5章 ラビィと妖獣と氷狼(2)

 ラビは、可能な範囲で出来るだけ答えたつもりだったが、セドリックは、まだ疑う目で彼女を見据えていた。


「ユリシスと確認しましたが、騎士団内で、あなたに協力を求められた人間はいませんでした。どこからそういう情報を入手したのかも気になるのですが」

「……えぇっと、その、動物の気持ちが分かるっていうか、考えている事が分かるというか」

「馬や鳥や猫から知れた、という事ですか? その才能があったから、狼も説得出来て、母上の様子もビアンカから聞いていたと?」


 半ば納得出来ないように、セドリックは眉根を寄せた。


 ラビが黙っていると、先に折れたとばかりにセドリックが大きく肩を落とした。珍しく冷静を欠くように髪をかき上げ、独り事のように呟く。


「動物といるあなたは、彼らとは意気投合しているように見えるから不思議です……つまり、あなたは動物の考えている事や気持ちを、まるで喋っているように正確に受信出来るんですね。ひとまずは、そういう事にしておきましょう。獣師には、うってつけの才能だと思います」


 でも、とセドリックはテーブルに視線を落として続けた。


「あなたが一人で出て行ったと聞いて、すごく心配しました。お願いですから、勝手にいなくならないで下さい」

「えっと、その……ごめん」


 ラビは、手元のコップの中の水に目を落とした。


 セドリックは騎士団の副団長として、氷狼の調査の件については、調査の段階からきちんと経過報告を知りたかったのかもしれない。ラビは、仕事を頼まれた獣師として、その点は反省した。


 報酬も発生するのだから、例えそこに嘘が含まれていたとしても、彼らが納得する形で報告はするべきだった。


 それにしても、その場合はどんな嘘を付けばいいのか。


 自分の能力や、村人たちから気味悪がられている独り言について、ラビは普段から沈黙という形で応えて来た。『普通の人間が納得するような報告』というものを作るのは難しそうだ。


 ラビが考え込んでいると、セドリックが一度席を立ち、クッキーの入った皿を持って戻って来た。彼は何も言わず、三枚のクッキーが乗った皿を彼女の方に置いた。


 彼の顔には笑顔はなかったが、どうやら怒ってはいても、クッキーは食べていいらしい。


 よく分からない幼馴染だなと思いながら、ラビはクッキーを口に運んだ。噛んだ途端、苺の風味が口に広がって驚いた。先程のミルク風味の甘いクッキーは知っていたが、果実入りのお菓子というのは初めてだ。


 この感動をノエルに伝えたくて、半分を彼にあげようかと考えて辺りを見回すが、どこにもノエルの姿は見付けられなかった。すぐに戻って来られる距離にはいないのだろう、と残念に思いながら、ノエルは残りの半分も食べた。


「――ラビ、ノエルという男についての話が、まだ終わっていませんよ」


 声を掛けられ、ラビは我に返った。


 視線を戻すと、セドリックが頬杖をついてこちらを見ていた。何故か、仕事の報告の件よりも怒っているような気がして、ラビは、すぐに答えられなかった。


 ちょうどその時、人混みから二人の姿を見付けたユリシスがやってきた。彼は、ラビが「げ」と言うのも構わず、三つ目の椅子に腰かけた。


 セドリックが話をしているのを見ていたのか、ユリシスは「状況は把握しています」と涼しい横顔で答え、ハンカチを取り出し、眼鏡の埃を拭い始めた。


「ラビ、こっちを見て下さい。一体誰なんですか、ノエルという男は。一緒のベッドに寝るぐらい心を許しているなんて――もしかして、ノエルという呼び名で秘密裏に親しくしている外の男なんですか?」

「なんでそう突っ込んで聞いてくるんだよ! しつっこいッ」


 一方的にまくしたてられ、ラビはたまらず反論した。幼馴染とはいえ、セドリックに自分の交友関係を把握されなければならない理由はないはずだ。


 隣で話を聞いていたユリシスが、眼鏡を掛けながら「年上の恋人なんですかねぇ」と他人事のようにぼやいた。


 ラビがユリシスを睨みつけると、その向かい側にいたセドリックの眼光に殺気が灯った。


「――年上……なるほど旅の男ですか。どこの馬の骨です?」

「だから親友だってば! お前もルーファスも知らない奴! オレにだって友達ぐらいいるんだからな!?」

「あなたと長い付き合いがある人間で、僕達の知らない者がいるとは信じられません。まずは、その親友とやらを僕に紹介して下さい。彼に直接話しを聞きます。逃避行だなんて、ろくな男じゃない」

「お前何言ってんだ!」


 二人の男の視線を受けて、ラビはテーブルに突っ伏した。


 どうにも説得出来そうにない。というか、オレに友達がいるのがそんなに信じられないとか、こいつマジで失礼過ぎる。


 腹の中で文句を吐き出し、ラビは悔しそうに奥歯を噛みしめた。話の様子を少し見守っていたユリシスが、そんな彼女を横目に見てこう言った。


「そんなに仲がいいのなら、紹介するぐらい問題ないでしょう。何を必死になっているのですか」

「外野は引っ込んでろッ」


 畜生、こいつがいると余計に面倒になっているような気がする!


 ラビは、テーブルに伏せたまま噛みつくように反論したのだが、セドリックとユリシスはその間も次々に質問や指摘をして来た。


 くそッ、なんでオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだ。


 ラビは心が折れそうになった。理不尽にも思える状況に沸々と怒りが込み上げた時、ふと、変に言い訳するから事がややこしくなっているのだと気付いた。


 もう我慢は限界を超えており、どうにでもなれという気までした。追い込まれたラビは、顔を上げて言い放った。


「ノエルは人間じゃなくて狼!」


 しかし、言ってすぐに後悔した。「誰にも見えない親友……だもん…………」と続けたが、馬鹿にされるのが容易に想像できて、一瞬にして背筋が冷えた。


 ああ、しまったな、と思った。


 二人の顔が見られず、ラビは再度テーブルに突っ伏した。セドリックが「どういう事ですか」としつこく訊いてくるので、そのまま喉から声を絞り出すように答えた。


「……ノエルは、お話が出来る狼だもん。いつだってずっとそばにいてくれる、一番の親友なんだ」


 ノエルがいれば寂しくなかった。毎日話をして、二人で温もりを分けあった。彼がいれば何も怖くはないのだ。


 死んだ両親と、ラビだけの秘密の親友。


 口に出したらいなくなってしまいそうで、そうなったら嫌だなと思ったら涙が溢れてきた。自分のエゴだけで信じて欲しいとは言えないけれど、真っ向から彼の存在を否定されたら、立ち直れないような気もした。

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