第7話老人と孫
起きたのはだいぶ経ってからのことだった。
窓から外を見ると、昼間から夕暮れ近くになっている。
少し寝すぎたなと思いつつ、カレニアの様子を窺う。
寝息を立てて穏やかに寝ていた。額を触ると熱が下がっている。
「……ひと安心と言ったところか」
誰に言うまでもなく呟くと、何かを料理している匂いがした。
外へ通じる戸を開けると、かまどに火を入れている件の老人、ジロウが慣れた手つきで料理している。粥を作っているのだろう。その傍には鳥やイノシシの肉が焼かれていた。
「目覚めたようだな」
料理をしながら私に問う。
戸を開けた音で気づいたのだろう。
「ああ。世話になった。礼を言う」
「まだなっている途中ではないか? これからご飯だ」
「そうだな……ブロウはどこだ?」
私の問いに「外で薪を割っている」とジロウは答えた。
そして焼いた肉を鍋に入れていく。
「ここらの獣は、一度焼かないと食えたものではない」
「……この匂いは、味噌だな」
武士だった頃を思い出す。私のいたアースドリアでは見かけない調味料だが。
ジロウは驚いたように「知っているのか?」と目を見開いた。
「少なくともブルーフォレストでは流通していない」
「ならどうしてあなたは持っている?」
「……作り方を知っているだけだ。材料の豆なら手に入るからな」
ジロウは再度「どうして知っている?」と問う。
私は「食したことがある」と正直に言った。
「かなり昔のことだ。懐かしさすら覚える」
「……アンヌと言ったか。君は一体――」
私が答えようとしたとき、外の戸が開いて「うん? 起きたのかあんた」とブロウが入ってきた。
「ああ。おかげで私もカレニアも元気になった。礼を言う」
「そりゃ良かった。じっちゃんに言われて代わりの服を用意したけど着る?」
「それはありがたい」
ブロウは一度外に出て、すぐに戻ってきた。
手には包みを二つ抱えている。
「あの女の人の分もあるよ」
「何から何まですまないな」
「いいって。それより風呂沸かしてくるから。流石に血の臭いが付いていると思うし」
ブロウは私の返事を待たずに、さっさと行ってしまった。
私は料理を再開したジロウに「とても良い子だ」と告げた。
「よほど、あなたの育て方が良いのだろう」
「褒められても何も出せん」
「……ジロウ殿。あなたに聞きたいことがある」
私は確信をもって、ジロウに訊ねた。
「あなたは――サムライと何か関わりがあるのか?」
◆◇◆◇
ジロウは沈黙を貫いた。
私はそれ以上、無理に訊こうとは思わなかった。
人里離れて孫と二人暮らししている時点で何となく分かったからだ。
その後、カレニアの様子を看ていた。
こんな風になるまで無理をさせたことは猛省すべきことだ。
今後は私の世話をなるべくさせないようにせねば。
風呂に入ってさっぱりして、服に着替える。
ブルーフォレストの村の女が着る服は、農作業がしやすいようにと機能的だった。
動きやすく軽い。
「夕飯だ。カレニアさんを起こしてくれ」
外がすっかり暗くなった頃。
ジロウに促されて、私はカレニアを優しく起こした。
「お嬢様……ここはどこですか?」
「小屋だ。ま、少なくとも危険が及ぶところではない」
「そうですか……私、迷惑を……」
「いや、私の配慮が足らなかった。謝るのは私のほうだ」
カレニアは頭を下げる私にきょとんとした。
少しばかり恥ずかしくなった私は「何故、驚いている?」と訊く。
「お嬢様が素直に謝られたのは、初めてでしたので」
「……お前の体調が悪くなったのも、初めてだったからな」
私の返しにカレニアはけらけら笑い始めた。
笑う元気があるなら大丈夫だろう。
「そら、粥だ。ゆっくりと食べろ」
米ではなく麦で作られた、いわゆる麦粥を椀に盛って私に手渡すジロウ。
私は匙で掬って、冷ましつつ、カレニアに食べさせた。
「お嬢様に、そのようなことを……」
「良い。さあ食べろ」
カレニアはゆっくりと口に運んだ。そして椀一杯を完食した。
これだけ食欲があれば十分だ。
私も鍋料理を食べた。味噌仕立ての美味しい汁が身体に沁み込む。
途中でやってきたブロウも貪るように食っていた。
食事が終わると「訊いてもいいだろうか」とジロウが言う。
「女二人で旅をしているようだが――目的はなんだ?」
「遠く離れたサムライの国に行くためだ」
私の答えに「あんなところに行ってどうする?」とジロウは笑った。
ブロウをちらりと見ると私たちの話を興味深そうに聞いている。
「行ってどうするという話ではない。私はサムライだから、サムライの国に行くのだ」
「なんだそれは。筋が通らないぞ」
「まあ自由を求めての逃避行と言ってもいい。だが必ずサムライの国に行く」
するとブロウが「じっちゃん……」と心配そうな声を出した。
ジロウは「お前は黙っていなさい」と厳格に言い放った。
「その結果、カレニアさんを苦しめた……そうは考えなかったか?」
「立つ瀬がないな。私もそう思う。だから――」
私が言い終わる前に「私は絶対、お嬢様から離れませんよ」とカレニアがきっぱり言う。
カレニアは布団から身体を起こして、それだけは譲れないという目で私を見る。
「お嬢様の面倒を見るのが、私の役目ですから」
「カレニア……しかし……」
「だいたい、一人で他国に住んで生きるなんて、私にはできません」
そんなことはない。カレニアならどんな仕事にも就けるはずだ。
私から離れてしまっても一人逞しく生きられる――
「お嬢様がなんと言っても、絶対にです」
「……私以上に頑固だな。それに根性もある。いつからそうなった?」
呆れ半分、賞賛半分にカレニアに言うと彼女は得意そうに言う。
「頑固はともかく、根性は鍛えられましたから――お嬢様のおかげで」
私は頬を掻きながら「本当に素晴らしいな」と軽く笑った。
そんな様子を見ていたジロウは「微笑ましいな」と感想を述べた。
「だが、サムライの国は今――」
「じっちゃん! ……よく分からないけど、囲まれている」
ジロウを遮って、ブロウが二刀の木剣を傍に引きつけつつ言う。
私は立てかけていた剣を取って、カレニアの手を取った。
しかし動けそうにないなと触って分かった。
「な、なんですか? 何が――」
「カレニアさんは動ける状態ではない。だから逃げるのはできないだろう」
ジロウが沈着冷静に告げた。
ブロウが「じゃあどうするの?」と訊ねた。
「アンヌさんはここにいてくれ。ブロウとわしが追い払ってくる」
「いや――ジロウ殿はここにいてくれ」
私はカレニアから手を放して立ち上がった。
小さく「お嬢様!」と叫ばれた声を無視する。
「老人と子どもに守ってもらうほど、私はやわではない」
「…………」
「それに、カレニアの容態を診てもらえるのはジロウ殿だけだ」
私はゆっくりと出口へ向かう。
するとブロウが「俺も行くよ」と言う。
「遊びじゃないんだぞ、ブロウ」
「分かっているよ。でもさ、俺だって女の人に守られることを情けなく思う気持ちがあるんだ」
私はブロウの目を見てから「私の傍を離れるなよ」と忠告した。
ブロウはしっかりと頷いた。
震えていることは指摘しなかった。
外の戸を出ると、取り囲む気配を敏感に感じられた。
五人――いや、それ以上の人数。
「私に用があるのか? それとも、ここの家主に対してか?」
相手の目的を問う――闇夜から矢が飛ばされるが――難なく剣で打ち払う。
「なるほど。お前たちの目的はよく分かった」
私は剣を構えて――見得を切った。
「全員、死兵となってかかってこい。それを一刀で斬ってやる――」
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