ひらたい森の怪物

片瀬二郎

1 こんなところに見る価値のあるものなんてあるわけがない

 そこにいきつくまでの道のりは、それはひどいものだった。

 アスファルト舗装はつぎはぎだらけでとぎれがちだった。あちこちの陥没には泥水がたまっていて、タイヤがはまりこむたびに汚らしく飛び散った。車内ではだれも口をきかなかった。不機嫌に黙りこんでいたわけではなく(むしろ唐木田は、ただ悪態をつくためだけでも、しゃべりたいことが山ほどあった)、ひどい揺れに耐えるのでせいいっぱいだっただけのことだった。カーナビだけは饒舌に、やれそのまままっすぐだの、つぎの交差点は右だの、しばらく道なりだなどと教えてくれた。おかげで尾塚はわかれ道にさしかかるたびにどっちにいけばいいのかと、尋問まがいの問いかけをすることもなく運転に専念できたし、唐木田の隣のじいさんにしても、こんな相手に道案内をしなくてすんだんだから、深刻そうな仏頂面はともかく、すこしは安堵しているはずだった。

 やがてカーナビがほがらかに目的地に到着しましたと告げたので、尾塚はてきとうな路肩に車を寄せて停めた。

 尾塚がさいしょに車を降りるまで、唐木田は慎重に窓から外のようすをうかがった。都会育ちの唐木田にとって、いかにもつまらない場所だった。後部席の唐木田の側の窓からは、うんざりするような湿地帯が広がっているのが見えるだけだった。

 反対側は鬱蒼とした木立だった。なんていう種類かはともかく、背の高いまっすぐな木が、奥にいくほど密度を増しているように思える。細い道が道路のへりからはじまって、木々のあいだを縫うように、不規則に蛇行しつつ奥へ向かっている。国土地理院の測量データによると、この奥からすこしずつ勾配がはじまって、せいぜい二十メートルくらいの高さに隆起している。なぜか地元の連中はここをひらたい森と呼んでいる。どう見てもその地形は平坦とはほど遠いし、木の密度も生えかたも、どっちかといえば林、それも貧相なただの雑木林にしか思えない。ばかな田舎の、ばかな呼び名だと、唐木田は心底うんざりする。

「つまんねえところだな」

 車から降りてさいしょの感想がこれだった。「なんにもねえし」

 あからさまにばかにされてもなお、じいさんは黙りこくったままだった。答えたのは尾塚だった。

「だからここが候補地なんだろ?」

 かわいげのないいいかたはともかくとして、そこに反論の余地はなかった。そのとおりだった。半径二十キロの圏内に、人口が数万人かそれいじょうの自治体はひとつもない。いちばん近い数千人の町……村? だって十キロ――しかも、いま唐木田たちの目のまえにあるのとはレベルのちがう本格的な山をふたつばかり超えなければならない――の距離がある。範囲を数キロまでせばめると、住んでいるのはせいぜい十人、いつ消えてもおかしくない、消えてしまったとしてもきっと何年もだれにも気づかれることのないちんけな集落がひとつあるだけだった。つまり万が一の事故が起きたとしても(偉い学者先生のみなさんには、そんなことはぜったい、まちがいなく、一〇〇〇パーセント起こりっこないと、ことあるごとに断言していただいている)、だれも強烈な被爆で焼けただれちゃうことはないし、農作物をどこにも出荷できず、かといってへたに廃棄もできず、小学校の体育館を立ち入り禁止にして山積みにするようなことにもならない(なによりこのあたりにはその小学校じたいが存在しない)。自衛隊が駆けつけて、コンクリートを流しこめばいいだけ。それで万事解決する。いや、学者先生たちが口をそろえて事故なんて一〇〇〇〇パーセント起こりっこないっていってくださっているんだから、もとから解決の心配なんてする必要もない。理想的な廃棄場所になるはずだった。

 金めあてのじいさんが騒ぎだしたりしなければ(と、仏頂面のじいさんに目を向け)、あしたにでも工事開始の申請を、決済にまわしてしまいたいところだった。

 尾塚が腕のアップルウォッチで時間をたしかめた。

「で?」

 片手でじいさんの肘のあたりをさりげなくつかんでいる。警察官僚出身だからなのかなんなのか、尾塚には反抗を許さない強引な雰囲気があった。「おれたちに見せたいものってな、どこにあるんだよ?」

 仏頂面のまま、じいさんが森のなかの小道(あれを小道なんてしゃれた呼びかたをしていいのなら)に向けて顎をしゃくった。

 いや、と唐木田は抗議しようとした。こんなところに見る価値のあるものなんてあるわけがない。


〈つづく〉

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