3章 ラオルテの異変(5)

「白黒付けるかと言いますが、頭脳と真剣での勝負でしたら、恐らく君に勝ち目はありませんよ」

「やってみなきゃ分かんないじゃん」

「体格差の問題です」


 ユリシスは言い合う間も、それとなくラビの顔をしげしげと観察していた。


「手を見せて下さい」

「なんでだよ」


 唐突に要求され、ラビは鼻白んだ。ユリシスは、数秒沈黙し、思案した。


「――ちょっとした力比べをしましょうと言っているだけですよ。白黒ハッキリさせたいのでしょう?」


 腕相撲で勝負をつけようというのだろうか。そうであるなら、見せてという言い方は間違っているような気がする。


 彼でも言葉を言い間違える事もあるんだなと思いながら、ラビは、テーブルに肘をついて構えた。ユリシスが一瞬、呆れたように眉を寄せたが、すぐに同じような姿勢を取ってきた。


 お互いの手を握りしめ合うと、ユリシスが、掴んでいない方の手で握り具合を確かめるように触れてきた。ラビは顰め面のまま首を捻り、余計な手を引き剥がそうとしたのだが、唐突にその手を掴み返されてしまった。


 ラビが驚いて目を丸くすると、害はないのだと伝えるように、ユリシスが優しい動きで流れるように指先を握り込んできた。彼の指は、ラビの細い指をなぞり、僅かな躊躇を見せて指先を絡め取る。


「……お前、何してんの?」

「…………反則がないか確かめていたのですよ」

「んな卑怯な事しねぇよ! 何言ってんだ、お前の手がデカい方が反則じみてるのにッ」


 ラビの怒鳴り声と同時に、グリセンが「はッ!?」と目を覚ました。彼は、目の前で始まっている腕相撲を見てギョッとした。経緯は不明だが、悪い予感しかしない。


 ユリシスは、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに息を吐くと、ラビに半眼を向けやった。


「失礼な、平均的な大きさですよ。君の手が、男にしては小さすぎるんです」


 ユリシスから感じる冷たい棘を含んだ言葉と、ラビの攻撃的な眼差しに、グリセンはまたしても肝が冷えた。今は腕相撲でも、すぐにでも殴り合いが始まるのではないかと不安になる。


 悩めば悩むほど胃が痛み、グリセンは耐えきれなくなって叫んだ。


「ッ、ラビ君!」


 すぐにでも勝負を始めようとしていたラビは、ユリシスの手を掴んだまま「なんだよ」と、グリセンの方に顔を向けた。


「被害者が立ち寄った先なら、確か資料が残っていたはずだから、ユリシスに見せてもらってくれ。だから腕相撲なんてやめなさいッ」

「資料があるの?」


 そういう事ならば、とラビは素直に手から力を抜いた。しかし、数秒ほど待ってもユリシスの手が離れてくれなかったので、無理やり手を振り払った。


 新しい嫌がらせかと思って目を向けると、何故か、ユリシスは自分の手を見つめて動かないでいた。


 グリセンも、ユリシスの異変に気付いて首を捻った。聞こえていなかったのだろうかと思い、ユリシスの名を呼んだ。


「ユリシス。例の調書を探して、彼に見せてあげてくれ」

「人手不足なので、新しいものはまだ整理されていませんが。……まぁ仕方ありません、探してみます」


 ラビを連れてユリシスが部屋を出ようとした時、グリセンは、遅れて一つの事を思い出し、慌てて彼の背中に声を掛けた。


「ユリシス君ッ、手紙の件は、絶対誰にも言わないように!」


 ユリシスは、ますます手紙の内容が気になったが、グリセンの必死な形相に追及を諦めた。上司の胃痛を増やす訳にも行かず、難しい顔で「かしこまりました」とだけ答えて、ラビと共に部屋を出た。


                3


 資料の置かれている部屋は、部外者は立ち入り禁止の場所らしい。ユリシスに「下で待っていて下さい」と言われ、ラビは廊下で彼と別れて一階の広間へと向かった。


 昼食時間前の広間には誰もおらず、そこから開けた先の外側に、素振りをする上半身裸の騎士団メンバーがいた。ラビは入ってすぐの席に腰かけて、男達の素振りの様子をしばらく眺めた。


「……というか、なんで上半身裸?」


 上半身裸の男達は、一心不乱で素振りを続けながら、時々「筋肉は健康美!」「筋肉で逞しい身体!」「俺たちは強い!」と真剣な顔で叫んでいた。


 よくよく見れば、どれも昨夜、ラビが何十回と叩きのめした顔ぶれだった。先頭には、顎の先に髭のあるジンの姿まであった。


 多分、真面目に努力はしているのだろう。


 ラビは無理やり自分を納得させ、むさくるしい男達から視線を外して机の上に顔を伏せた。久しぶりに過ごす一人きりの長い時間は、とても暇だった。


 しばらくすると、昼食の合図が聞こえてきたが、大量の朝食で胃がもたれていたので食堂へは向かわなかった。室内は風の通りがあって涼しく、目を閉じていると、次第に気だるい眠気に襲われた。



 陽気な声が聞こえたのは、それから少し経った頃だった。


 軽く肩を叩かれて、ラビはふっと顔を上げた。そこには騎士団の制服のジャケットを肩に掛けたテトがいて、彼は「よっ」と声を掛けながら隣の席に腰かけて来た。


「午前の調査で、サーバルを泣かしたんだって?」

「何だそれ。泣かした覚えはないけど?」

「そうなのか? ヴァンが食堂で喋りまくってたぜ。昼食はいらないのか?」

「朝っぱらから大量に食ったから、まだ入らない」


 そう答えると、テトがテーブルに腕を置いてラビを見てきた。


 悪戯好きの瞳が輝いているような気がして、ラビが「なんだよ?」と若干引き気味に問い掛けると、彼は「うん」と肯いて口を開いた。


「副団長に、剣術はほぼ独学だって聞いてびっくりした」


 どうやって腕を上げたんだ、と彼は憧れの眼差しで訊いてきた。


 ラビの場合は、騎士団に入隊する前のルーファスに、下手くそだとからかわれたのがきっかけで、負けず嫌いに火が付いて剣術の猛特訓を始めていた。幼馴染の兄弟に勝負を挑んで技を盗みながら、ノエルの指導のもと、森で毎日剣を振るって腕を磨いたのだ。


 思い返せば、強くなれたのは、ずっと付き合ってくれたノエルのおかげだった。ラビは元々、彼と共に森を駆け回り動きを真似ていたから、俊敏で柔軟な身体に鍛えられていた。


 ノエルは人間の戦い方をよく知っていたから、ラビの体格や戦い方に合う剣術を選んで教えてくれた、というのもある。


 どう説明したものかと、ラビは悩んだ。


 セドリック達の別荘で剣を学んだ期間は短いので、彼らを言い訳に使うとボロが出るだろう。かといって、聞いた相手が納得するような、幼少の子どもが一人で特訓出来る方法も思い浮かばない。

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