5章 ラビィと妖獣と氷狼(3)

 二人の視線を覚えながら、ラビは泣き顔を見られないよう袖で涙を拭った。まるで言い負かされたようで悔しくて、テーブルの上を睨みつける。


「……もう放っておいてよ。ノエルがいれば平気だもん。誰にも見えなくったって、オレはノエルが存在しているって知ってるからッ」


 その時、ラビは人混みの中から『ラビィ!』と上がる声を聞いた。


 驚いて立ち上がると、漆黒の毛並みを乱して駆け寄ってくるノエルの姿があった。彼がラビの名前をきちんと呼ぶのは珍しく、大抵はひどく動揺している事が多い。


 ラビは慌てて人混みをかき分け、ノエルに駆け寄った。


『ちょっとヤバい事が――、おい、どうした? また人間に泣かされたのか? それとも、どこか痛いのか?』

「えッ。いやいや、違うよ。ちょっと目に埃が入っただけ」


 ラビが咄嗟に言い訳すると、彼は『ふうん?』と不可解そうに首を捻ったが、すぐにハッとして捲くし立てた。


『ッじゃなくてだな。氷狼が群れで向かって来る! とりあえず【月の石】の在り処が分かったから、それを人間に任せたら、俺達はすぐにでも氷狼のところに向かおうッ』


 ノエルは言い終わらないうちに、ラビの服の袖を噛むと強引に引っ張り始めた。


「ちょッ、待ってよノエル! どこへ行くのさッ?」

『ちょうど、お前の幼馴染と眼鏡野郎もいる事だし、誘導してあの二人に【月の石】預けようぜ。氷狼は、すぐにでも町に到着するだろうから、全部の石を無効化にしている時間はねぇ。悪鬼を潰さない限り氷狼の暴動は止まらねぇし、悪鬼が見えない人間だけで氷狼を対応するのは無理だ』


 二、三匹でも苦戦するという氷狼が、数十の群れで突入してきたらどうなるのだろうと考え、ラビは青ざめた。氷狼は悪鬼に操られているから、ユリシスが言っていたように、彼らは死ぬまで止まらないだろう。


 ラビはノエルと共に駆け出しながら、こちらに駆け寄るセドリックとユリシスに気付いて、肩越しに「ついて来て!」と告げた。


 ノエルは後方の人間を何度か確認しながら、人混みをかき分けて町中を疾走した。ラビは必死で彼の後を追いかけ、セドリックとユリシスも、ラビの姿を見失うまいと後に続いた。


 町の中心地にある大きな商店の一角で、ノエルはようやく足を止めた。


 並べられた荷車の中に、黄色い石が多く混ざった石炭が乗せられた荷車があった。黄色い石は大小様々で、まるで石の中に月光が入っているように鈍く光って見えた。


「ノエル、こんなところに堂々と黄色い石が置かれてるッ」

『落ち着けよ、普通の人間にはただの石にしか見えねぇんだ。【月の石】はこれだけみてぇだから、ひとまず隔離させとけば問題ない。このままここに置いていたとして、最悪の展開で、氷狼を操っている悪鬼にみすみす取られる事態だけは避けたいから、お前の幼馴染君達に任せた方がいいって事だ』


 セドリックとユリシスが、一足遅れてラビ達に追い付いた。彼らは息を切らせつつ、石炭が詰められた荷車の前で佇むラビを不思議そうに見た。


「ラビ、一体何が――」

「この荷車に混ざっている石が、氷狼を凶暴化させているんだ」


 ラビが早口で説明を始めた時、ノエルが両耳を立てて警戒の声上げた。


『おいおいッ、氷狼が人間とおっぱじめやがったぞ! あいつらは今回で決着をつける気だ。あの群れの数じゃ、腕っ節がある人間だろうと厳しいぜ――くそッ、時間がねぇな』


 ノエルは大きく舌打ちすると、『非常事態だ、ルール違反だが使わせてもらうぜ』と呟き、【月の石】を一つくわえて、自身の強靭な歯で噛み砕いた。


 石の中から月光が弾け飛んだ瞬間、ノエルの身体が一瞬青白い光を発した。その漆黒の身体が一回り大きくなり、尾が二つに分かれ、大地を踏みしめる足先から鋭利な爪が伸びた。艶やかな漆黒の毛並みが大きく揺らぎ、毛先から細かな光りがこぼれ落ちる。


 一瞬の空白の直後、人々の悲鳴が上がった。


 ラビたちを中心に、「化け物が出た!」と周りの人々が騒いで逃げ始めた。地面にはノエルの影がハッキリと映り込み、ユリシスが驚いた拍子に尻餅をついて、セドリックが反射的に抜刀した。


 ラビは、【月の石】を使った事でノエルの姿が他人の目にもハッキリと映っているのだ、と遅れて気付いた。セドリックが素早く剣を構えたのが見えて、咄嗟にノエルの前に立ち塞がり、「ノエルを切らないで!」と叫んだ。


「時間がないからあんまり説明してやれないけど、警備棟が氷狼に襲撃されてる。オレは先にノエルと一緒に行くから、とにかくこの荷車を丸ごとお願い!」

「ちょっと待って下さいラビッ、僕には何がなんだか……ノエルって、コレが狼のノエルだというんですか!? それにあの石は一体――」


 セドリックが剣をしまいつつ、早口に畳みかけた。ユリシスが立ち上がり、ノエルを警戒するように見つめる。


 すると、ノエルが地面を強く踏みつけて『ごちゃごちゃうるせぇ!』と怒号した。


『そんな暇ねぇっつってんだろ! お前らは見分けがつかねぇんだから、【月の石】が混じっちまってる荷車ごと隔離しとけってんだよ! 氷狼を誘導している悪鬼は人間を食うんだ。あいつらが、もしそれを使って完全に実体化しちまったら、町の人間はたちどころに餌になっちまうし、食われた人間の腹からは厄介な別の鬼が産まれるんだぞ!』


 ユリシスが「化け狼が喋ってる……」と茫然と呟いた。自分の目と耳が信じられず、落ち着きなく眼鏡を掛け直す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る