3章 ラオルテの異変(6)

「……セドリックに聞いたと思うけど、オレはあいつの家で少しだけ剣術を習って、え~っと、それから…………そう、友達! 仲のいい奴がいて、そいつと切磋琢磨したというか……」


 あれ? 別に答えたくないって言えば良かったような気がする……


 そう気付いた時には、馬鹿正直に口からこぼれた言い訳を聞いたテトが、既に好奇心溢れる瞳を輝かせていた。


「なるほど、友達か! 俺もさ、友達と一緒に剣の腕を磨いたんだ。あいつらが背中を押してくれたおかげで騎士にまでなれた。友達ってのは、ほんっと心強いよなぁ」

「うん、まぁ、そうだね……」


 相手は人間ではなく、ちょっと大きな、いや多分彼らが知るような通常の狼の枠から外れたような不思議な友達なのだが。


 そう正直に答える訳にもいかず、ラビは、ぎこちなく視線をそらした。


「なんだよ、もっと嬉しそうにしろよ。なんか理由でもあんのか?」

「いやいやいや、特にそういう事はッ。昔からずっと一緒だったし、いつもそばにいてくれてる兄みたいな奴というか……」


 口にすればするほど、墓穴を掘ってしまっているような気がする。


 ラビは視線を泳がせた後、ちらりとテトを横目に見た。話の続きを期待するような彼の眼差しに、顔が引き攣りそうになった。


「……えっと、それぐらい、なんだけど?」

「どんな奴だった? もう会ってないのか? 村の人?」


 何故そこまで知りたがるんだ。


 ラビは困惑したが、ユリシスからの知らせを待っている間は、暇である事も確かだった。辺りに目をやるが、ラビ達の他に人の姿はなく、ノエルだっていない。


 話してくれるまでテトも諦めてくれない様子だったので、ラビは仕方なく、少しだけ語る事にした。ノエル本人に聞かれなければ恥ずかしくはないし、ずっと言えなかった彼の事を、誰かに聞いて欲しいような気持ちもあった。


「そいつは、オレの髪の色とか気にしないで、一番に友達になってくれた奴で」


 ラビは、ノエルを思い浮かべ、語る言葉を探しながら話した。


「口は悪いけど、すごく優しくて……九歳で両親が死んじゃってからも、ずっとそばにいてくれた親友なんだ」


 ラビは話しながら、ふと過去の風景を鮮明に思い出した。


 確かあれば、五歳か六歳の頃、近所の子どもに石を投げられた日の夜の事だ。いつもの中傷なら「喧嘩は買ってやるぞッ」と平気だったが、その日は両親が悪く言われてショックを受けていた。


 悲しくて苦しくて、だけど家族に心配を掛けたくなくて、深夜に声を押し殺して泣いていると、ノエルが唐突に、外へ行こうと誘ったのだ。


 満月が、とても大きく見える夜だった。


 ノエルはラビを背中に乗せると、説明もないまま大空を駆けた。


 ラビは驚いて、大きなノエルの背にぎゅっと掴まった。村や大地が急速に遠くなって、月明かりをきらきらと弾く漆黒の毛並みの向こうに、遥か眼下の地上を恐る恐る眺めた時、ハッと息を呑んだ。


 月の光に照らし出された地上は、美しかった。


 星がとても近くで輝いていて、まるで夢のような光景に涙も止まっていた。


『泣くなよ、ラビ。笑ってくれ。お前は、笑顔が一番似合ってる』


 ノエルは、あっという間に森を越え、隣町の上も通過した。悲しい事も苦しい事も忘れて、ラビは彼の背に跨って一緒に夜空の散歩を楽しんだ。


 このまま誰も知らない何処か遠くへ行こうか、と、彼が呟くように問い掛けた。

 幼いラビは、彼が気をきかせて慰めてくれているのだと分かって、お父さんとお母さんを置いていけないよ、と答えたのだ。



 今になって思い返してみると、実に豪快な慰め方だったなと気付いて、ラビは思わず小さく笑った。ノエルがどこまでも一緒にいると言ってくれたから、両親を失った悲しみの中でも、毎日を強く生きる事が出来たのだ。


「突然笑って、どうした?」

「ふふっ。実はさ、すごく落ち込んでいた時に、二人で夜に家を抜け出した事があったんだ。『このまま誰も知らない何処か遠くへ行こうか』って、あいつがそう言ってたのを思い出したら、何だか可笑しくなって」


 ラビは、くすりと笑ったところで、こちらに伸ばされる手に気付いた。


 きょとんとして見上げと、テトが「綺麗な色だと思うけどな」と、中途半端な位置で手を止めて、不思議そうにラビの髪を眺めていた。


「というかさ。なんか、それって恋人みたいな友達だな」

「そうか?」

「うん。――髪、触ってもいい?」


 テトが、遅れて許可を求めてきた。自分の行動理由が分からないような顔で、彼は困ったように小さく笑っていた。


「いいけど、別に普通の髪だよ。色が違うだけ」

「そうだよ。髪の色がちょっと変わっているだけなんだから、堂々としていればいいんだって」


 テーブルに片手を添えて、テトが少し腰を上げた。ラビの金色の髪を一房すくい上げて、意味もなく指で梳く。


 ラビは、髪に触りたいなんて言われたのは初めてで、その様子を静かに見守っていた。彼が更に身を屈めてきて、近くからラビの顔を覗きこみながら、耳の上の髪に指を絡めた。


 一瞬だけ、躊躇するようにその手が止まったが、今度は先程よりも深く指先を髪に埋めて、耳の後ろに流すように優しく梳いてくる。


 どこかで誰かが息を呑むような声が聞こえたが、ラビは動けなかった。頭皮に微かに触れたテトの指先は熱くて、ずっと昔に亡くなった父と母が、よくこうして触れてくれていた懐かしさを思い出した。


 ああ、寂しいなと、漠然とそう感じた。


「……本当に金色なんだな……そういえばさ、さっき頼まれた事があるんだけど、ラビって夢とかある?」


 どこか物想いに耽る顔で、テトはすくい上げた髪に指先で触れながら、近い距離からそう問い掛けてきた。


 ラビは、その様子を不思議に思ったが、テトの大きな手が耳を包み込む熱に懐かしさを覚え、「あるよ」と促されるまま囁いた。

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