第26話
▫︎◇▫︎
作業を再開して2時間後、急にお店の中が騒がしくなった。お昼からはクラリッサのみがずっと対応をしている常連さんがやって来たために、クラリッサは対応に行ってしまっていて、周囲の状況がいまいち掴めないマリンソフィアは、それでも我関せずとお洋服を仕立て続けた。
ーーーコンコンコン、
焦ったようなノック音だが、リズムからクラリッサであると当たりをつけたマリンソフィアは、誰であるかも聞かずに入室の許可を出した。
「失礼しますっ、………王太子、殿下がいらっしゃいました」
「そう、じゃあこのお洋服じゃ失礼に当たるわね。着替えなくっちゃ。クラリッサ、ゆっくりわたくしのお洋服の準備をしてちょうだい」
マリンソフィアは満面の笑みで微笑んで、緩慢な仕草で立ち上がった。そして、自室へと足を向ける。
「先触れもなしにきたのだもの、先方が用意できるまで待つのが当然のマナーよね?」
「………そうですね」
「とーっても苦くてまずいお茶と、砂糖がたーっぷりのおやつを殿下のもとに届けるように言っておいて」
自室へと戻ったマリンソフィアは、決して自分でお洋服を用意しなかった。クラリッサが王太子の元へと色々と届けるものの手筈を整えている間にも、簡単に言えば、王太子と会う準備など全く進めていないのであったのだ。
「ふふふっ、『待て』がとーっても苦手な殿下は、いつまで待っていられるのかしら?とっても見ものね。わたくし、怒り狂って出ていく殿下を見るのが楽しみになって来ちゃた」
足をぷらぷらとしたマリンソフィアに、急いで帰って来たであろう汗をかいているクラリッサがイラッとした顔で笑う。
「………そんなことを言っている暇があったら、お洋服の準備くらいご自分でなさったらいかがですか?」
「嫌よ。だって、面倒くさいもの。わたくし、こういうお洋服はメイドが準備するものだってちゃんと理解しているもの」
駄々っ子のような主人に、クラリッサは心底呆れた顔をして、そして真っ赤な薔薇のような豪奢なドレスを手渡した。
「本日はこれを着ていただこうかと思うのですが、構いませんか?」
「ふふふっ、熱烈な色ね。でも、気に入ったわ。早くわたくしに着付けなさい」
マリンソフィアはクラリッサが着せやすいように、自分の身体を動かすのだった。
真っ赤なルビーとキラキラと乱反射するダイヤモンド、そして金糸の刺繍がふんだんに施された真っ赤なプリンセスラインのドレスに身を包み、髪は複雑に編み込んでアップにしてもらったマリンソフィアは、仕上げに化粧を施してもらう。
急遽のお化粧で一応道具を出したマリンソフィアに、クラリッサは目を吊り上げて新しいお化粧道具を買いに出かけ、そして、マリンソフィアを真っ赤な大輪の赤薔薇のように仕立て上げた。
「………わたくし、こんな装いもできたのね」
「………………びっくりするぐらいに美しくて、作り上げた私もびっくりです」
そんな感想を言ったクラリッサを一瞥したマリンソフィアは、胸元でいつもよりも調和して輝くルビーの宝石を優しく撫でた。
「ふふふっ、今日は1段と綺麗ね」
「………そろそろ行った方がいいんじゃないですか?」
「そうね、かれこれわたくしが呼ばれてから1時間経ったわね」
マリンソフィアは時計を見ながら楽しそうにくすくすと笑った。
「今日のお客さまはだあれ?クラリッサ」
「………王太子殿下とその婚約者さまだそうです。反吐が出ますね」
「あらあら、そんなこと言っちゃダメでしょう?いくらクズでも、吐いちゃったら可哀想だわ」
「………………」
真っ赤な扇子を握りしめたマリンソフィアは、すっと背筋を伸ばして高い真っ赤なハイヒールの音を鳴らして王太子とその婚約者がいる部屋へと足を伸ばした。
ーーーコンコンコン、
「入れ」
苛立った声音に、マリンソフィアは予想が的中したことを悟る。やっぱりものすごく怒っている。まあ、狙い通りではあるのだが、怪我をさせられないことを祈ってしまう。
「失礼いたします」
「遅かったな」
こちらを一瞥もしない王太子へと氷のような視線を向けているマリンソフィアは、すっと扇子を開いて口元を隠すと、少しだけ甘い声を出した。
「先触れがなかったもので、少々休んでいる最中でしたの。お待たせしてしまったようで、申し訳ございませんわ」
「ーーー………、」
マリンソフィアが全ての負の感情を押さえつけ、そして隠し込んでふんわりと微笑むと、その場がぱっと華やいだ。そして、見た目だけは麗しい王太子がぐっと息を呑んだ。
「コロン、悪いが別れよう」
とんでもないことを言った王太子に、マリンソフィアは思わず微笑んだまま殺気を出してしまった。
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