パジリムの王国

きなり

第1話

わたし

「人生で絶望した瞬間は?」今までこの質問をされたことは一度もないが、もしされたとしたら答えは決まっている。「二十歳になったときです。」これが答えだ。軽い絶望なら七歳のクリスマスと十二歳誕生日のときにもしたが、まだ少しばかり希望を持ててはいたので、正確な絶望は二十歳になったときだ。それぞれの理由を説明すると、七歳はたまたま夜中に目が覚めてしまい、クリスマスにプレゼントを置いていくのがサンタクロースではなかったと知ったから。十二歳の誕生日は自分にホグワーツからの手紙はもうこないとわかったからである。それでもまだこの時までは自分が子供の年齢であるからまだ何かしらの希望はあると思っていた。

 しかし二十歳は違うのだ。大人と子供を分ける確かな日であり、記念すべき日である。私の誕生日もせっかくだからと言って、幼馴染がカウトダウンとお祝いをしにきてくれた。日付が変わる瞬間にカウントダウンをして、楽しくお祝いしたし、おめでとうと言われるのは嬉しかった。それでも一人になると絶望の時間が戻ってきて、ベットに入ったあとこっそり少しだけ泣いたのだった。トトロももう見れないし、ネバーランドにも行けない。今の生活が変わるわけでもないし、何か困ることがあるわけではない。それでも大人になってしまったというのは私にとってはあまりにも辛い出来事で、まさしく絶望だったのだ。

 それでも結局私は今日も健康で元気に毎日を生きている。絶望している間も世界は動きを止めてはくれなかったので、私も毎日を進めていくしかなかった。現在二十二歳の大学四年生、二十歳からの二年間は、自分の将来と向き合わざるを得なくて、正直魔法についてのことで絶望している暇はなかったし、そんなこと人にも言えない。魔法に出会うことができないなら死ぬ!というほどの情熱的な人間ではないので、これから先生きていくために、世の中の多くの人がしているように私も就職活動に向き合っていったのだ。


 そんな私が、また魔法の世界へ引きずりこまれていったのは、二十二歳になってすぐ、夏の始まりの頃、就職先が決定したばかりの時だった。

 運良く第一希望だった出版社に内定をもらえて、就職がきまり、就職活動を終えることに対する喜びを胸いっぱいに抱えながら家で本を読んでいた。就職活動中も気になる本があればすぐに買っていたので、読んでいない本が沢山あったのだ。久々に本に触れ、感触や匂いを噛み締める、心から幸せな瞬間だ。そのままひたすら本を読み続けた。

 新しい本を沢山味わい、本というものの良さにふれた後は、どうしても何度も読んだお気に入りの物語を読み返したくなることがあると思う。やっぱりこの本は素敵だと再確認したくなるのではないだろうか。私も例外なくお気に入りの本を読みたくなり、本棚と端から小さい頃からお気に入りの児童書を取り出した。子供たちと教授が私たちが住む世界とは違う素晴らしい世界を冒険する話で、想像してもらいたいという作者の意向で挿絵が1つもない本だった。ページを開くたびに、幼いころに想像して絵を描いたのであろう登場人物や不思議な生き物が描かれた紙きれが挟まれている。どれも上手くはないけれど、とっても可愛くて自分のことながら頬が緩む。今読んでいても同じような姿を想像したものもあれば、違う姿を想像したものもあって、また絵にしてみようかななんて思った。読み進んでいくとだんだんと絵が減っていくのは、物語に夢中になりすぎて描くてが止まってしまったのだろうか。それともただただ絵を描くのが飽きてしまっただけだろうか。ページを進めながらそんなことを考えたが、今の私もいつのまにか考えることやめて物語の世界へ潜り込んでいった。

 

 想像して絵をかいていたあの頃から変わらず、私は魔法も不思議な世界も好きだ。物語の世界から帰ってきた後の心の高揚、あたたかくなる気持ちや、踊りだしたくなる気持ち、止まらない想像、他の何物にも代えがたい。正直な話、魔法があることも、ネバーランドやトトロも今も信じている。大人になるにつれてそれを口に出すと、生きにくくなってしまうことを学んできたので口には出さないが信じている。だってそれが嘘だなんてだれが証明できるというのだろうか。もしかしたら本や映画に出てくる容姿や内容とは違うかもしれない。けれど魔法自体を否定できることではないと思うし、もし本当にハリーポッターやメンインブラックのように目にしてしまっても記憶を消されていたり、証拠隠滅をしているのかもしれないではないか。真実は誰にもわからないのだから、信じるも信じないもその人の勝手だと思う。少なくとも信じている人を馬鹿にする権利は誰にもないし、子供のときの信じていないほうが現実的でカッコイイなんていう風潮は本当にどうにか変えていく必要があると思う。それぞれが自分の信じるものを信じていられる世界がいい。魅力的な物語に出会うといつもそう強く思う。でもそれと同時に、思うだけで声を上げる勇気はない自分自身に、やっぱり主人公タイプではないんだろうなと少しだけ嫌になる。私は一人静かに魔法を信じているだけなのだ。

 お気にいりの児童書を読み終わった私は、いつものように魔法や不思議な世界について考えた。年を重ねるにつれて楽しくてワクワクするものだった魔法や不思議な世界が、世の中への不満も一緒に出てくるようになってしまった。そしていつも最後にはこの思いが生まれる。それは「この年になってもまだ心から魔法を信じているのだから、少しくらい魔法界からのご褒美があってもいいのではないか」ということだ。魔法界が信じていることを良いこととしているかは知らないが、子供のころに魔法を信じているよりも、大人になっても信じてる今の方がすごいはずだ。それなのにネバーランドには子供しか行けない、魔法や不思議な世界やものを目にできるのが子供だけなんて不公平だ。今すぐとは言わない。いつか、いつかでいいからこの魔法への思いが報われる時が来てほしい。私は毎度、本当に強くそう願っていた。

 

 そしてこの思いは、想像よりずっと早く報われることになるのだ。

 

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