ギタリストの犯した禁忌
煙屋敏光
第一話
騒がしさを感じ、カァテンを開けてみれば、バケツをひっくり返したような大雨であった。
ああ、そういえば、大きな低気圧がこの辺りを直撃するのだと、昨夜のニュウスを思い出した。
この雨だと傘はすぐ駄目になりそうだと、登山用品の棚からゴアテックスの雨具を取り出す。
朝食はいつも決まっている。
納豆に白米、そしてインスタントの味噌汁。
炊飯器を開けると、水に浸ったままの米が見えた。
どうやら炊飯器のボタンを押し忘れたらしい、と気付くも、今から炊けるのを待っていては出勤の時間に間に合わないものだから、諦めて板チョコレイトを一枚、胃の中へ押し込み、食後の一服を済ませ、家を出た。
この季節は日にもよるのだが、だんだんと蒸し暑さが強くなってくる。
雨雲で陽光は遮られているけれども、じんわりと汗をかきそうな、そんな空気だった。
歩いて十五分ほど、川沿いにあるのが高川のアルバイト先であるコンビニだ。
店に入る前に、川の様子はどのようなものだろうと、近くの橋から覗き込むと、普段より水の量は大幅に多いが、氾濫するほどの量では無さそうだった。
数分ほど眺めたのち満足し、店へと入る。
一リットルの麦茶と温かい缶コウヒイを手に、レジへと進み、夜勤の人と軽く会話しながら会計を済ませる。
高川は仕事前にコウヒイを飲まないと気が済まないのだ。
水ではすぐ喉が渇いてしまうし、かといってスポゥツドリンクの類いも、歯肉炎が怖いものだから、結果、ほどほどにミネラルを含んだ麦茶を仕事中に飲む、というのが高川なりのこだわりであった。
時刻は午前五時五十分を過ぎた頃か。
勤務時間は六時からであるから、少しゆったりとコウヒイを飲むことが出来た。
早朝シフトは二人体制であるが、この曜日の相方はいつも時間ギリギリにやって来るので、事務所でぼうっと過ごしていた。
五十八分、相方が出勤してきた。
彼は普段、自転車で来るのだが、この雨である、流石に歩いて来たらしい。
六時ちょうど、仕事を始める。
まずはトイレ掃除からだ。
ちなみに、相方の方はレジ周りや珈琲マシン周りの補充をやっているはずである。
まあ、夜の間は客が少ないので、そこまで汚れが酷いということはなく、飛び跳ねを拭き取り、便座や手摺り、床をアルコウルで消毒し、鏡の水垢を落とせば終わりだ。
うちの店はトイレが二つあるので、もう片方のトイレも同様に掃除する。
次に、バックルウムの冷凍庫、デザアト什器、栄養ドリンクコウナア、フライヤア室の排水をバケツに集め、水道に流す。
この季節は湿気が多く、たいてい一往復では終わらないので、バケツの七分目ほどで一度捨て、また排水集めへと戻る。
それが終われば、アイスコウヒイのカップをバックルウムからレジ前の冷凍庫に移すのだが、なにせ暑くなってきたものだから、朝の時点で空っぽ、なんてことも多く、この日は段ボウルを三つ空けた。
高川はシフトリイダア、つまりは、時間帯責任者であるから、レジの締め作業・本点検も彼の仕事の一つだ。
自動精算機になってから、この作業はかなり楽になったと思うが、どのみち一つのレジは点検中は動かすことが出来ないものだから、このタイミングで客が並ぶと少し焦る。
うちの店は夏場が掻き入れ時なので、この季節はレジを三台使って接客するのだが、早朝シフトは二人体制だからあまり意味はない。
ここまでの仕事にかかる時間は、約三十分ほど。
六時台は客も少ないので、レジのすぐ裏に事務所があるから、防犯カメラでレジの様子を見ながら、時間が過ぎて行くのを待つ。
この曜日の相方はいつも、この間の休みは彼女と何処へ行っただの、ツゥショットを見せつけられたりと、高川は笑い飛ばしてはいるが、内心では擦り減っている心を自分で慰めるのに精一杯なのだ。
七時頃になると、この後の客足も考え、客側のゴミ箱の袋を全て交換する。
相方は潔癖なものだから、トイレ掃除といい、ゴミ箱といい、そういった仕事はやりたがらないので、高川がいつもやっている。
大抵、ゴミを纏めて裏の倉庫に捨てたくらいのタイミングで米飯・パンの二便の納品がやってくるのだが、この大雨でトラックは遅れているらしい。
川沿いの護岸工事に携わっている土方職人の客も、今日はこの天気で休みなのだろう、七時を過ぎても客足はまばらであった。
七時二十分頃、納品が来たので、検品を済ませ、陳列を始める。
昔は商品を一つ一つ、バアコウドを通して検品していたが、今では番重の横のバアコウドを通せば良いものだから、随分と楽になったものだ。
高川はいつも米飯を並べ、相方がパンを並べる。
この時間帯は米飯が六から八段、パンが多くても三段ほどだから、私の方が不利なのだが、相方は有利なのをいいことに陳列の速さを競ってくる。
当然向こうが速く終わるのを分かってはいても、相方の言い方が腹立たしいので、表向きだけ怒ってみたりするのだが、向こうも怒っているのは表向きだと分かっているので、気にした様子はない。
それにしても今日は客が少ない。
もうお互い顔を覚えてしまった、毎朝煙草を買って行く人たちくらいしか来ないものだから、とにかく暇であった。
この天気でも煙草はいつも通り売れる。
高川も、そろそろ口が寂しくなったものだから、相方に一声かけ、客から見えない裏口を出たところの灰皿の前で、愛用のロンソンとショートピースを取り出し、一服した。
時刻は午前八時。
そろそろ揚げ物を仕込んでも良い頃合いだ。
この時間では売れ筋と鮮度の長いものしか揚げないから、大した手間ではない。
相方は手が汚れるのを嫌い、高川に揚げ物の仕事は丸投げするので、この暑くて湿り気の多い季節でもハンドクリイムは必需品なのだ。
揚げ物の傍ら、レジの両替を済ませ、両替用の金庫の数字が合っているかを確かめる。
その流れでこの時間帯、客は何組来たか、売上は幾らだったかを日報に纏める。
ポツポツと、午前シフトのパアトの人たちがやって来る。
簡単に世間話をしていると、午前九時、退勤の時刻となる。
こんな生活を、平日の午前六時から九時、少しだけ時給の良い時間に働くのが上京してからの高川の日課となっている。
ちなみに高川の役目は、早朝のシフトリイダアの仕事と、シフトボウドの穴が空いているところを埋めることだ。
この季節は卒業生たちが辞めていく時期と、学生たちが新生活に慣れてバイトを始める時期のちょうど間に位置しているから、一ヶ月丸々休みが無いなんてこともある。
まあ、それで生活が出来ているから、高川自身、文句は無いのだが。
帰宅してからはひたすらバンドで演奏する曲の制作と、ギタアの練習をしている。
ヴォウカルから毎日、結構な量の作詞の案が送られてくるものだから、こちらの作業も意外と忙しいのだ。
最近では、流行りの音楽のギタアプレイを、譜面と手元を映して動画投稿サイトにアップロウドし、そちらでも食費の半分くらいになる程度の稼ぎはあり、好きなことを仕事にしている感覚もあるので、高川は楽しんでいる。
メジャア・デビュウを目指し、バンド仲間と共に上京して来たものの、なかなか結果が出せないでバイト生活を送っていたある日、どうしようもない高川のもとに、天使が舞い降りた。
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