第4話
翌年、アラタは東京の大学を受験し、第一志望校の合格を勝ち取った。電話で父に報告すると、やっぱり淡々とした口調で「おめでとう」と返された。
「入学はスタートラインだ、卒業出来るよう頑張りなさい。お前がこちらまで来る時間はないだろうから、書類がきたら一旦こっちの住所に郵送しなさい」
入学届けを送った後日、父が記載した書類を持って大浜が現れた。以前会った時と違って、季節はすっかり冬だ。彼は大きくてガッチリとした身体に、随分厚着をしていた。
なんでいんのと口にしそうになったアラタは、遅れて「あ」と思い出した。
「わざわざ保証人の欄を書くために、またこっちに来たのか……?」
「おぅ。二回目だけどまた迷子になったぜ!」
堂々とそう言い放たれて困惑した。それ、自信たっぷりに言う事じゃないだろうと思って見つめていると、「時間あるか?」と問われた。
「俺もさ、お前の親父さんから書類をパッと受け取っただけなんだわ。あいつ仕事入ってたし、『ウチにはあげんぞ』『さっさと行ってこい』って蹴飛ばされて」
ぺらぺらと聞き慣れない訛り口調で話す大浜は、昨日のコメディ番組の感想でもするみたいに明るい表情だ。寮へ戻っていく数人の後輩男子生徒たちが、敷地の門をくぐりながら「え」という表情を浮かべてチラチラ彼の方を見ていた。
「……あの、あんたと親父、本当に付き合いの長い友人なんですか?」
「わはははは! 飛び蹴りをくらうくらい打ち解けた仲だ!」
「え、あの親父が飛び蹴り? というか誇らしげに言ってるけど、それかなり乱暴――」
「おっと、それで入学届けの件なんだけどな」
大浜は勝手に本題へと戻して、アラタの困惑たっぷりの言葉も聞かないまま続ける。
「つまりは俺も書類を確認するのはこれからで、署名と印鑑も今からするんだわ。ちょうど週末休みだし、時間が大丈夫そうなら宿泊先に寄っていかねぇか?」
そう言いながら、大浜がくいっと手を動かして『飲む』仕草をした。
まだ高校三年生に対して、その誘い方はどうだろうかと思う。けれど小腹も空いているし、道中で食べ物をいくつか買って『合格お祝い会』をしようじゃないか、と続けられた大浜の提案は悪くなかった。
「親父は『おめでとう』の一言だったのに、会って二回目のあんたに祝われるなんて変な感じだ」
「ははは、すっかり猫被りな敬語も取れちまったなぁ。ケーキも買うか?」
「ケーキより、あったかいピザか肉まんがいい」
「まっ、だいぶ寒いもんなぁ」
大浜が、白い息を吐き出して曇空を見上げる。
「俺ね、凍死するんじゃないかってマジで考えたんだわ」
「こっちは雪降らないぞ」
アラタは、しっかりそう指摘した。日焼けが目立つこの大きな彼は、寒さには慣れない場所から来ているのだろうか、と、そんな事をチラリと考えた。
※※※
大浜が予約したホテルは、二つ向こうの駅にあった。シングルタイプながら室内は広くて、床は直で座っても問題なさそうな素材で覆われていた。
一緒に書類を確認し、必要な記入欄にそれぞれペンを走らせて印鑑を押した。それから早速と言わんばかりに、大浜が下に買い漁った食べ物を並べて「じゃーん!」と缶ビールも袋から取り出して見せてきた。
「『オリオンビール』はなかったから、『淡麗生』にしました!」
「なんで敬語?」
そんな銘柄あったかなと思いながら、アラタはひとまず心も込めず彼にこう言い返す。
「俺、未青年だけど?」
「ははは、飲み慣れてる奴が何言ってんだ」
大口を開けて笑った彼が、そう言いながら目の前に缶ビールを置いた。
ホテルの一室で、『合格祝いの会』と題して乾杯をし、買いこんだ食べ物を口に運んだ。大浜はかなりのハイペースで酒を飲んでいくものの、焼けた肌が赤らむばかりで酔っぱらう様子もなく訛り交じりのハキハキとした口調で話し続けていた。
よく飲んで、よく食べて、それでいてよく止まらないなと感心するくらい喋る男だ。けれど気軽にぺらぺらと話す大浜が、肝心なことや重要なことは何一つ口にしない、口堅いところがある事にアラタは気付いた。
酒の入っている状態でも、大浜の目は揺らぎのない強い意思を思わせた。こうして話しながらも、結局は大浜や父についてほとんど何も知らないままだ。
ようやくそう気付いたものの、その頃にはすっかり酔いも回ってしまっていた。アラタの意識はしだいに薄らいで、現実的な五感もあやふやになって瞼も重くなる。
身体がぐらぐらと揺れて、自分が水牛に運ばれているのを感じた。
潮の香りが鼻についた。ああ、またあの小島と水牛の夢だ。自分はまたしても大きな立派なその牛の背に乗り、浸る程度の海の上をどこまでもゆったりと進んでいく。その前を別の水牛が歩いており、そこにはピンと背筋が伸びた男の背中もあって――。
ふっと浅い眠りから覚めると、ベッドの上だった。風呂から上がったらしい大浜が、半ズボンだけを着て上半身の盛り上がった筋肉を晒している姿が目についた。その胸板もまた、見事なほど赤みかかった褐色をしている。
「ん? どうした。悪酔いでもしたか?」
大浜はそう言って笑った。アラタはベッドに横たわったまま、ぼんやりと彼を見つめていた。まだ脳裏には夢の残像がこびりついていて、眠りへと引き込まれそうだった。
「海の匂いがする」
そう呟いた自分の声が、頭の中にぼんやりとこだまするのを感じた。大浜が海をまとって引き連れているのだと、アラタにはそう思えた。
大浜は、ちょっとだけ意外そうな目をした。それから否定も肯定もせず「やれやれ」と言って視線をそらし、「飲み過ぎたみたいだな」と海の名残がする、どこか懐かしいほどに優しい訛り口調でポツリと呟いた。
「お前に飲ませたなんてバレたら、俺がミヤラにぶん殴られちまうよ」
顔を上げた大浜がちょっと困ったように、それでいて泣きそうな顔で笑った。その口元から、彼の肌とは対照的な白い歯が見えた。
ミヤラって、誰?
口の中で疑問を呟いたあと、アラタは再び眠りの中へと落ちていった。
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