第36話

「店長ー!!仔猫がおるって聞いたんやけど、どこにおるん?」


 とてとてと走ってきた、おチビちゃんに、マリンソフィアはにこっと笑って仔猫を見せた。


「あら、おチビちゃん、いらっしゃい。仔猫はここよ。お名前はさっきアルがつけてくれたんだけれど、『黎桜りお』となったわ」

「わあぁ!とってもかわええなあ!!うち、この仔のこと気に入ってしもたわ」


 ぱちぱちと手を叩く彼女は、愛嬌たっぷりの顔で笑って仔猫の方にそっと手を伸ばした。

 仔猫は最初は怪訝な顔をしていたが、やがてすりっと彼女の手に擦り寄る。どうやら相当に人馴れしているようだ。マリンソフィアはここでいいことを思いついた。

 この仔を使えば、王太子にパレードで仕掛ける嫌がらせが尚のこと完璧になる。


「そう、よかったわ。拾ってきたばかりで汚れているから、洗って欲しいのだけれど、構わないかしら?使うのはわたくしの浴槽よ」

「ん~、承知しましたわぁ。お猫さん嫌いって結構おるさかい、そういうやつのためにも、そうした方が絶対ええわ。そういうやつに限って、相当うるさいもん」

「そうね。でも、好みは人それぞれだから、仕方がないわ」

(嫌いなものは大人になっても嫌いだし、見たくないもの)


 大人気が一切ないマリンソフィアは、憂い顔ながら自分が嫌いなことは嫌いで、それを治すように他人に強要するのは間違っていると考えている。

 マリンソフィアはそのあと汚れきった黎桜を見て、ほうっと溜め息をついた。


「本当はわたくしが黎桜のことを洗いたいところのなのだけれど、そんなことをしたら、クラリッサからお小言を食らってしまいそうだからね………」

「あぁー、クラリッサはとってもうるさいさかいねー。お小言が多いんよ」


 おチビちゃんが我が意を得たりという顔でふむふむと頷いた。おチビちゃんは身長が低くて童顔ということもあって、なんだか、子供が背伸びをして大人に会話を合わせているかのような違和感がある。


「そうね。でも、それで秩序が乱れていないのだから、それも彼女の手腕よ」

「そうやね~。うちも、秩序をしっかり守るクラリッサのこと、ちゃーんと好きやで」

「そう、彼女が好かれているようで何よりだわ」


 クラリッサの方を向きながら『好きだ!!』と言ったおチビちゃんに、マリンソフィアは苦笑した。恥ずかしがり屋のクラリッサは、おチビちゃんの評価に猛スピードで逃げて行った。


 おチビちゃんが黎桜を抱いて浴槽に言った後、マリンソフィアはアルフレッドを自室に招いてお話をすることにした。


「ねえ、アル。わたくしね、あの仔黎桜に今回の王太子殿下への嫌がらせでお役目を与えようと思うの」

「役目?」


 不思議そうに首を傾げたアルフレッドに、マリンソフィアはこくんと頷く。そして、作業室から持ち帰っていた『愚かで滑稽な裸の王さま』の最後のページを開けて見せた。


「このわんちゃんの足跡を、黎桜りおにやってもらおうと思うの」

「………つまり、その訓練を僕に付き合ってほしいってことか?」

「えぇ、クラリッサに屋根なしの馬車をパレードの速さで走らせて、あなたを王太子役にしたいの」

「つまり、足跡まみれになれということか」

「えぇ、インクまみれになってもらうわ」


 マリンソフィアは躊躇いもなく頷いた。そして、ニヤリと笑ってカラーインクを大量に取り出した。赤に青、黄色に緑、紫に黒、マリンソフィアはご機嫌にインクを揺らした。


「うふふふっ、可愛い可愛い裸の王子さまになるでしょうね。だって、こんなにたくさんのカラフルなインクをぶちまけて、身体中肉球のスタンプだらけにするのだから」

「………悪趣味にも程があるぞ」

「そうかしら?でも、大丈夫よ。あなたは王太子殿下とは違って、真っ白なシャツの上からインクまみれになってもらう予定だから」

「………………」


 マリンソフィアはそう言うと、窓から下町を見下ろした。


「やっぱり、ここからだと高いわね。黎桜が怪我をしてしまうわ」

「ーーーー………………高いところから突き落とす気だったのか………?

「? そうじゃなければ、衛兵に捕まってしまうわ」


 マリンソフィアはこてんと首を傾げた。そして、おチビちゃんが無言で入室してきて床に放した、相変わらず真っ黒でふわっふわの黎桜をぎゅうっと抱き上げた。


「こんなに可愛い仔を、処分の対象にしろってアルは言うわけ?」

「いや、そもそもそんなに可愛いんだったら、外に放たなかったらいいじゃないか!!」

「っ、で、でもっ、『愚かで滑稽な裸の王さま』を再現するには、足跡が必須よっ!!」

「………『愚かで滑稽な裸の王さま』のガチ信者が恐ろしい………………」


 『愚かで滑稽な裸の王さま』の良さが分かっていないアルフレッドに、マリンソフィアはカッと目を見開いた。


「そんなことないわ!!あなたも読めばすぐに、この偉大なる本の素晴らしさが分かるわよ!!愚かで滑稽な見栄っ張りのどうしようもないダメダメな王侯貴族!!そして自尊心のまるでエベレストのように高すぎる!自由奔放な国王の断罪だなんて、とーってもすごくて素敵なことじゃない!!」


 王侯貴族に虐げられた、のマリンソフィア・グランハイムは、輝かんばかりのうっとりとした表情を湛えて、アルフレッドに向けて自信満々に力説する。この本は、心の底から傷ついたマリンソフィアのズタボロに引き裂かれた心を、いつもいつも救ってくれていた。だからこそ、この本に従って、自分に最低最悪の形容し難い理不尽を押しつけてきた王太子と国王夫妻、そしてグランハイム侯爵家当主と愛人さまと、自分に嫌がらせをしてきていた不正まみれのクソムカつく貴族どもに、私情でこれでもかと言うほどの面子をぶっ潰す制裁を与えることにしたのだ。

 周辺諸国1の人気服飾店、『青薔薇服飾店ロサ アスール』の店長という立場と、情報ギルドギルド長の右腕『ソフィアーネ』という手腕を使って。最も堪える嫌がらせをすることにしたのだ。

 婚約破棄と勘当をしてくれたことにはこの上なく感謝しているが、それとこれとは話が別である。マリンソフィアは、決して理不尽と不平等や不公平を許さない。


「うぐっ、………自由奔放な、王族………………」

「? なあに?そのぐっさり刺されて死んだ衛兵みたいな顔は」


 マリンソフィアは、過去自分を庇って死んだ嫌味しか言ってこなかった衛兵の死に顔と似たような表情をしたアルフレッドに、胡乱気な視線をちくちくと向ける。後半はよく聞こえなかったが、何か良くないことを言っていたと、自分の本能が告げていたのだ。


「………ちょっと鋭い言葉のナイフに刺されちゃってね」

「そう?わたくし、何か刺々しい言葉を言ったかしら?ごめんなさいね、わたくし、とーっても攻撃的なの」

「………言ってないよ。至って普通の、当たり前のことしか言ってないよ」


 そう言いながら、アルフレッドはがっくりと項垂れた。まるで、ご主人に怒られてしょぼんとしている、真っ黒な大型犬のわんこみたいだ。マリンソフィアは不思議なアルフレッドに向けて盛大に首を傾げて、そして、彼のことをじーっと見つめるのだった。

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