黄昏音匣

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黄昏音匣

「確かにこちらはうちでお出ししたものですね」

 古めかしい店の若い店主がやわらかな笑顔を張り付けてこちらを見つめた。



 事の起こりは十日ほど前。いや、二ヶ月ほど前に実家に戻ったことが始まりだったのかもしれない。

 端的に言えば、勤めていた会社がほぼ潰れた。

 ほぼというのは残務整理を含め最低限稼働はするが、人員も身内だけの最低限にするということで、まぁ簡単に言えばクビだ。もとが小さい会社だから仕方がない。


 すぐ次を探すつもりだったのだけれど、転んで脚を痛めた母親からしばらく家事手伝いをしてくれないかとオファーが来た。

 当面は生活費は入れなくて良いと言うし、アパートを引き払うなら引っ越し代も見てくれるという好条件に二つ返事で引き受けた。

 再就職先も実家から通える範囲で見つければいい。


 母のけがはそれほど酷くはなく、手伝ってと言ったのは建前で、実家に戻って来やすくしてくれたのだと思う。

 だから結局家事も母と半々くらいの割合でやる程度で再就職活動もほどほどで快適無職生活を過ごすこと二ヶ月。


「今年は朱音あかねがいるから徹底的に大掃除ができるわー」


 と宣言してくださった母親のおかげで日々あちこち掃除をさせられて数日、もう終わりだろうと思っていたところに爆弾が落とされた。


「今日は物置の片づけをよろしく」

「……それって、開かずの物置?」


 庭の片隅に置いてある、間口二メートル、奥行き一メートル程度の良くある普通の物置だ。開かずとは言ったものの実際は問題なく開くはずだ。

 ただ、ここ十年程開けられたのを見たことがない。

 不要物を詰め込むだけ詰め込んだ我が家の開けたくない場所ナンバーワン! を誇っている厄介な場所だ。


「本気でやるのー?」


 やだなぁ。


「やるの。お汁粉作ってあげるから頑張って」


 小学生のような扱いはちょっとどうかと思うけど、ただ飯食らいだしね。お汁粉は大好きだし、やるけどさ。


「はぁい」


 返事に力が入らなかったことくらいは勘弁していただきたい。

 そして開かずの扉を開くべく外に出た。

 寒い。




「もう全部捨てればいいんじゃないかなぁ」


 不用品回収とかでまるっと全部中身を持って行ってもらえないものだろうか。

 物置の中は予想通りの乱雑ぶりだった。

 開けた途端雪崩れてこなくて良かったよ。


 とりあえず一番手前の段ボール箱を開けてみると中身は私の高校の時の制服他衣類。いや捨てて出なかった私も悪いけどさ、何故しまうんだよ。

 とりあえず箱のふたを開けて外に出す。

 衣類系ごみが出たらここにまとめよう。

 衣類以外も、アルバムや賞状、教科書、習字道具。たぶん土産でもらったのだろうナゾの木彫りの置物。引き出物らしき食器、子供のころ遊んだおもちゃ。

 なつかしかったり、初めて見た代物だったりいろいろ出てくる。

 さすがにアルバムはとっておいたけど、他はほとんどゴミだ。


「これ、捨てに行くのも大変なんじゃ……」


 そしておそらくきっと、ゴミを出しに行くのも私になるだろう。

 ……ゴミじゃなかったことにして、もう一度箱に詰めて戻してしまいたい。


「朱音ー、捗ってる?」

「ちゃんとやってるよー」


 何か見透かしたかのようなタイミングで声をかけてきた母にあわてて良い返事をし、手を動かす。

 物置の床面がすっきりしたところでお昼ごはんついでに休憩。


 ちなみに庭には段ボールがあふれていて、物置から外に移動させただけ状態にしか見えない。一応ざっくり分別はしているけれど。

 ゆっくり食休みしたいのは山々だけれど、日が暮れる前に目処をつけないと厄介なので早々に作業を再開する。


 物置の奥の壁面には四段の棚が据え付けられていて、それこそ隙間なくぎちぎちにものが詰め込まれている。

 大きめの箱を引っ張り出すと雛人形のセットで、それはそのまま元に戻してマジックで「ひな人形」と箱書きしておく。

 他にはたぶんおばあちゃんが使っていたと思われる茶道具や、おじいちゃんのものらしき釣道具。大事そうなものは棚に整理して、不要物は外へ分別。


「これで最後かな」


 いちばん上端にあった箱を引きぬこうとして手が滑る。


「あ」


 大きな音を立てて落ちたが、幸い割れたような音はしなかった。

 しっかりした作りの紙箱を開けてみると中には寄木細工の箱。


「おじいちゃんの部屋にあったやつ?」


 祖父は私が小学校に上がる前に亡くなっているから記憶は薄いけれど、こんな感じのきれいな箱があったのを覚えている。

 箱から出してみてもとりあえず欠けたり凹んだりはしていないようでほっとした。


「あぁ、オルゴールだったんだ」


 裏側の小さな穴からはゼンマイが飛び出していて、まわしてみる。

 しかしぎりぎりとした手応えはなく、するすると抵抗なく空回りするばかり。

 落とした拍子に壊れたというよりはもともと壊れていたような感じ? いや自己保身に走ってるわけではなくてね、なんとなく。


 そっと箱を振ってみると中でかさかさと音がする。大きさ的に物入れ付のオルゴールだろうから中に何か入っているのはおかしくないけれど、開け場所が分からない。

 おそらくからくり箱のようなものなのだろう。


「これ、全部ゴミ? すごい量ねぇ」

「うん。中はこんな感じで良い?」


 母の声に物置から外に出る。


「上出来。お疲れさま。ゴミは、明日にでもお父さんに処分してもらうから、シートかぶせておいて」


 お汁粉の用意できてるからねー、と言い残して母は先に家に戻っていく。

 言いつけどおり、廃棄処分予定の段ボールの上にこれも物置にあったブルーシートをかぶせ、オルゴールを持って私も家に戻った。




 オルゴールのことは何となく母には言わないまま、自室に持ち込んだ。

 ネットでからくり箱の開け方を検索して試行錯誤しつつ、ふたを開けることにどうにか成功。

 が、物入れの部分が思ったより浅い。深さ一センチくらいだ。

 中に入っていたのは名刺サイズの紙が一枚。

 橙色の厚紙に紺色で【黄昏堂】と店の名前らしき表記とその下に住所。

 それほど遠くない。電車を使って一時間程度の場所だ。


「これ、買った場所なのかな」


 検索をしてみても、該当する店はない。少なくとも二十年近くは前のものだから、今はもうない店なのかもしれない。


「とりあえず、年明けてからだな」


 もしまだ営業していたとしても年末年始は休みの可能性が高い。

 一応住所をメモして、カードをオルゴールの中に戻した。



「ここだ」


 一月も半ば過ぎ、黄昏堂を探しに来てはみたものの、それらしき店舗はみつからず、一帯を行ったり来たりぐるぐるとすること一時間以上。

 基本的に古めの民家が多い地区で、さまようのはかるく不審者だ。

 歩き疲れて、休憩に入った古民家風カフェで黄昏堂のことを聞いても思い当たらない風で、どうしたものかと思いながらも、捜索再開。


 ぽつぽつと街灯がつき始めたころ、路地の奥に明りを見つけた。

 オレンジ色の光が灯る行燈には【黄昏堂】の文字がありほっと息を吐く。

 間口が狭く、入口の格子戸は磨りガラスで中の様子がうかがえない。

 入るのを躊躇う店構えだけれど、ここまで来て時間をかけたのに、そのまま帰るのもどうかと思い戸を開ける。


「いらっしゃいませ」


 なんとなく年配の人がいるのだろうと思っていたのに、若い声に拍子抜けして顔を上げる。

 二十代後半か三十越えたくらいか、優しげな顔立ちの男の人がにこりと微笑む。


「ごゆっくりご覧になっていってくださいね」


 店内はさほど広くない。壁沿いに古そうな棚がいくつか置いてあり、そこにぽつぽつと茶碗や、壺や置物やかんざし等々、古そうという以外統一感のない品物が並べられている。


「あの、買いに来たんじゃなくて、これなんですけど」


 紙袋に入れてきたオルゴールを店の人に見せる。


「確かにこちらはうちでお出ししたものですね」


 手に取って即答され、少し驚く。


「わかるんですか」


 二十年も前のもののはずだ。量産品ではないものの、別に一点物というわけでもないと思う。

 それ以前に、これが売られていた時、年齢的にこの人は当然店にはいなかっただろう。


「ええ。わかります……それで、これが?」

「あ、壊れてて、直してもらえるところがないかなと思って」


 意味ありげな微笑みが気になったものの、あわてて答える。


「なるほど」


 男性は淀みない手つきで蓋を開け、さらにいくつかの仕掛けを動かしてもう一枚板を外す。

 その下から出てきたオルゴールの仕掛け部分をごそごそと弄って、ゼンマイを巻く。

 ぽろんぽろんと悲しいような懐かしいような音が静かな店内に零れ落ちる。




 音数はそれほど多くない。どちらかと言えば単調なゆっくりした音はとても耳になじんだ。

 懐かしいような、じゃない。懐かしいんだ。ぜったい聴いたことがある。どこでだっけ。

 目を閉じ、音に集中しながら記憶をたどるけれど、思い出せない。


「あの。これ、なんて曲かわかりますか?」

「曲名まではちょっと」


 落胆した私に、男性は相変わらずの笑顔で続ける。


「これは夜泣きがひどいお孫さんに何か良いものがないかと、おじいさまがお求めになられたものだったんです。あなたがそのお孫さんなんですね。どうぞ」

「え?」


 差し出されたハンカチを思わず受け取ってしまい目を瞬かせると、頬に涙が伝う。

 うわ。なんで泣いているんだ、私。

 借りたハンカチで目元を抑えるけれど、なかなか涙は止まらない。

 悲しいわけじゃないし、目が痛いわけでもない。

 確かにこのオルゴールの音は懐かしいけれど、泣きたいほどじゃないはずなのに。


「ごめんなさい。泣いたりして」


 ようやく収まった涙をぬぐい取り、顔を上げる。


「この箱に収まっていたあの頃のあなたの涙が、今あなたに戻っただけなので問題ありません」


 穏やかな笑顔。でも言っていることは謎だ。ちょっと変わった人だ。それとも単にこちらをからかっているんだろうか。


「こちら、お返ししますね」


 箱の開け方のメモと一緒に渡してくれる。


「あ、おいくらですか」


 直してもらったのにタダというわけにはいかないだろう。


「この程度、修理のうちにも入りませんから」

「お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとうございます」

「いえ。何かお困りごとがありましたらいつでもどうぞ。アナタに必要なものを見繕わせていただきます」


 にこやかな笑顔に見送られ店を後にした。




 家についても、頭の中にはまだあの音が鳴り響いているような気がして、気になって目元に手を触れる。

 涙が出ていなかったことにほっとして、ハンカチを借りっぱなしで来てしまったことに今更気づく。

 洗濯しないとだし、お礼を持ってまた行けば良いかと決めてドアを開けた。


「ただいま」


                                   【終】

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