3章 ラオルテの異変(3)

「妖精って、絵本に書かれてる不思議な力を持った生き物だろ? あまり想像はつかないけど、オレには、ノエルがいるから信じられるよ」


 ラビはふわりと微笑んだのだが、途端にノエルの大きな右前脚が、彼女の顔を押さえてきた。


「ひどいよッ、何すんのさ?」

『呆けた面見せてんじゃねぇよ。お前その顔、ガキの頃のまんまだぞ。成長がなくて逆に怖ぇよ』


 彼は照れた顔を隠すように一度視線をそらせたが、前足を下ろして話しを続けた。


『妖獣は、種族によっては、お前が言うような不思議な力とやらを持ってる。妖獣世界との道が繋がる満月の明かりの下でのみ、使い手なしに実体化出来るのが特徴だろうな。簡単に言うと、強い月の光を利用すれば、普通の人間にでも姿を見せる事が出来る』

「なんで黙ってたのさ。そうだったら、父さん達にも紹介してあげられたのに」

『見せられるかよ……引き離されるのがオチだぜ』


 ノエルは苛立つように鼻頭に皺を刻み、不貞腐れた声で呟いた。


 漆黒の大きな狼は、昔話の中では死の使いとして表現されている事が多い。それを気にしているのだろうかと、ラビは分からず首を捻った。


『妖獣は結局のところ、使い手に従わなければ人界で力を使う事もできない――だがある日、唐突に【月の石】が登場した訳だ。人界に興味を持った連中が【月の石】を使って暴れ始め、使い手側と妖獣側の偉い奴らが地上に出ている【月の石】を消して、出ていない分を大地の奥に封じたんだよ』


 半ば投げやりに、ノエルはそう説明した。ラビは話を頭の中で整理したが、一つ疑問を覚えた。


「【月の石】がこの町にあって、どうして氷狼なわけ? 氷狼も妖獣なの?」

『あいつらは聖獣だ。魔獣、妖獣、霊獣と、こっちの世界も色々あってな。妖獣世界で一番多いのが雑魚の【悪鬼】だ。唯一命を持たない亡霊みたいな存在だから、食っても腹は膨れねぇし、低知能で厄介な事しかしない。つまるところ良い事が一つもない連中ってこった』


「……ノエルの説明、ざっくり過ぎない? つまり悪鬼っていうのが原因って事でいいのかな」

『ああ、そうだ。悪鬼のせいで、氷狼の異常行動が発生してるんだろうな。……つか、お前にあんまりこっちの世界の知識を入れたくねぇんだよなぁ』


 ノエルが四肢を立たせたので、ラビも立ち上がった。


 ラビはふと、警備棟の屋上から、三人の男が不思議そうに窺っている事に気付いた。こちらの会話は聞こえていないようだが、一人で何をしているのだろうと、不審がられている可能性はある。


『恐らく聖獣のテリトリーで、人間の血が流れたんだろう。そのせいで場が汚されて悪鬼が沸き出し、たまたま運悪く【月の石】があった……毎回二、三頭って事は、手元にある【月の石】も少ないとは思うが、あいつらもそれなりに考える頭はあるし、まずは数を確保しようと思い立ってんだろうなぁ……』


 考えながら口の中で呟き、ノエルが意味もなく尻尾を回した。


「氷狼のテリトリー内で死んだ人がいて、その人が【月の石】を持っていた。だから悪鬼は、町を狙っているって事でいいのか?」


 ラビが要点を整理しながら尋ねると、ノエルが大きく頷いて『そうだ』と言った。


『悪鬼は、【月の石】で氷狼の身体を支配して動かしている。まずは町にあるかもしれもぇ残りの【月の石】の場所と数を確認しようとしているんだろう。【月の石】は、普通の人間にはただの石にしか見えねぇから、間違って掘り起こしちまった可能性はあるが。どちらにせよ、奴らが氷狼を操って一斉に踏みこんでくるのも時間の問題だ』

「町にある【月の石】を、先に処分する事はできる?」


 悪鬼が利用している【月の石】を先に片付ける方が、リスクも少なく手っ取り早いような気がした。その後にでも、氷狼が操られている問題について考えればいい。


 ノエルも同じ事に気付いたようで、『なるほどな』と一つ頷いて、尻尾を持ち上げて二度振った。


『封印されている【月の石】は少ぇし、俺だけでも無力化ぐらいなら可能か……。悪鬼にしても、手元にある【月の石】の量が少なければ派手には動けねぇだろう。よし、そうとなったら、まずは【月の石】を優先に考えるか』


 話がまとまったところで、ラビ達は町の方へ戻るように歩き出した。


「オレ、戻ったらグリセンに、山の方で死んだ人の事を訊いてみるよ。その人が立ち寄った先とかが分かれば、【月の石】の場所が絞り込めるかもしれない」

『じゃあ、その間に、俺は町中を少し回ってくる。今のままだと魔力は探れないが、一ヶ所に集められているとしたら、恐らく近くまで行けば気配ぐらいは辿れるかもしれねぇ』


 ラビは話を聞きながら、後ろ手を組んでノエルに目を向けた。


 何度見ても、彼はちょっと大きい、優雅で贅沢な毛並みを持った狼にしか見えない。特殊な生き物という実感はないが、少し気になった点については、好奇心から尋ねてみる事にした。


「妖獣ってさ、不思議な力があるって言ってたけど、ノエルも魔法が使えるの?」

『……魔法なんて大袈裟なもんは使えねぇよ。満月の夜に、お前を乗せて空を飛んだ事があっただろ。俺が出来るのは、あれぐらいなもんだよ』


 ノエルは歯切れ悪く言うと、一方的に話を終わらせるようにそっぽを向いた。確かに空を飛んだな、とラビは遅れて思い出し、そう考えると、彼が普段から高く飛べるのも、高所からの落下が平気なのも頷けるなと思った。


 ラビが納得する様子を見て、ノエルは『素直というか、鈍いというか……』と複雑そうに呟いた。うっかり魔力と口にしてしまったのに、そこについて訊いてくる方に思考が働かないのは、少し心配に思った。


                 2


 ラビが、梯子を下りて少し歩いたと先に報告すると、グリセンは書斎机の椅子に座ったまま気絶してしまった。


 持ち前の胃痛と小心のせいかなと察しつつも、ラビは、どうしたらいいのか分からず黙っていた。ユリシスが「数分で起きます」とそっけなく告げて、二人は書斎机の前に立ったまま彼の目覚めを待った。


 二人が見守る中、グリセンは数分後に意識を取り戻した。彼は目覚めてすぐ、もう二度としないように、と震える声で何度もラビに頼み込んだ。


「君に怪我でもされたら僕の責任問題に……いや、恐らく総団長に抹殺される可能性が…………」


 グリセンは、先程まで読んでいたらしい手紙を握りしめ、残った方の手で腹を押さえながらそう呟いた。

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