(四章)お散歩にて、もふもふの突撃(2)

「あなたは、見も知らずの私に突進してきたわよね。どうしてそんなに必死に?」


 尋ねた途端、カマルがもじもじとした。


「それが、えっと、実は……」

「実は?」

「……このたび、結婚を考えておりまして」


 ぽつり、と告げられたのは意外な言葉だった。


 しばし、リリアは理解する時間を必要とした。目の前の小動物な狸を見て、そして頭の中でもう一度言葉を繰り返したところで、狐耳をビャッと立てた。


「結婚んんんんんん!?」


 思わず叫んでしまった。カマルはそれをなんと取ったのか、照れながら言う。


「はい。彼女の父上様にご許可を頂けましたら、人間界に二人の新居の住処を作って、しばらく暮らそうかと」

「待って、あなたどう見ても子供よね!?」


 リリアは、ガバッとカマルに詰め寄った。両手でガシッとしてみた彼の体は、予想以上にもっふもふで、素敵な触り心地だった。


「妖狐の姫様、人間界によくいる成人狸も、だいたいこのくらいの大きさですよ」

「えぇぇ、私には可愛いもふもふにしか見えない」

「あ、この地域じゃ見慣れないからですかね? それなら」


 そうカマルが口にしたかと思うと、小さい両前足を組み合わせた。


 直後、ぼんっと白い煙に包まれた。先程まで狸がいたそこには、異国の薄地の衣装に身を包んだ、一人の〝少年〟がいた。


「どうです? 立派なもんでしょ? 俺、尻尾も見事隠せて、顔もまさに人間に化けられるんですよ!」


 えへへ、と垂れ目な少年、カマルが言った。


 リリアは即、いやいやいやと顔の前で手を振って否定した。


「どう見ても十三歳くらいじゃない! 身長も私より少し低いし!」

「変化がへたなだけで、立派な大人のオスですよ」


 そばから、アサギが冷めきった目で冷静に教えた。


 ひとまず三人、再び向かい合わせて座った。長年の修行の賜物もあって、変化が上手になったのだと自慢したカマルは、やっぱりどこからどう見ても子供だった。


 化け狸の〝変化の術〟は、さて置き、カマルが話し始める。


「俺が求婚した相手は、化け大狸一族の三十五番目の末の子、娘のメイです。それはもう可愛くて、器量が良くて、優しくって」

「狸? あなたと同じ?」

「とんでもない。俺は下位の人間界生まれの化け狸ですっ」


 カマルが焦って訂正した。


 リリアが小首を傾げると、アサギが言ってくる。


「我々と同じですよ。妖狐だと、トップに天狐がいます。化け大狸は、妖怪国でもきちんと領地をもった、古くからいる大妖怪の一つです」

「そうだったの……それで?」

「はい、実は――」


 リリアが促すと、カマルが話し出した。


 メイにプロポーズをして、求愛を受け入れてもらえた。それでは結婚しようと話し合い、妖怪国へ行って、父親である化け大狸の主に会いに行ったのだという。


 そこでカマルは、誠心誠意に「娘をください」と挨拶をした。


 そうしたところ、ならん!と大きな一喝が落ちたらしい。


 二人で説得したものの、父親大狸は頑なに頷かなかった。メイを人間界へもう行かせないとまで言う始末で、彼女と父の大喧嘩まで起こった。


『そんなにメイの夫になりたくば、立派なオスであることを証明してみせろ。一度眠りに落ちると動かない岩のあやかし。あれを見事どかすことに成功すれば、娘との結婚を認めてやる』


 父親である化け大狸の主は、そう述べたらしい。里へと続く道にそれを置いて塞ぎ、いったん里へメイを連れ帰ってしまったのだとか。


「つまり、力を見たいってこと?」


 話を聞き終わったところで、リリアは理解が合っているかをアサギに確認した。


「そうでしょうね。人間界でも知られていますが、岩のあやかしの一番簡単な処置は、力技でどかすことです。そうすれば起きます」


 なんだ、そんなことなの。


 リリアは拍子抜けした。わざわざ自分に突撃してきて話をしたカマルへ、やや呆れた目を戻す。


「そういうことなら、そもそも私の知恵とかいう名目もいらないじゃない。あなたの力が試されているのなら、自身でどうにかすべきであって――」

「見たところ、彼は五十年ほど。それっぽっちの化け狸には無理ですね」


 リリアの続く言葉も遮って、アサギがスパッと言った。


 カマルは、ただただ肩を落として俯いている。リリアは、視線をゆっくりとアサギへと移した。


「……無理なの?」

「無理です。一般的に知られている岩のあやかしでも、最小クラスで数百キロはあります。化け大狸の領地主が用意したというくらいですから、桁違いの大きさかと」


 思わず確認したリリアは、桁違い、と口の中で繰り返した。ちらりと見やってみれば、こちらに目を戻していたカマルが、青い顔で小さく首を振ってくる。


「ねぇアサギ、あなたの予想だと、かなり大きい?」

「大狸の領地主も、かなり大型クラスの大妖怪ですからね。そのへんの小岩なんて持たないですし、恐らくはとても大きいです」


 こーんなです、とアサギが他人事の無関心な表情で大きさを伝えてきた。


「無理なのに言うって、その父親狸、性格悪くない?」

「それが化け大狸というものです。性格が、少々曲がっているのですよ」


 アサギは、曲がっている、という部分で指先をちょちょいっと動かした。


 カマルの狸姿から少し考えてみると、そんな大きな相手からの要求を、すんなり受理したということにも困惑が止まらない。


「あなた、岩が小さいだろうと思ったから、『はい、やります』と答えたの?」


 思わず尋ねてみると、カマルがぶんぶんと首を左右に振ってきた。


 ということは、アサギと同じく、彼も当初から岩の大きさを推測していたのだろう。とんでもなく大きいものがくるかもしれない、と。


 ……それなのに引き受けたのか?


 感じ取った妖力からすると、彼が数百キロをどうにかするのは難しそうだ。里までの道に大きな岩を置かれた時、カマルは何も言わなかったのか。


「それなのに、あなたはそれを受けたの?」


 だって、どう考えてもひどい。


 リリアはそう思って言った。すると、カマルが、狸姿の時と同じ、くりくりっとした真っすぐな目で見つめ返してきて、手振りを交えて答えてくる。


「何か方法があると思うんです。彼女の父親です。きっと考えがあって、あの方なりに、ご自分の父親心と折り合いをつけて、そう言ってくださったと思うのです」


 バカなくらい、いいやつだ。


 リリアは、スカートの上に置いた手にぐっと拳を作った。


「私、やられっぱなしは嫌いな性分よ」


 響き渡ったリリアの声。


 それが彼女の〝答え〟だった。アサギが承知した様子で、背筋を伸ばして話を真面目に聞く姿勢を取る。


「やるわよ、カマル。その眠っているという岩のあやかしを、どかすの。そのクソ親父をギャフンと言わせるためにね。そして、あなたはメイちゃんを迎えに行くのよ」


 好き合っている恋を邪魔するなんて、そもそも許せない。


 誰かに愛されて、そして自分も恋ができるなんて、滅多にない〝特別なこと〟なのに。


 ――とはいえ、リリアが直接手を出すことはできない。


 これは、カマルに課せられた試験みたいなものだ。それを彼も分かっているから、先程『知恵を貸してください』と突撃してきたのだろう。


 ならば一緒に考えてやることが、今のリリアにできることだ。


 そうすることを決めて、リリアはすくっと立ち上がった。


「実際に、その岩とやらを見てみましょう」

「協力してくれるんですか!? ありがとうございます!」


 やっぱり少年にしか思えない態度で、カマルがリリアの手を握ってぶんぶん振った。


 だがその直後、リリアの妖力が刺激に反応して眩しい放電を放った。再び少し焦げてひっくり返った彼を見て、リリアは「あ」と放電期中だったのを思い出す。


「そういえばそうだった。……畑にいる父様たちのところに行かなくて、正解だったわね」


 本来であれば、今日までは屋敷で大人しくしている予定だったのだ。ずっとの放電は落ち着いたとはいえ、まだまだ気は抜けない状況だ。


 思い返すリリアの頭の上で、もふもふの狐の耳がやや気落ちを示した。


「姫様、妖怪国に少し入ることになりますが、よろしいですか?」

「パッと入って、パッと出るわ」


 答えながら、リリアは気を取り直すと、アサギと一緒にカマルを助け起こした。少し放電してしまったことを謝ったら、彼が焦げたあとを変身術で消して、ピシッと背を伸ばした。


「うっかりの放電でも、威力半端ないっすね! ますます尊敬です! 姫様、どうぞこちらへ、さっそくご案内します!」


 カマルが、両手をパンっと合わせて宙を押し開く。


 すると、そこに別の森の風景が広がった。リリアは、びっくりして金色の目を丸くした。


「こんなところに、妖怪国の入口があったの?」

「化けた狸の里は、妖怪国の中でも人間界寄りなので、どこにいても入口を開けるんですよ」

「へぇ、それは便利ねぇ」

「まぁ、化け狸は人間界生まれも結構いますからね」


 関心の声を上げたリリアに続いて、そう補足したアサギが空間の入り口をくぐり。


 ――三人の姿は、その場所から消えた。

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