60日目

「夜鷹……そろそろ機嫌を治してくれないか?」

「別に、機嫌なんか悪くない」

「そんなこと言って……」

今日も今日とて、周はたくさんの土産を手に俺の前を右往左往としていた。ここ十日ほどずっとこの有様だ。言葉通り、俺は機嫌を害しているわけではない。ただ、どんな顔をしたらいいか分からないだけ。それを周が勝手に機嫌を悪くしていると思い、あれこれと手土産を持ってくるのだ。

珍しい洋菓子から、老舗の和菓子まで。どこから聞きつけたのか甘味が好きなことがバレてしまっているようで、ここ数日いつもお八つには困らない。

「だいたい、何も覚えていないのに謝る奴がいるか」

「それは、そうだけど」

「身に覚えのないことで頭を下げるな。そんな謝罪、欲しいとも思わない」

そう言い切ると、周はしゅんと項垂れた。まるで叱られた犬のようだ。そんな姿を見ているとなぜだか胸が痛くなる。

しょうがないので、今日も手土産を受け取ることになった。

「本当に教えてくれないのかい?」

「貴方は知らなくていいことだ」

「君を傷つけていない?」

「だから、しつこいな! 昨日も、一昨日も、その質問には答えただろ!」

そう、周はあの日に起きたことをほとんど全て忘れていた。俺は今でもはっきりと覚えているのに。

翌朝、目が覚めた周が「昨日は何かした?」と尋ねてきた瞬間、これは墓場まで持って行こうと誓ったのだ。

頼まれた訳でもないのに口で慰め、挙句の果てには隣で自分も慰めただなんて。恥ずかしくて絶対に言えない。それに、周だって知らない方がいいだろう。

ここに通う本当の理由は分からないが、きっとあと数年もしたら結婚する。その時にかつて陰間と関係があったなんて知られたら面倒なはずだ。

時代が変わる前は、こんなことなかったのに。今では俺たち陰間は邪魔者扱い。男色はおかしな事だと言いふらす人もいる。別に、陰間全員が望んで男に抱かれているわけじゃないというのに。

「そもそも、機嫌を取るために甘味だなんて……誰の入れ知恵だ」

「雲雀だよ。君に何をあげたら喜ぶか聞いたら、甘味だと言うから」

「あいつ……」

今頃どこかの座敷で三味線を弾いているであろう禿を心から恨む。余計なことを言うんじゃあない。しかもなんで本当のことを言うんだ。おかげで断ろうにも出来やしないじゃないか。

目の前に置かれた虎屋の羊羹、見慣れない横文字が書かれている箱に入っているのはびすきゅい、宝石のように輝く小瓶に詰められているのは金平糖。どれも生唾が溢れるほど美味しそうだった。

「……後からダメだと言っても、返さないからな」

「言ったことないし、言わないよ」

「ふん」

昔から家では甘いものが出されることは少なかった。決して貧しかったわけではないが、質素倹約に勤めていたからだ。それが家訓でもあったし、当たり前だとも思っていた。

たまに、本当にたまに甘いものが手に入ると、いつも兄と喧嘩をしていた。兄なら兄らしく、弟に譲れとか、弟なんだから兄に譲れとか、ひどくみっともないことを言っていたと思う。それを見かねた姉が、自分の分をこっそり俺に分けてくれて、それを知った兄がまた「ずるい!」と喚き、最終的には二人ともまとめて母に叱られていた。

そんな思い出があるせいか、今でも甘味を前にすると気持ちが落ち着かなくなってしまう。もう、誰も横取りなんてしないのに。

「ゆっくり召し上がれ」

「周は食べないのか」

「君のために買ってきたんだ。気にしないで」

その言葉に甘えて、艶々でどっしりとした羊羹に手を伸ばす。客の前で食べだり飲んだりしてはいけないけれど、今は別だ。だって目の前には俺のためだけに用意された甘味がたくさんあるんだから。

ゆっくりと羊羹に歯を立てる。上品な甘さが舌の上に広がり、思わずぎゅっと目を閉じた。

ああ。これは美味しい。

「気に入った?」

「とても。すごく美味しい」

「それはよかった」

滅多に食べられない高級老舗の和菓子に舌鼓を打ち、次は珍しい洋菓子に手を伸ばす。こちも同じくらい美味しい。

いけない、このままだと甘味のない生活に戻れなくなる。それほどまでに周の持ってきた菓子は美味しかった。

「俺を餌付けして、どうするつもりだ?」

「餌付け?」

「そうだ。こんな、俺の喜ぶことばかりして」

辛うじて口元を隠すことは忘れず、しかし腑抜けた顔は見せないようにと眉間に皺を寄せていたら。

なぜか、周はおかしそうに笑った。

「な、なんだよ」

「いいや。どうしようかな、と今更思ってしまって」

「下心もなかったのか。貴方、悪い陰間や遊女にぼったくられるぞ」

「うん、だから、君でよかった」

「……っ」

頼むから。そんな、心の底から幸せだと言わんばかりの顔で笑わないで欲しい。俺のことしか考えていないというようなことを、言わないで欲しい。

じゃないと期待してしまう。もしかしたら、周は本当に俺の事を思ってくれているんじゃないか、って。百日後の先にあるかもしれない、二人の未来を考えてしまう。

(そんなの、期待しても意味ないのに)

周の瞳と同じ色をした金平糖を口に運ぶ。がりりと噛み砕くと、やっぱり胸焼けするほど甘くて甘くてしょうがなかった。

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