第14話 神様のいない場所

 全ての説明を終えて、稽古場を後にする。何とか全員を引き込めたがここからが大変だ。彼らにもプロレスを教えなければいけない。時間は本当に限られている。


「無事に帰れるとは思いませんでした。生きてるって素晴らしい」

 手を組んで空に祈りを捧げている。マリアの目尻は濡れていた。

「だから言っただろ。やればなんとかなるんだよ」

「確証なんてなかったくせに」

 暗い目で見つめてくる。一時は生命の危機を覚えたのだから当たり前の反応だ。

「でもどうして彼らを選んだんですか。上位ランカーにも話ができたのに」

「そもそも話に乗ってこないよ。充分稼げているし、こっちにくる旨みが少ないからな」

 説得する成功率が高いというのもあるが、追いつめられている人間の爆発力に賭けたかったのだ。

 目的を叶えるために抵抗なくプロレスを受け入れるだろう。実際あの中にはかなり積極的な人間もいた。


「でも純粋な実力が足りないんじゃ」

「いいんだよ。観客を喜ばせてくれればな。俺たちのプロレスは勝敗を競うものじゃない」

 世界最強だとしても観客を呼べなければ意味がない。満足させることができなきゃどうしようもない。それがこの世界でやるプロレスだ。

「実力が低くても強く見せることはできるからな。五の力しかないレスラーを九にも、十にも見せる。レスラーの腕の見せどころだよ」

 初めて試合をしたときも一端の試合ができたのは、師匠のおかげだった。しっかりと試合をリードし、見せ場を作ってくれた。当時は夢中だったから気づかなかったが、慣れていくに連れて、技術の高さを改めて思い知らされている。

「悪かったな。お前にもかなり無茶させたよ。もし向こうをクビになったら、うちで雇うからよ」

「構いませんよ。それより席を用意してください。必ず観に行きますから」

「お安い御用だ。特等席を用意してやるよ。最高の舞台のな」

 マリアには世話になってばかりいる。今日のこともそうだし、読み書きも彼女に教わっているのだ。できることは何でもしてやりたいが、困ったことにまた借りを作ってしまう。


「実はもう一つお前に頼みがある。もっと勇者のことが知りたいんだが、詳しく教えてくれないか」

 この世界を知るには勇者と魔王のことを調べるのが一番だ。プロレスに使えるものがあるかもしれない。

 マリアの通う学園は勇者のパーティーにいた一人が設立したと言っていた。専門的な授業も受けているし、勇者に対する資料も多いだろう。アルコたちよりも詳しいはずだ。

「それほど変わらないと思いますけど。勇者と魔王の伝説は知れ渡っていますから。ああ、でも」

 言葉を切って言い淀む。ほんの一瞬だけ影が差したような暗い表情を浮かべた。


「何か知ってるのか? 何でもいいから教えてくれ」

「ただのお伽話みたいなものですよ。私の祖母はここから離れた村に住んでたんですけど、そこで勇者を助けたと言ってました」

「本当かよ。詳しく教えてくれ」

 思わず興奮してしまう。世界を救った勇者とかなり近い関係者だ。

「別に珍しいことじゃありません。この手の話は沢山あるんです」

 勇者が大々的に皆の前に姿を現した日はどの本や伝説でも同じである。魔王軍と素手で戦ったことは大勢の人間が証言しており、間違いないことだった。

 ところがそこに至るまでの記録ははっきりしないのだ。勇者自身も素性を一切話さなかったので、謎が謎を呼び、いくつもの説や逸話が作られ、今も増え続けている。


「だから祖母の話も数ある物語の一つにすぎません。面白くなんてないですよ」

 酷く悲しそうに微笑む。とても大切な思い出話。宝石のように輝く物語は、誰かに話したところで馬鹿にされるもの。愚にも付かないと切って捨てられたこともあっただろう。同じような話は世界中どこにでもあるのだから。

 祖母のことを語るマリアはとても優しい声音だった。この家族想いの少女にとって、どれだけ辛いことだったろうか。

「だったらますます聞きたいな。面白いかどうかを判断するのは俺だからな」

 プロレスも同じだ。一般的に面白くない試合も自分には刺さるときがある。受け取る側がどう感じるかはわからないものだ。何よりも今は純粋に彼女の口から話を聞きたかった。

「わかりました。少し長くなりますよ」

 断っても無駄だと悟ったのか、マリアは静かに語り出した。


 マリアの祖母は戦の神を祀る神殿が建てられた村に住んでいた。村の者の信仰は厚く、彼女も神官の一人だった。日に日に魔王軍の侵攻が激化するなか、村の外れで倒れていた勇者を発見した。酷い怪我を負っていたが彼女の献身的な介護によって、すぐに力を取り戻したのである。

 その後、勇者は世界を救うために一人で村を旅立ったのだ。


「祖母は神が使わしてくれたと信じてました。祈りを聞き届けてくれたんだって」

「どんな神様なんだ。勇者を呼び寄せるぐらいだ。かなり有名なんだろ?」

 まだこの世界にそれほど経っていないが、小次郎は神様の名前を聞いたことがなかった。現代でいう仏様やゼウスなどは小次郎だって知っている。

 人々が共通認識でわかる存在。この世界にはそういうものがないのだ。だが教会はちゃんと存在しており、神官もいる。では祀られているのは誰か。語るまでもないことである。


「もう誰も覚えていませんよ。戦いや勝利を司る神の悉くは、魔王によって滅ぼされてしまったんです」

 戦火の中で祈るべき神が滅ぼされたとき、自然と祈るのは勇者だけになる。加護も力もくれない神に祈るくらいなら、自分たちを助けてくれる勇者に祈れ。人々の願いと希望を一身に集めながら、勇者は巨大な魔王軍と戦い続けた。いつしか人々の頭から神の名は消えていく。


『勇者サントリアと魔王ジャンバル』

 残ったのは世界を滅ぼしかけた魔王と、世界を救った勇者だけだ。

 この世界ではどの種族も勇者の名を知らない者はいなかった。教科書に載るなんていう次元じゃない。現代では宗教や地域によって神は違うかもしれないが、神という認識だけはどの場所でも存在する。いわばそういう類のもの。

 勇者の名前は神という概念に近い。人でありながら神の如き存在になったのだ。


「なるほど。そりゃ驚かれるわな」

 名前を知らないくらいでどうしてあんな反応をされたのか。今なら充分納得できる。小次郎が同じ立場なら似たような反応をしただろう。

「神の信仰が深い村も全て滅ぼされました。当時の名残を残すものはほとんどありません。祖母たちは何とか避難できましたけど」

「ああ、もういいよ。それ以上は話さなくていい」

 暗い方向へ向かいそうになったので話を打ち切る。勇者の研究はマリアには辛いことかもしれない。できれば彼女にも協力してもらおうと思ったが、無理をさせてまで巻き込むつもりはなかった。やるならやはり面白くなければいけない。

「心配いりませんよ。そもそも私は勇者に縁の深い学園に通っているんですよ。これぐらいで落ち込んだりはしません」

 小次郎の考えを察したのか、くすりと小さく笑う。本当に気にしている様子は見られない。


「それに私も知りたいんです。小次郎さんの視点で見た勇者と魔王を。プロレスのときと同じで新しい発見になるかもしれないから」

「あまり期待に添えるとは思えないがな。万年赤点男を舐めるなよ」

 プロレスならばともかく学術的なものは無理だと思えた。頭脳は全てプロレスに費やされている。両親や教師からも呆れられていた。


 何にせよまたやることが増えてしまったが、これも自分に繋がることである。手を抜く訳にはいかなかった。

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