第2話

 邸宅から出たマリンソフィアは、さっき外に放り投げたお金になりそうなものをいっぱいいっぱい詰め込んだ旅行鞄をささっと拾って、馬車に乗り込んだ。


「御者、いつものところに」

「………………」

「ふふふっ、これでどう?」


 マリンソフィアはすっと指を1つ立てる。

 御者はむうっとくちびるを尖らせたあと、指を3本上げた。


「あら、金貨じゃなくて銀貨がお望み?」

「え!?金貨!?」

「そう、金貨。乗せてってくれたら金貨1枚」

「どうぞ、どうぞ。いつものところへなんてお安い御用です。金貨をくださるのでしたら、地の果て空の果てへでもお送りいたします」


 恭しく頭を下げた御者を冷たく見やったマリンソフィアは御者の手も借りずに馬車に乗り込んだ。


(ふふふっ、単純な男。お金ですぐに動く人間は信用できないけれど、使い勝手がいいのよねー)


 令嬢らしからぬことを考えたのち、マリンソフィアは何を思ったのか、窓を見て自分の姿をじーっと見つめたのちに、ぱさりとダイヤモンドがあしらわれた華奢な髪飾りを取り外した。髪飾りをドレスのケープの中の小さなポケットに入れて、首をふるふる振ると、複雑に結い込んでいた髪が癖もなく座席の上に滑り落ちる。


「うーん、もう侯爵令嬢じゃないんだから、髪って長くなくてもいいわよね?」


 じーっと考えれば考えるほどに、長くて不便な髪の有用性に疑問を抱く。


「よし、切ろう」


 言うや否や、マリンソフィアはドレスの裾をたくし上げた。雪のように細い脚には真っ黒なベルトとそこに引っ掛けられたナイフと長めの縄、そしてさまざまな薬の入っている小瓶がある。


「うふふっ、髪を自分で切るのって初めて。とっても面白そうだわ」


 膝のあたりまである白髪を適当な髪飾りについていたおまけのリボンでぎゅっと腰のあたりで縛ると、マリンソフィアは足から取り外した研ぎ澄まされたナイフを抜き身にしてえいっと振り下ろした。


 ーーーぱさり


 手入れをされた髪がばっさりと切り落とされ、床に散乱する。


「ありゃりゃ、床が真っ白になっちゃった」


 するするとした髪質の髪は、見事揺れる馬車の中で大暴走して床を埋め尽くしている。マリンソフィアはそれを満足げに見たあと、馬車が止まったのを感じていそいそとナイフを足のベルトに引っ掛けてにしまい込み、髪飾りもドレスの中に隠した。旅行鞄を手に持ち、マリンソフィアは幸せそうに微笑む。


「あぁ、やっと自由だわ」


 またもや御者の手を借りずに馬車から飛び降りたマリンソフィアは、御者に金貨を1枚投げ渡すと、勝手知ったる我が物顔で下町の中でも特別治安の良い、貴族御用達店の並ぶ街を闊歩し始めた。


「じゃあねー、わたくしの行き先は絶対にお父さまに言っちゃダメよー」


 マリンソフィアはひらひらと手を振って、去りゆく御者に叫んだ。そして、貴族御用達店の並ぶ下町の商店街の中でも特別大きく、そして豪華絢爛な外装をしたお店、『青薔薇服飾店ロサ アスール』の裏口に回って足を踏み入れた。


 ーーーガチャっ、


「ただいまー!!」


 マリンソフィアは我が家に帰ったかのような気軽さで、ふわふわと店の中に入っていく。


「て、!?なぜこんな夜更けに!?というか、その格好は!?髪は!?」

「ふふふっ、聞いて聞いて!!わたくし、勘当されたの!!これでお針子さんのお仕事に集中できるわ!!」

「えぇ!?勘当!?え、………えぇ!?」


 なにをそんなに驚いているのだと言わんばかりの表情をしたマリンソフィアは、くるくると舞い踊った。


「ふふふっ、これで1日中ずーっとお洋服やドレスを縫い続けられるわ。わたくし、とーっても幸せ!!」

「………店長」


 今、王都1売れている大人気服飾店、『青薔薇服飾店ロサ アスール』はマリンソフィアの経営するお店だ。マリンソフィアが5歳の頃、つまり11年前に離婚間際の母親がマリンソフィアの趣味を知っていて送った最後のプレゼントであり、マリンソフィアの持つ唯一の母親との接点だ。

 ここ11年でここまで大きくなったこのお店は、開店当初からずば抜けたマリンソフィアの手芸の腕前もあり、予約数がとても多い大人気店だ。最近では結構古いお店であるとまで言われるようになった。誰もこのお店の店長がたったの16歳の小娘だとは思ってもみていないだろう。知ったら即倒そうな奥方さまを、社交界では結構見かけて知っている。


「じゃあ、わたくしはこれからこのお店に住むから、そのつもりでよろしくね。クラリッサ」

「はあー、分かりましたわ。ごゆっくりおやすみくださいませ」

「おやすみー」


 マリンソフィアは呆れたような店員クラリッサを置いて、今まではお昼寝以外に使ったことのなかった最上階の自室へとるんるんとした足取りで向かった。

 綺麗に片付いたマリンソフィアのお部屋には、青を基調とした家具が並べられている。青薔薇をモチーフにしたバッド際のランプやカーテン、真っ白な机にも薔薇の彫りが施されている。

 これも母親からのプレゼントだ。ちなみに、母親は今は実家にて、のんびりスローライフを満喫しているらしい。1家の当主たる弟がシスコンで、何もしなくても文句を言われないし、何かしたら弟嫁が面倒臭そうな顔をすると言うのが1番の原因のようだ。


「うふふっ、わたくしもお母さま同様、楽しいスローライフへの突入ね」


 スローライフの意味がいまいち分かっていなさそうなマリンソフィアは、これからのわくわくが詰まりに詰まった未来にルンルンと胸をときめかせて、勘当された生家から持ち出した旅行鞄を床にほっぽり出したままベッドにダイブした。

 そしてまもなく、綺麗な青薔薇のような部屋に、マリンソフィアの調子外れな寝息が溶け込み始めた。

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