第30話

行武の呼びかけは、夷族の陣営に届く。




 どっかりと丸太の上に腰掛けた軽部麻呂は、城柵から老武者が従者1名を連れて出たことを既に報告されていたが、まさか正面から呼びかけてくるとは考えておらず、思わず笑みがこぼれた。


 他人を頼り切りにして自分で何事もなさず、最後は逃げ回った朝廷の郡司や国司とは全く違う人物が、その朝廷からやって来たことに軽部麻呂は感慨深いものを感じる。


 夷族はかつて10氏族を数え、その勢威は朝廷は疎か隣国にまで届いていた。




 しかし今や支配される者としての夷族は、弱く儚い。




 辛うじて氏族の繋がりを保ち得た自分が主導して反乱を起こしはしたものの、やはり決定的な戦力差は埋まらない。


 そしてそれは人材にしても然り。


 あの罪悪にまみれているとばかり思っていた朝廷から、まさかかつてこの地を征服した氏族の者が出てくるとは思わなかった。


 とっくに力を失い滅びた氏族だと考えていた者が未だ残り、事が起これば起用されて対処にあたることの出来る朝廷の底の深さと懐の広さに、改めて軽部麻呂は畏敬の念を抱く。


 視線を落とした前に、小さな青い色の花が咲いていることに軽部麻呂は気付いた。


 朝花を咲かせ、午後にはしぼんでしまう露草の花だ。


 そしてその花に手を触れてから、丸太から立ち上がると、こちらにやって来る老武者を見据えた。




「うん?」




 その軽部麻呂の目に飛び込んできたのは老武者の兜、そしてその雉尾羽の根元に咲く1輪の青い花。


 自分が今し方目を落として見つけたのと同じ、露草の花だ。


 殺伐とした戦場に似付かわしくない風流な振る舞いに、何とも言えないおかしみを感じた軽部麻呂は言う。




「ふっ……あの爺と話をしてみよう」


「族長!危険だ!」


「朝廷はウソツキだ!騙し討ちにするつもりに違いない!」




 族民達が口々に軽部麻呂を諫めるが、軽部麻呂はにやりと不敵な笑みを浮かべて言う。




「心配するな……あいつの率いて来た国兵は夷族に連なる者ばかりで、しかも戦いを仕掛ける心積りは端から無いようだからな、それに城柵からあれ程離れている原っぱだ、いかにも騙し討ちは出来んだろうよ」


「しかし……」




 尚も心配そうな族民達であるが、彼らもこのまま反乱を続けていても将来が無い事は承知している。


 この地より更に北へ逃げようにも、そこには別の民族である八威族はいぞくが縄張りを広く構えているのだ。


 彼らは夷族が従う朝廷よりも容赦が無い上に野蛮であるので、北への逃亡は無理。


 最初は国司の過酷な徴税に対する抗議活動のつもりで行った逃散と反抗。


 ただ国司である硯石為高すずりいしのためたかの対応のまずさ、つまりは女子供に対する虐待や殺害、拉致、村落の焼き討ちなどで反抗心が各村落に広がり、遂には大規模な反乱となってしまったのだ。




 彼らとしては、軽部麻呂という指導者がいたにしてもここまで事を大きくするつもりは無かった。


 しかしながら、終わらせ方を全く考えていなかったのも事実である。


 そのままの勢いで国衙院を攻めたものの、広浜国の南部に勢力を持つ臣民発祥の武民や大農民達が次は自分達の土地や財物が襲われ奪われると危機感を持ったことから国司の応援に駆けつけ、軽部麻呂達夷族の反乱軍は敗退した。




 その後、武民達も自分達の勢力圏に関わりがなくなったことと、国司が約束を守らなかったということで兵を収めてしまったので、国司と夷族の睨み合いの状態に戻ってしまったのだ。


 どこかで落とし所を探らねばならない。


 軽部麻呂には征討軍が到着してからこの数か月、梓弓行武と名乗る征討軍少将の行動を色々見てきたが、まず間違いなく彼の者は戦に討って出る気は無いと見て取ったのだ。




 征討軍を構成する国兵は、その実帰郷出来ずにいた納税人足達であること。


 梓弓一族が落魄貴族である事。


 梓弓行武少将が都の高位貴族から疎まれていること。


 その様な情報を国兵となっている夷族の何人かから聞き出すことが出来ている。


 加えて梓弓行武が“あの”梓弓であれば、間違いは起こさないだろう。




「分かった!話をしよう!こっちへ来い!」
















「征討軍少将の梓弓行武じゃ、供は一名のみ。通るぞ?」


「……ああ」




 行武は殺気立つ夷族の戦士達の中を、怯える雪麻呂を励ましながら進む。


 片刃の刀を持ち、四角い木製の盾を構え、毛皮や厚手の生布で拵こしらえた前袷の衣服を身に付け、木を組み合わせた短弓を装備している。


 弓に番えられた太い柄を持つ矢。




 その鏃は金属とは異なる、黒い光沢を持っている。


 人々の視線にはきつい光があり、そのほぼ全てが行武や雪麻呂を険のある目付きでじっと見つめて来る。


 陣には壮年の男に限らず、女や老人、子供まで交じっており、夷族総出での反乱である事が知れた。


 何とも言えない居心地の悪さを感じる雪麻呂とは対照的に、行武は背筋を伸ばし、老人とは思えない力強さでずんずんと歩いて行く。




「お、女の人もいますね……」


「……仕方なかろう、村や集落に置いておっては、国司に襲われて掠われるのじゃ、一緒につれて歩く他無い」




 雪麻呂の言葉に、行武は苦々しい様子で答える。


 その答えに驚く雪麻呂。


 雪麻呂は女性や老人が混じっていることに対し、朝廷に従った自分達とは異なる、同じ夷族でも違う生活様式や文化を持っていると単純に驚いただけだったが、行武は違った。




 夷族は勇猛ではあるが、理の通らない者達では無い事を知っているからである。


 その彼らがなぜ、わざわざ身体の弱い女子供や老人までをも軍人に帯同させているかに思い至ったのだ。


 国司である硯石為高の暴虐が、彼らの行動を縛っている。


 見れば顔色の悪い女子供や老人達が随分といる。




「これは難儀じゃわい……用意させた分で足りるかのう」




 そうつぶやく行武は、周囲を見回すことを止め、正面を見据える。


 この夷族達を救わねばならない。


 彼らが困窮し、反乱に追い込まれてしまったのは、50年前に朝廷の支配下へ入るよう導いた自分の責任でもある。


 その責任を最後まで果たせなかったのは、不甲斐なくも自分がつまらない政争に巻き込まれた挙げ句に破れ、朝廷からほぼ追放されたからだ。




 大叔父から託された夷族に関する事業を全う出来ず、東先道を逐われた行武。




 その後悔も、今日までのこと。


 この好機を生かし、東先道の正常化と朝廷の是正を成し遂げるのだ。


 密かに思いを強くしながら、行武と雪麻呂が露をたっぷりまとった草をかき分け、湿った土を踏み、夷族の陣の奥へと進むと、やがて少し開けた場所へ出た。


 その左右に夷族の勇者と思われる戦士達が居並ぶ中、中央には黒熊の毛皮をまとい、真っ黒な髭と髪を伸ばし放題にしている大男が丸太にどっかりと座っている。




「おう、お初に目に掛かる、征討軍少将の梓弓行武と申す者じゃ」


「……広浜夷族ひろはまいぞくの長、軽部麻呂かるべまろだ」




 傲然と言い放つ軽部麻呂の前に進み出ると、行武は口を開く。




「もう終わりにせぬか?」




 軽部麻呂の周囲に居並んでいた戦士達の殺気が膨れ上がる。


 雪麻呂はその気配に当てられて腰を抜かさんばかりに驚いているが、行武は涼しい顔で言葉を継いだ。




「最早これまでぞ?既に乱が3年に及んでいることは聞き及んでいるが、お主らももう色々と保つまい?」




 行武の言葉に反論は無く、殺気のみが膨れ上がる。


 行武が言わんとしていることに、全員が思い至っているのだ。


 かつて狩猟採取を主体で生活していた夷族。


 しかし朝廷支配の元で農事に携わるようになり、人口が爆発的に増えたのだ。


 老人子供の栄養事情が良くなり、寿命が延びて子供は死ににくくなった。


 その結果、もう農業無しでは夷族も人口を支えきれなくなっていたのである。




「見れば老人や女子供は疲弊しておるようじゃし、病人も居るじゃろう……メシも満足に食えておらぬのではないか?」


「だ、誰のせいでこうなったと思っている!」




 戦士の1人が耐えかねたように叫ぶ。


 それに続いて恨み辛みや悪口雑言の類いが次々と行武に投げつけられた。




「はっきり言ってやる!朝廷のせいだぞ!ふざけんな」


「俺の子供達は……税金のカタに連れ去られちまったよ!」


「逃げる以外に何が出来るってんだ!」


「作っても、狩っても、みんな持って行っちまう!どうやって生きていけば良いんだ!」


「朝廷の使い走りは死ね!」


「何が大王だ!大王や朝廷は俺たちから奪うだけだ!」




行武が微動だにせずその言葉を聞いていると、軽部麻呂が場を制した。




「静かにしろ」




 そして戦士達が興奮冷めやらぬままではあるものの、一応口をつぐんだことを確認してから、軽部麻呂はゆっくりと発言する。




「朝廷は南へ帰れ……帰らねば、朝廷の息の掛かった者共は全て殺す」




 その言葉を発した軽部麻呂のきつい目を正面から見据え、行武が反駁する。




「帰らぬ。わしが帰れば今度こそ朝廷の大軍がやって来ることになろう。そうなればお主らは言うに及ばず、夷族は皆殺しじゃ」




 殺気のこもった軽部麻呂の言葉に対して、行武はごく自然な言葉遣いで返答する。


 しかし、かえってそれが真実味を増すことになった。


 行武の放った台詞の内容に、叛徒となった夷族の面々はざわつく。


 確かに征討軍と言いながら行武の率いてきた国兵は僅か500名で、しかも周囲の制圧を進めるどころか、新たに城柵を設けた以外に何もしていない。


 征討軍としてやったことと言えば、周辺に斥候を放っているぐらいである。


 叛徒の主立った者達が話し合いを続ける中、立ち止まった行武の口から更に言葉が発せられる。




「わしがしくじった後にやって来る征討軍は、わしのように悠長では無いじゃろう」


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