第28話

鳴神月30日早朝、梓弓城柵東側、丘へと続く森の中




 雨の続く毎日の中、ようやくのぞいた日が朝靄の中に光を差し入れる。


 たっぷり雨露を含んだ草むらや森の葉と土を踏みしだき、多勢が動く。


 大地に含まれた水や葉に付いた水滴がその者達の袴の裾を濡らす。


 濃い靄が人影に沿って動き、人いきれが静かな朝に重なった。




 彼らは北の大地に溶け込み暮らす夷族。




 古の昔より瑞穂国の北に位置する大地の主だ。




 木の皮から布を作り、獣皮をなめして衣服とし、片刃の強靱な刀を帯び、身体頑健にして毛深く、彫り込んだようないかつい顔付きでありながら、情を知る民。


 黒髪を後ろに長く伸ばし、部族特有の紋様を折り込んだ鉢巻で留め、その誇りを示す。


 木を組み合わせた強力な短弓で、黒くきらめく石の鏃を放ち、狩りの際には鏃に毒を塗って使う。


 鮭や鱒などの北の大魚を捕り、熊、猪、鹿など大型獣を狩って生業となし、それらをもって丸木舟で北や南へ自在に航海し、交易を為す。




 今でこそその大半が農業に従事しているが、その傍らで古来よりの漁労や狩猟も絶やすこと無く行っているのが現在の彼らだ。


 50年前に朝廷の征討軍に降り、それ以降は穏やかな民として朝廷の支配下にあった彼らは、本来荒ぶる民として名を馳せていたのである。




 長年にわたる苛政で、その誇り高き荒ぶる民がとうとう目を覚ましたのだ。










「……軽部麻呂様、見えて参りました」




 先行する戦士が素早く駆け戻ってくると、後発組に混じって移動していた軽部麻呂が顔を上げる。


 熊皮を身にまとい、大剣を腰に差した周囲の大柄な戦士達より更に頭一つ抜け出た大男。


 眉は太く、目は大きく、鼻梁がくっきりと浮き出た鼻下には、顎からこめかみまで一体化した髭が黒々と生えている。


 そして朝靄の中、森の切れ目から遠望する先にどっしりと構えられた、行武の造営した梓弓城柵を見てにやりと口を歪めた。




「ほう……なかなかどうして急造とは見えん立派な砦だ」


「大長おおおさ、本当に“あの”梓弓でしょうか?」




 軽部麻呂の言葉に、戦士の1人が顔をしかめて問うと、軽部麻呂はその厳ついヒゲ面を再びにやりと歪めて言葉を発した。




「それを今から確かめる、怖じ気付くな」




 静かに、それでいて威厳を含んだ低い声で発せられた軽部麻呂の言葉。 


 それと共に、周囲の森や藪の中から沸き立つように戦士達が立ち上がる。


 後方には短弓や投石具を手にした女子供、老人が続いた。




「いくぞ」




 そう端的に言うと、軽部麻呂は腰の大剣を押さえて立ち上がり、草をかき分け、水をはじき飛ばしながら歩みを再開させる。


 付き従う夷族の武闘集団は、声を発すること無くその指揮に従って動き出すのだった。














 一方の梓弓城柵は、叛徒が迫っているとは知らないままに、朝から慌ただしく動き出していた。




 行武以下の国兵が完全武装で配置に就き、製造されたばかりの弩砲に大矢が番つがえられる。


 大弓を持った国兵が2つ3つと矢のたっぷり詰まった箙えびらを担いで駆け回り、開かれていた丸太製の門が閉じられ、更に閂を掛けられた。


 その合間を矢をたっぷり詰めた矢筒や叺に入った投げ石を持つツマグロやスジクロら浮塵子の子供達が走り回る。




「急げ!」


「……配置に就け!」


「子供達は武具を置いたら砦へ入れ!」




 本楯弘光が怒声を放ち、武鎗重光が叱咤激励して走り回る兵を鼓舞する。




「貴重品や不要品は倉庫へしまうのです!」


「食料庫と武具庫の鍵と扉は開いておいて下さい!」




 続いて財部是安と畦造少彦が、納税人足達を使って城柵内の整理整頓と、物品の移動を指揮する。


 特に何があったというわけではないのだが、行武はこの前日から周辺への斥候の派遣を取り止め、急遽戦の準備を始めさせていた。


 怪訝な顔でその理由を問う是安や山下麻呂に、行武は一本雉尾羽の兜に短甲を身に付けた完全装備の姿で梓弓城柵の備えを見て回る。




 未だ自分達が何のために動いているのかよく分かっていない国兵や納税人足、そして流民達であったが、行武が完全武装で動き回っている姿を目にして、腑に落ち無いながらも自分の役目を果たそうと動いていた。


 そんな城柵の者達の姿を見て苦笑を浮かべつつ、鹿革の手袋を填めた手で顎髭を扱きながら行武が告げる。




「戦の気配よ、気配がするのじゃよ」


「はあ……」


「なんじゃそりゃ?」




 要領を得ない答えだったが、是安は一応納得してその場を去り、山下麻呂は内心の冷や汗と叫びを何とか隠してそう言うと、首を捻る真似をしつつ作業へと戻る。


 そんな2人の背中を見送ってから、行武は北東の方向を見る。


 行武が見るに付け、その方角からの戦雲が垂れ込めているのだ。




「まあ、杞憂に終われば良いが、残念ながらこの手の勘は外したことが無いのでのう」




 行武はそうつぶやくと、歩みを再開する。


 殺気立って走り回る国兵の合間を縫い、周辺の防備状況や門の状態を確認しつつ楼台へと向かう行武に、軍監の薬研和人やげんのにぎひとと玄墨久秀くろすみひさひでが追いついてきた。


 見れば和人は短甲に兜を被り、その肩には軍監の印布しるしぬのを付けた武装姿であるものの、久秀は印布こそ付けているが平服姿だ。




「玄墨軍監、斯様な姿では危険じゃぞ」


「……ご心配なく、私は征討軍少将の芳心を聞いた後に砦へ引き籠もります故」




 皮肉を真顔で受け流す久秀だったが、その身体が僅かに震えているのを見逃さず、行武は鼻を鳴らしてから口を開く。




「まあ、わしの勘じゃが、夷族の者共が近いわい。故に備えさせておる」


「……物見は如何した?」


「とうの昔に出しておるわ」




 久秀の言につっけんどんに答えた行武は、和人を見て笑みを浮かべる。




「何じゃ?」


「いや、似合うておるぞ」


「戯れ言を申すな、甲こうなど40年以上付けておらぬ」




 軍監であるからには当然の格好だが、余り武張った格好を好んでいなかったので、今更ながら武装したことに行武は面白味を感じたのだ。


 しかし、緊張のあまりそんな行武の様子を感じ取れなかったのか、和人は少し硬い表情と声色で呼びかけてくる。




「しかし急にどうしたのじゃ、行武よ」


「おう、薬のことかの?」




 声を掛けられて応じた行武に、完全武装の和人が言葉を継ぐ。




「そうじゃ、お主の言いつけどおりに薬や薬草は十二分に用意しておいたわい……じゃが、あれで本当に良いのか?」


「何がじゃ?」


「何がでは無いじゃろう?虫下しに胃薬湯、整腸薬に軟膏、湿布、消毒薬、咳止め、痰切り、諸々じゃ。お主が言うたのは戦では物の役に立たぬ病疫用の薬が主な物じゃぞ」




 行武の問い返しに、和人は要領を得ないとばかりに言う。


 確かに、縫合糸や酒精、創膏や包帯、手巾、手術刀など、戦場での治療具や治療薬は一切用意されていない。


 行武が用意させたのは、どちらかと言えば老人子供、そして病人に必要な薬ばかりだ。




「それで良いのじゃ」


「……よく分からん」




 行武の自信たっぷりな言葉に、和人は首を捻って言うと、それ以上の追及をあきらめてその後を追う。


やがて2人は楼台に取り付き、行武を先頭に登り始める。




「おう!よっこらせい!」




 勇ましくもいささか情け無い掛け声を上げながら梯子を登る行武。


 和人も続くが、それまで無言で従って来ていた久秀は登ってこない。




「玄墨軍監、如何した?」


「……手立てがあるというのであればそれで構わない、私はこの辺で失礼する」




 行武が訝しげに問うと、久秀はそれだけ答えてさっと踵を返した。




「何じゃ吾奴」




 行武が拍子抜けた様子で声を上げると、和人が苦笑を交えて答える。




「……さてのう、臆病風にでも吹かれたか、そんなタマではないと思うが」




 そうは言ったものの、和人には久秀が明らかに臆病風に吹かれていることが分かった。


 戦など見たことも聞いたことも無い若い文人貴族である久秀は、今回のことも貧乏くじを引かされてしまっただけのことで、本人たっての希望では無い。


 今までは口うるさく意見を出してきていたが、事ここに至って明確な敵が現れ、戦いの気配を初めて感じると腰が退けてしまったのだ。




「ふん、まあ、あれだけ若ければ今の生ぬるく甘っちょろい朝廷しか知るまい。仕方ないことじゃが、不甲斐ないの」


「まあ、余り責めてやるな」




 そうして砦で最も高い見張り台を兼ねた楼台に上がった行武は、森と平原の狭間を見て目を細める。


 朝靄でよく分からないが、確かに人の気配が感じられる。


 根気よくその周辺を眺める行武に、和人は黙ってその背中を見つめていた。


 和人が大人しく行武の言うことを聞いているのは、この武人貴族の勘が並外れた物であり、まず間違いが無い事を知っているからである。




 そして余り周囲に自分の感じたことの内容を話さないのも、今に始まったことではないからだ。


 和人がしばらくそうして黙っていると、行武の動きが止まった。




「どうしたのじゃ?」




 その様子を訝り問う和人に、行武は簡素に答える。




「うむ、来おった。やはりおったのう」


「来おったじゃと?」




 行武の回答に、怪訝な顔のままで更に問う和人。


 行武は黙ったまま一角を指さすが、和人には朝靄と朝日が森の影と混じり合って、何があるのか見ることが出来ない。




「誰かおるのか?」


「おう、そうじゃ。夷族の者共よ……ようやく集まってきおったわい」




 行武がつぶやき兜の目庇に右手をかざして見た先、梓弓城柵の東側の小高い丘へと続くなだらかな坂。


 その坂の始まりにあたる針葉樹林が丁度切れた場所に、蓬髪に髭を濃くたくわえ獣衣を纏う人の群れがあった。


 手に棍棒や木槍、刀や剣、粗末な狩猟用の弓や木盾を持ち集まっているその数は、ざっと見ても2000人を下らない。


 森の中におそらく居るであろう女子供達を含めれば、3000人から4000人にもなろう夷族の大集団だ。




「お、おお……夷族じゃ!」




 その突如現れたような夷族の光景に驚く和人だが、行武は慌てていない。


 それもそのはず、夷族の気配を感じて配下の者達に準備させていたのは、他ならぬ行武なのだ。




「ふむ、思ったよりは少しばかり早かったのう……」


「どうするんじゃ?」




 行武の後から楼台へと上ってきた軍監の薬研和人やげんのにぎひとが、声をわずかに震わせながら問い掛ける。


 行武はにんまりと笑みを浮かべてから視線を夷族達へと戻す。


 夷族の戦士達はばらばらと森から出て来ては、戦列を組み始めている。


 その後方には弓矢を持った女子供や老人が続いており、どうやら戦士のみならず、部族全員で梓弓城柵に対峙するつもりである事が知れた。


 行武は相手の出方を確認し終えると、視線はそのままに和人に答える。




「……どうもこうもないじゃろ。こうも厳しく囲まれてしまっては、うかつな手立てはとれぬわい」


「しかし、お主、手立てはあるような素振りであったが?」




 常に自信満々の様子で“夷族の反乱はわしに任せておけ”などと豪語している行武の態度を指摘し、和人がそう言うと、行武は天を仰いで大笑いする。




「あーっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」


「わ、笑い事では無いぞ!」




 慌てて和人が言い募る。


 あの言葉が全くのはったりであったのかと慌てたのだ。


 しかし行武はそんな和人の鎧の肩を、鹿革の手袋で覆われた手で叩いて言う。




「くくく、まあそうじゃ、心配ない故にわしに任せておけ。ただ、まだ舞台上に全員が揃っておらぬから、もうしばらく待たねばならぬ」


「全員とな?」




 和人の疑問に、行武は頷く。




「おう、是安と少彦、それから弘光と重光を連れて行くわい」


「どこへじゃ?」


「取り敢えず、倉庫じゃなあ」


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