(五章)来訪してきた王子(2)

 なぜかサイラスは帰らない。服装を見る感じ、仕事が入っている感じもするのだけれど……。


「邪魔っすねー」


 屋敷の敷地内にある木々へと向かいながら、アサギがこそっと言った。


「なんか、すごくやりづらいわ……」

「俺、姫様が『嫌だ』というのも、分からないでもないです。あの人間の王子、やばい感じ」

「でしょー」


 リリアは、自分よりも年下の少年姿なカマルに、うんうんと相槌を打った。女子トークみたいだなと、隣でアサギが口の中で密かに感想をもらしていた。


 そうしている間にも、そろそろこの辺で里の入り口を開こうかと、カマルが立ち止まった。


 基本的に、出入りするのを人間に見られたくない習性がある。


 同じく後ろで立ち止まったサイラスを、カマルがちらりと見やった。


「あの、彼も入るんですか?」

「まぁ警戒せずとも大丈夫ですよ。いちおう利口なところもある魔法使いです」


 いちおう、を強調してアサギが述べた。


「妖怪国に害を与えようなどとは考えないと思いますし、そんな動きを見せたら『口実ができたぜやったー』という感じのテンションで、責任を持って俺と里の者達で〝潰し〟ます」


 それを後ろで聞いていたサイラスが、ぴきりと青筋を立てた。


「おい、本人が聞こえる距離でそれを口にするか?」

「しますよー。俺は、相手が人間界の王子だろうが関係ないんですー。俺にとっては、姫様だけが偉いんですー」


 いちいち人をおちょくる狐である。


 リリアは、まぁまぁとアサギをなだめた。


 あやかしの〝化かし〟の性質を持っているアサギは、もともとこんな感じだった。普段からツヴァイツァーも平気で怒らせているくらいだ。


 カマルが妖怪国の道を開いて、みんなで進んでいった。


 しばらくもしないうちに、例の大妖怪の化け大狸〝タヌマヌシ〟が治めているという、化け狸の里へと続く道が見えてきた。


「これは、随分とデカい〝岩〟だな」


 見上げて、サイラスが目測しながら言った。


「人間には感知が難しいでしょうが、れっきとしたあやかしですよ。『人間の第二王子』殿下は強い魔力の持ち主でいらっしゃいますので、迂闊に触れて、先に目覚めさせてしまいませんように」

「――分かってる。そいつに与えられた条件なんだろう」


 嫌味っぽい口調で言ったアサギに、彼が苛々した声ながら弁えて答えた。


 リリアが結ばれた『逆さ草』の先端を持った。アサギが、てんこ盛りに置かれたそれの前で立って、早速の開始を告げる。


「さて、姫様出番です」

「オッケー、任せて!」

「俺もお手伝いしますっ」


 リリアがふわりと浮かぶと、カマルがアサギと一緒になって、とても長い一本になった『逆さ草』が切れてしまわないようサポートした。


 岩の上まで飛んで、大まかにぐるんぐるんと全体を包み込むように捲き付ける。


 塞がれた道の反対側にも回ってそうした。


 ふと、リリアはそこで振り返った。塞がれた先の道の向こうは、次第に細く、そして緩やかな下り坂になっていた。この先に、化け狸の里があるのか。


「カマルの、お嫁さんの故郷、かぁ……」


 娘さんをくださいと、小説のヒーローがヒロインを迎えに行く構図が頭に浮かんだ。やっぱり少し羨ましくなった。


 相手のメイというあやかしの女性も、心配して待っていることだろう。


 少しでも早く再会させてあげたい。


「よし!」


 リリアは改めて意気込むと、大きな岩の向こうにいるアサギ達と再び合流するようにして、ふわふわと飛び、蔦のようになった『逆さ草』を巻き付けた。


 ほどなくして全部捲き付け終えた。


 すとっと地面に降り立つと、アサギが労う。


「姫様、お疲れ様でした」

「ううん、全然」


 リリアは、素直さが窺えるに仕草で首を横に振る。


 カマルが岩を見上げて「おぉ」と感嘆の息をもらした。


「アサギ様、俺、どうしたらいいですか?」

「あとは、この『逆さ草』に妖力を流して込んでやるだけです。何も難しい調整などいりません。微量に、全ていきわたるよう均等に三人分の妖力がこめられていますから、下位のあやかしの〝発動〟で、うまいこと逆さ効果に転じてくれるはずです」


 それは最後、カマルが自身で出来るようにと考えられて、作られた術具ものだからだ。


 なるほど、それでわざわざ、はじめっから妖力を込めたわけかと、リリアは今になって気付いた。やっぱりアサギは面倒見がいい。


「頑張ってね」


 リリアは、カマルの背を押して、にこっと励ましの笑顔を送った。


 後押しされたカマルが「姫様っ」と感動する。しかしその直後、後ろのサイラスから発せられた極寒の眼差しに強張った。


 身震いした彼に、リリアがきょとんとする。その直後、カマルが慌てて大きな岩へ向き合う。


「俺っ、頑張ります!」


 意気込んだ直後、彼がポンッと狸姿に戻って、渾身の妖力をこめて両手で岩を叩いた。


 一瞬、大きな岩全体に薄い光が走った。


 あ、今なら全然軽いかも。リリアがそう直感した矢先、それを実際に触れている手に感じ取ったのか、カマルがくりくりとした目を期待で輝かせた。


 おそるおそる、といった感じで、カマルが自分の何十倍も大きな岩を、狸の小さな両前足で緊張気味に押した。


 その途端、まるで重さを感じないほど、あっけなく岩が転がった。


 不意に岩が、動いている途中でビクッと震えた。生きものみたいな反応だと思った直後には、ふっと視界から消え失せてしまっていた。


「え、どこに行ったのっ?」

「びっくりして目指めた拍子に、移動したんですよ。彼らは『重くなる』と『移動』に妖力が使えますから」


 そう答えたアサギの目が、押した姿勢のままでいる小さな狸の後ろ姿へ向く。


「道は開きましたよ。とっととお行きなさい」


 声をかけられて、ようやく理解が追い付いたのか。


 びくんっとしたカマルが、アサギを振り返る。そして、ぽんっと人間の姿に化けて、改めてリリア達を見た。


「お、俺、やったんですか? 成功?」


 これからのことを思っているのだろう。大きく見開かれた目、両足もわなわなと期待に震えていた。


 挨拶に行ったっきり、会えていない恋人との再会でもあるのだ。


 ああ、これが恋なんだなぁとリリアは思った。


「ほら、さっさと行く! 少しでも早く彼女に会いたいでしょ?」


 リリアが発破をかけてやると、カマルが「はい!」とジャンプしつつ答えた。


 直後、彼が走り出した。開いた道の向こうへ、どんどん駆けていくと、あっという間にその後ろ姿は見えなくなっていった。

 


 見届けたのち、アサギの案内で、カマルが開いた入口から元の屋敷の敷地内へと戻った。


 いつの間にか日差しの傾きが変わっていた。


 妖怪国では、人間界と時間の流れが少し違っている。びっくりしたリリアのかたわらで、魔法による〝知らせ〟を受け取ったサイラスが、小さく溜息をもらした。


「じゃあな」


 そう告げると、サイラスもまた帰って行った。


 結局のところ何をしに来たのかしらと、リリアは首を傾げたのだった。

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