二人は町へ、アンナと会った場所へ行きましたが、なかなか見つかりませんでした。
「あれ、今日はいないのかなあ?」
「新年だからお休みしてるのかも。明日にしますか?」
「ううん、もうちょっと探してみる」
「ええ。あ、あそこに自警団の方がいますよ。もしかすると知っているかもしれませんから、聞いてみましょう」
二人は自警団の男性に話しかけました。
「あの、この辺でマッチ売ってた女の子知らない?」
「……え、あの、もしかして知り合い?」
男性が逆に聞いてきました。
「うん、友達なんだ。それでね」
「その娘、亡くなったよ」
「え」
「今朝だったよ。ここで凍え死んでいたんだって」
男性に案内された場所は、最初に会った所から近くにある大きな家の前でした。
そこにはマッチの燃えカスが残っています。
「きっと暖を取ろうとしていたんだろうね……」
男性の目には涙が浮かんでいました。
「そ、そんな……」
ハンスもフラミニアもその場に立ち尽くし、何も言えにいました。
すると近くで様子を見ていた人達もアンナの事を思い出し、口々に可哀想だったと言いました。
するとハンスは、
「……可哀想だって言うなら、なんで誰も何もしなかったの!?」
涙を流し、大声で言いました。
そこにいた皆は俯き、黙り込んでしまいました。
そしてハンスはそのまま家に駆けて行き、フラミニアも後を追いかけました。
部屋に戻ったハンスはベッドに潜ってずっと泣いていました。
「ぼっちゃま……」
フラミニアはあれからずっと側にいて、ハンスを慰めていました。
しばらくして、ベッドから顔を出したハンスが話し出しました。
「フラミニア……僕も、何も出来なかった」
まだ涙を流しながら言うと、
「いいえ、きっと天国でぼっちゃまがそれほど思われていたのを知って、アンナさんは喜んでいると思いますよ」
フラミニアは頭を振って答えます。
「……そうかな?」
「ええ。けどぼっちゃまが泣いてばかりだと、悲しんじゃいますよ」
それを聞いたハンスはしばらく何も言いませんでしたが、
「……ねえ、フラミニア」
「はい?」
「どうすればアンナみたいな子、いなくなるかな?」
「わたしにも分かりません……ですが、ぼっちゃまが今の気持ちをずっと忘れずにいれば、もしかすると」
「……うん」
そして、あれから何年か過ぎたある年の暮れでした。
「やっと見つけたよ。久しぶりだね、アンナ」
それはアンナが眠っている、小さなお墓。
「僕ね、アンナの絵本を書いたんだ。でね、たくさんの子供達が読んでくれているよ」
ハンスは家の仕事の傍ら奉仕活動をしていて、本も書いているようです。
「それとさ、これ。あの時あげようと思ってたんだ」
ハンスは手にしていたあの靴を見せます。
「遅くなってごめんね……よければ天国で使って」
そう言った後、靴をお墓の前に埋めました。
「僕さ、皆を幸せにできるようにするから。見守っててね」
「ちょっと嫉妬しますわ。あなたにそこまで思われてるって」
そう言うのは今はハンスの妻となったフラミニアでした。
「ごめんごめん、さあ行こうか」
「ええ。そうですわ、今度教会にも持っていきましょ。『マッチ売りの少女』の絵本を」
「うん」
二人は手を繋いで歩いていきました。
その二人の背を、可愛らしい靴を履いた女の子が笑みを浮かべ、じっと見つめていました。
終
あの時の思いを、今君に。 仁志隆生 @ryuseienbu
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